第三十六話 ジュノ編 ~村長ガストル邸~

 村長宅はどうやら先ほど村の入口から見えていた一際大きな茅葺の建物だったようだ。家の目の前に来るとクレルは木扉を叩いて呼びかける。




「ガストルさん! クレルです。シフォンダールから戻りましたよ!」




 クレルがそう叫ぶと、しばらくして家屋の両開きの木扉が開かれる。そして中から一人の人物が現れる。




「おお、クレルよ。無事帰還したか……。む? そちらの方々は?」




 ガストルと呼ばれた男性は落ち着いた色の服を羽織った老人だ。彼がこの村の村長ということなのだろうか。長く伸びた白髪に柔和な表情から、穏やかな人柄がうかがえる。




 ガストルがリューザたちを見つけて訝し気な表情をすると、クレルはすぐさまこれまでの経緯をガストルに報告する。そして、リューザとブレダも自身の名を名乗るとガストルは再び口を開くのだった。




「そうでしたか……。ならば、この村の長たるこのわしから直々に礼をせねばなるまい……。それにしても"解術師"とは、森に住むニファのことだな?」




「はい。明日、この方々をぼくが案内しようと思います」




「うむ、それがいいだろう。それから客人、悪いことは言いませぬ。用が済んだら、すぐにこの村を発ちなさい」




 その言葉にブレダは即座に噛みついていく。




「はぁ? 何このジジイ? 来て早々に追っ払おうとするなんてどういう神経してるのよ!」




「ちょっと、ブレダ!? ……でも、確かに理由は聞いておきたいです。もしかして、クレルが運んでいた武器が関係しているとか……?」




 その言葉にそれまでにこやかだった老人の顔に一瞬の陰りが見える。




「ほう、そこまでご存じでおいででしたか……」




「ごめんなさい、恩人に隠し立てするのは気が咎めましたので……」




 なにかまずいことでもあるのかクレルはガストルに謝罪を述べる。




「よいよい。まあ、そういうことなら、あなたがたに話してしまってもいいでしょう。外は寒いでしょうから中へ入りなさい。話はそれからにしましょう」




 そう言ってガストルは三人を招き入れた。




 家の中へ入ってみると、床は赤いカーペットで覆われており、天井が高く平屋なものの吹き抜けのように感じられる。先ほどのクレルの家と比べて飛びぬけて立派に造られているようだ。




 部屋にある椅子に各々が座ると、ガストルは部屋の奥のポットから注いで、湯気の立ったカップを運んでくる。




「あら? 飲み物を用意してくれるなんて気が利くのね。うふふ、ありがとう。おじさま」




 ブレダが早速、嬉々とした表情でそのカップを受け取り、口をつける。




 しかし、次の瞬間ブレダは突然むせたのか激しい咳を始める。




「どうしたの!?」




 何が起こったのかとリューザが唖然としていると、咳が治まったブレダが怒りの声を上げる。




「って、お湯じゃないの!? 何考えてんのよ、このジジイ! こういう時ってお茶を出すんじゃないのかしら普通!?」




「ちょっと、ブレダ!?」




 リューザが怒り出したブレダを慌てて抑え込んでいると、クレルから反応が返ってくる。




「この村はあまり裕福ではないんですよ、特に最近は……。お茶もなかなか用意できなくて」




「気分を損ねてしまったのなら謝ろう。客人に十分な饗しもできないようでは――」




「そ、そんなに気にしないでくださいよ! えっと……それより、そういえばあの武器は一体何のためにこの村に持ち込まれたんですか? 一見平和そうには見えますけど」




 変なムードを戻すためにリューザは早急に話題の転換を図る。すると、ガストルがすぐにそれに答えた。




「あの武器のことか……結論から言ってしまえば狼退治のためのものだ」




「狼……ですか?」




 この地で多く未知のものと邂逅してきたリューザでも狼くらいは知っていた。もちろん実際に自分の目で見たということはないが、人づてに故郷の村で聞いていたのだ。




「あなた方も見たでしょう、この村の北一帯に連なる山々を。あそこには凶暴な狼が棲みついているのですよ。しかもそいつらはただの狼なんかじゃない、人智を得た凶悪極まりない"魔獣"という存在だ」




