第三十七話 ジュノ編 ~ジュノの森~

 大木が無秩序に並び立つ傾斜、辺りは清らかな空気で充たされている。




 いつかの時と同じ感覚を、リューザ今まさにリューザは再び体験していた。


 リューザはゆっくりと四方八方へと目をやる。するとそこは森の中だということが分かった。




 見渡す限りの大木。太い幹枝に高い樹高、所々根が地上に表出している。


 そして、その森は今までリューザの訪れた場所でないことを感覚的に理解することができた。




 いったいここはどこなのだろうか。


 リューザは出口を求めて当てもなくひたすらに森を彷徨い始める。


 しかし、先を行けど一向に景色が変わる気配がない。そのせいか、木々の間から漏れる陽光すらも不気味に感じてしまう。




 途方に暮れてると、ふとリューザの耳に遠くから水音が聞こえてくる。その音に導かれるままにリューザは音のなる方へと足を進めていく。




 そして、その先へと行き着いた時、リューザの目の前にあった光景はそそり立つ断崖絶壁だった。見上げた所にある岩の灰色に光る崖肌は所々を緑の苔に覆われている。そして、その崖を緩やかに突出した岩に幾度も打ち付けられながら滝が流れているのだ。




 ふと、その滝の下を流れる川の方へと目をやると一人の少年が滝壺付近の岩場で戯れているのが見える。一体少年はこんな場所で一人で何をしているのだろうか。リューザは彼に話を聞くついでに人里への道を尋ねようと滝壺へと足を向ける。




 しかし、足を踏み出したその時。滝壺にいる少年の視線の先、一歩前進するまでは岩陰に隠れていた所に目をやった時、そこにあったものを見てリューザは戦慄する。




 ――――!




 なんとそこには一頭の獣が四つ足で少年に対峙するようにリューザの方に背を向けて立っていたのだ。見た目は野犬のようだが、その図体の大きい人間の大人にも勝るとも劣らないその体躯は、リューザの知っているそれとは全く異なっている。白い毛並みを鋭く立てながらその獣は一歩一歩と少年の方へと歩み寄っていく。




 リューザは声を出しそうになるが、その迫力とそれに対する恐怖心からか声が一切出ない。ならばと、次の瞬間、気が付けばリューザの脚が前方へと出ていた。




 しかし、その方向へと駆け降りようと飛び出したその時、リューザは突如のぼせいった感覚に陥り目の前が暗く消失していくのだった。目の前にいる一人と一頭の行く末を知ることもなく……。







「あら、リューザ。どうしたの? ただでさえ悪い顔色がさらに悪化してるけど、大丈夫?」




 気が付くとリューザは目を覚まし体を起こして目の前の虚空を見つめていた。ブレダの声に気が付いてリューザは漸く気を取り戻す。夢での出来事が脳裏にまだ焼き付いている。こんなにはっきりした夢を見たのはマルサルの家で眠った時以来だ。そして、場所にも現れたものにも関連性はなかったもののどこか似たところをリューザは感じとったのだ。しかし、その類似の理由の正体を確信できないことがリューザにとっての違和感にさらなる拍車をかけるのだ。




 そんな考えに耽っているとブレダが叫ぶ。




「話しかけてるんだから何とか言ってみなさいよ!!」




「ああ、ごめん……。ボク、何か変だったかな……?」




「はぁ……別に、アンタがおかしいのはいつものことでしょ。アンタもさっさと用意しなさい。あの子を待たせたくはないでしょ」




 手応えのない受け応えに呆れながら、ブレダは無遠慮にそう答えると髪を束ねてペンダントを首に着けて身支度を終えていく。見上げてみれば、高い窓から朝日の光が部屋の中に差し込んでいる。それを見るとリューザはベッドから起き上がる。




 そして慌ただしく身支度を終えると、二人は村長宅を後にして、まだ薄暗い村の小道をクレルの元へ向けて歩いていくのだった。








「どうか、お引き取り下さい」




 クレルの家に近づいていった時、突然そちらの方向から声が聞こえてきて、リューザたちの耳に入ってきた。




 聞こえてきた方を見てみれば、家屋の扉の前にクレルが仁王立ちしているのが見えた。そして、彼の目の前には少し癖のある黒髪を持ち、土色のシャツに緑色のベストを着た長身の青年が片手を下衣のポケットに入れ立っていたのだ。




「いいじゃないか。サーフェナだって僕を心待ちにしているはずさ」




 そう言う青年はどこか、軽い雰囲気のする人物でブレダは初めて会ったにもかかわらず露骨に顔を顰める。




「そう言われましても、お姉――。あ、リューザさん!」




クレルは向かってくるリューザたちの姿を見るなり、声を上げる。




「ちょっと! アタシもいるんだけど!」




 名前を呼ばれず無視されたと感じたブレダは不機嫌そうに自分の存在をアピールする。




「どうかしたの、クレル?」




「ああ、ごめんなさいリューザさん。実はお姉ちゃんの体調が今朝から悪いみたいで……」




 そうクレルが困り顔で言うなり、青年は横槍を入れる。




「サーフェナのことは僕に任せて君たちの案内に行けばって言ってるんだけど、弟君はなかなか聞いてくれなくてね。サーフェナのフィアンセである僕のことはもっと信用してくれてもいいんだよ?」