「ふーん、それで"魔獣"だと。普通の狼とどう違ってくるわけ?」




 ブレダはドライに尋ねる。




「"魔獣"には"知恵"がある……。"知恵"とは本来人間のみに与えられた恩恵。それをいかなる方法で得たものにせよ彼らはその力を得てしまったのだ。そして、"魔獣"はその知恵を利用し言葉を介して"魔術"を使う。人間の理性と野生の獰猛さを併せ持った、末恐ろしい獣だ……」




 リューザはそれを聞いてマルサルと初めてあった森のことを思い出す。あの時は正に絶体絶命であった。マルサルがいなければ決して生き延びることなど敵わず、あの森で野犬の糧になっていたことだろう。 




 そして、リューザは獣の獰猛さと同時に魔術の脅威も理解していた。時に、瞬く間に傷を癒し、時に生命を刹那にして奪い取る。クレルとマルサルが見せたものだ。 




 "魔術"を使う獣、そんな物に襲われたら一溜りもないのは確かだ。




「そして、その狼どもの首領の首を落とすのが我々の宿命……。我が村もそろそろ限界を迎えようとしている。手を打つなら今ということだ……」




 なるほど。ただでさえ凶暴な狼に"魔術"を使われては、"魔術"を持つとはいえど村人としては分が悪い。だからこそ、その狼を退治するために"魔術"とは別に対抗する手段として武器を用意したということなのか。リューザは納得した様子を見せる。


 しかし、一方のブレダは半信半疑の様子だ。




「でもなら、おかしいわ。どうしてアンタたちはこんな危険な場所に村を構えてるわけ?」




「それはな――」




 ガストルが答えようとしたところで、突如奥の扉が開き一同の視線はそちらへと向けられた。そんな中、口を開いたのはガストルだった。




「おぉ、ギャレットだったか」




 ギャレットと呼ばれたその青年はどことなく面妖な容貌をしていた。美しく光る短い銀髪に、刃のように鋭く炎のように煌く紅い瞳。そして、室内にも拘らず首と口元を覆う不気味な黒いマフラーをしていながら、衣服は上下ともに袖の短い白い麻布を纏い脚や腕の先が露出している。今まで会った者たちとは一線を画すような独特な雰囲気が感じ取れた。




「シフォンダールから武器が届いてこの家の真ん前に荷車ごと置いてから、それを納屋に置きに行ってくれ。頼んだぞ」




 ギャレットは軽く頷くとリューザたちを一瞥すると表情を一つも変えずに軽くお辞儀をして、そそくさと屋外へと出て行ってしまった。


 ガストルは再びリューザたちに目を向けて話を再開する。




「ああ、あれのことは気にせんで。口数の少ない奴でして……。おっと、すまんな話がそれてしまった。ああ、そうだ。泊まって夜を越したいのなら、ここで休んでいきなさい」




 そう言うガストルにクレルは慌てて反論する。




「いえ! ガストルさんにご迷惑をかけるわけには……」




「サーフェナに無理をさせるんじゃない。クレルも用が済んだなら早く姉の元へ行ってやりなさい」




 ガストルが落ち着いた様子でそう窘めるとクレルはしおれたようになってしまう。彼は姉を引き合いに出されると途端に弱腰になってしまうようだ。




「はい……。では、よろしくお願いします。そう言うことなので、リューザさんとブレダさんも最後までお付き合いできずすみません。明日ぼくが案内しますから、朝になったらぼくの家まで来てください」




「うん、ここまでありがとう、クレル!」




 リューザがそう言うと、クレルは扉を開けて小さな体躯を夜闇に走らせていくのだった。




 それを見送ったところで村長が口火を切る。




「さて奥に客室もあるから、そこで休んでいくといい。ここまでの旅でお腹もすいているでしょう。軽い食事の提供くらいならできる。……粗料理なのはどうか許容していただきたい。最近は不作続きでしてね」




 そういうと、ガストルは奥の扉を開けて部屋から出て行ってしまう。


 そして入れ替わりになるように一人の人物が今度は現れた。






 黒いエプロンを纏った細身の若い女性だ。頭には白いスカーフを被っている。




「まあ! かわいらしいお客さんだわ!」




 女性は笑みと驚きの表情を浮かべてリューザたちを見る。話を聞くと、彼女はここの村長の孫なのだそうだ。




 愛想のよい彼女が振舞って出てきたのはこの村で作られたジャガイモを使ったポタージュだ。塩味は薄くブレダには不評だったが今のリューザにとってはご馳走であり、それだけでも大満足だった。