「フィ、フィアンセ……? この人がぁ?」




 拍子抜けした様子で戸惑うブレダを横目にクレルは青年に対して言い返す。




「あなただからこそ心配なんです。それにゼディックさんはお姉ちゃんのフィアンセではなく恋人でしょう?」




「僕に対しては強気でくるんだねぇ、弟君は」




 その言葉にクレルは少しむっとした表情を浮かべるも、すぐに顔色を戻して平静に話を進めていく。




「とにかくお姉ちゃんに近づくなとは言いませんが、容体が優れない時くらいはそっとして置いて下さい」




 そう一言添えると、クレルはリューザの方へと申し訳なさそうに目を向ける。




「というわけで、すみません。ぼくはここに残ります……」




「そっか、大事なお姉さんのためだもんね。ニファさんの所への道はそこなんだっけ?」




 リューザが穏やかな様子で今歩いてきた道の延長を指さしてそう尋ねると、クレルはハッとした表情で答える。




「そのことなんですが、代わりの案内はギャレットさんにお願いしてあります。わかりますよね? 昨日、村長の家で会った人です。そろそろ来るはずなんですが……。あっ、来たようですよ!」




 クレルは少し背伸びをしてリューザたちの後方を眺めるようなしぐさをすると、すぐに嬉々とした様子を浮かべた。リューザとブレダが振り返ると、そこには黒いマフラーを巻いた青年、ギャレットが立っていた。




「ああ、ギャレットさん……ですよね。ボクはリューザ、こっちは一緒に旅をしているブレダです」




「ふーん。この人、頼りになるのかしら?」




 ブレダが軽く人差し指でギャレットを突っついてみるが、彼からの返答は一切ない。




「それじゃあ、ギャレットさんよろしくお願いします!」




「サーフェナさんもお大事にね」 




「はい、ありがとうございます!」




 リューザたち一行は、クレルと別れるとギャレットを先頭に村の端にある林道から森の中へと入っていくのだった。










 薄暗い森の中。周りの木々の種は道を進むにつれて変わり、樹高はどんどん高くなり、幹は太くなっている。




 長い時間、森の小道を歩いてきたが、ブレダとリューザは他愛もない話を延々していたものの、一方で二人の前を行くギャレットは一切言葉を発していない。




 リューザとブレダが話かけようとも、一言も発してはくれないのだ。昨日、初めて会った時の様子と言い、どうやら彼は相当無口な人物らしい。




「何も喋んないのね。なんだか感じ悪っ。軽口たたくやつも腹立たしいけど、寡黙すぎるってのも考えものよね。ほら? 何とか言ってみたらどうなの?」




 会話が弾まないことに痺れを切らしたブレダがそうおちょくって悪態を突いてみるものの、ギャレットはそれに反応するどころか、ブレダの方へと見向きすらせず嫌な顔一つする気配がない。




「アタシの声が聞こえてないのかしら? こんなに反応がないんじゃ、張り合いもなにもないじゃない……」




 その全く動じない様子にブレダも怒りを募らせていくのと同時に若干諦め出している。森の小道は軽く整地されているおかげか、かなり歩きやすい。




 歩き始めてからというもの、ブレダはずっとこんな調子だった。しかし、流石に彼女も限界が来たようでギャレットをおちょくり始めたもののそれにも飽きてしまったようだ。




 そんな中、リューザはふと先ほどからの、奇怪な森の様子を見ていてあることに気が付く。




「それにしても、この場所って……」




 周りを見渡していると、リューザは今いる場所に若干の既視感を覚えたのだ。正に今朝リューザが夢の中で見た光景だ。全く同じとは言えない物の、道をそれた先にある木々の連なる景色や雰囲気は夢で見たものと瓜二つだ。何か関係があるのだろうか。もしかしたら、正夢だったのかもしれない。だとしたら、夢で見た巨大な野犬は……。




 しかし、思考を巡らせればするほどに混乱は増すばかりだ。




 考えすぎても仕方がない単なる偶然だろう。そう割り切って小道を進もうとしたその時。




「きゃっ! もう急に何よ!」




 ブレダから突然の軽い悲鳴が上がる。


 その声にリューザも顔を上げると、ギャレットが立ち止まり振り返ってリューザたちの方を見ていたのだ。




 そして、彼の肩越しに見えた光景にリューザは息を吞む。




 奥には妖しく佇む一軒の家屋。




 その辺りは木々が途切れていて、下草の生えた平地になっている。そしてその家屋はと言うと、白塗りの壁に錆色の瓦葺の屋根の家だ。そして、その屋根が相当に高く積まれているせいか建物自体が大きく感じられる。




 そして、屋根の煙突からは不思議な煙がしきりに噴き出していて、その煙が靄となり家全体を色鮮やかに染めている。




「なんだか、いかにも魔法使いが住んでるような佇まいだね」




 その、異様な様相にリューザは驚きながらも正直な感想を述べる。




「へえ、ここが"解術師"の住居ってわけかしら? なら早速、ここに住んでるっていうアウトロー気取りの偏屈な魔術師の顔を拝んでやりましょう!」




 ブレダは悪戯に口角を上げて笑みを浮かべると、森の家へと歩みを進めていくのだった。その後ろをリューザとギャレットが追っていく。





キャラクター紹介




ゼディック 21歳、ジュノ村の好青年風の男。サーフェナの恋人だが弟のクレルからは少し疎まれている。

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