 食事を終えると彼女に客室へと案内される。


 広くはないものの天井は高く、高窓までついている。




「ごめんなさい、この村にお客さんなんてなかなか来ないから、今さっき急いで掃除をしたから埃が少し残っているかもしれないわ」




「大丈夫ですよ! こんなに立派な部屋に泊まれてボクは満足ですよ」




「アタシは不満だけど!」




「……すみません――」




「では、ごゆっくり」




 ブレダの小言でリューザは顔を真っ赤にする。女性はその様子を微笑ましく見つめながら部屋を後にした。








「ねえリューザ? ここの村長さん、何か隠し立てしてる気がするのよね、お茶を濁してるって言うか。アンタも何か気にならなかった?」




 村長の孫が部屋を出るなりすぐにブレダがそう言ったのでリューザは慌てて言葉を返す。




「まさか詮索する気なの!?」




「そんなことしないわよ。ここへ来た理由はあくまで"解術師"に会うことなわけだし……。でも、親切な人に限って裏があるってのはよくあることよ? つまりはこの村を出るまであ注意しておきなさいっていうアタシからの警告ってわけ」




「そっか……うん、心に留めとくよ……」




 そう言うとリューザは被っていた緑のフードを脱いで、少し伸びた髪を後ろで束ねていた髪留めを外す。




「ふーん、アンタその髪留め気に入ってるんだ」




 リューザが今手にしている髪留めは森で意識が戻った時にリューザが身に着けていたものだ。あの後もこの髪留めだけは肌身離さず付けていたのだ。




「なんだか便利でさ。ほら、ボクの髪って結構あちこちに跳ねやすいから……」




「あらそう」




 ブレダが興味なさそうにそう答えると、リューザはベッド横の机の上に置いてある蝋燭に寄っていく。




「それじゃあ。灯り消すよ?」




 リューザが蝋燭に灯る火を吹き消そうとすると、ブレダが慌てて止めに入る。




「ちょっと待って! 消す前にこれ外すから」




 そう言うと、彼女は両手を後ろの首筋に持っていき首飾りを外していく。すると、その首飾りの銀の鎖の先から橙の暖かな光を放つ宝石が現れる。どうやら彼女が身に着けていたのはネックレスではなくペンダントのようだ。




「あれ? ブレダのその首飾り、ペンダントだったんだね」




「ええ、宝石なんて表にぶら下げてたら強盗にとって格好の餌食になりそうだから普段はこうして服の中に隠してたってわけよ。どう? アタシに似合っててかわいいでしょ?」




「少しは反省してよ……」




 リューザはあの時のことを思い出して苦い顔をする。


 そして、ブレダが外したペンダントを机の上に置くのを確認すると、リューザは再び灯りによって行く。




「じゃあ今度こそ消すよ?」




「ええ、さっさと消しちゃって」




 ブレダがベッドに仰向けになってそう言うと、リューザは小さく灯った炎をそっと吹き消した。




 室内は闇に閉ざされる。雲が厚くなってきたせいか、隠れた月明りは高窓から差し込んでこない。そのまま、倒れこむと久しぶりの柔らかいベッドに寝転がるとリューザはすっかり体の力が抜けてしまう。




「ねえ、リューザ……」




 床についてふとブレダが小声で呟く。




「どうしたの?」




「アタシたち……。……やっぱりいいわ。さっさと寝ましょう、明日の朝一番に"解術師"の所へ行って少しでも多く情報を得るためにもね。それじゃあ、おやすみ」




 何か誤魔化すように早口でそう言うとブレダは口を閉ざしてしまった。




「うん、おやすみ、ブレダ」




 高窓から月光が部屋内に吸い込まれリューザを照らす。リューザの意識が無くなるときふと山の向こうから遠吠えが聞こえた。




キャラクター紹介




ガストル  63歳、ジュノ村の村長。白髪の老人で物腰柔らかで穏やかな性格。


ギャレット 20歳、ジュノ村に住む青年。常に不気味な黒いマフラーを身に纏っている。

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