第十八話 来訪編 ~旅立ち~
朝の森。気温が低いせいか、森一帯は霧に包まれている。日はもう既に出ているが、白い霧と森の木々が空を覆いつくし、辺りを暗くする。
小屋の扉が開き、三人の影が現れる。
「それではマルサルさん。今までお世話になりました」
緑の上着に袖を通したリューザがマルサルに礼を述べた。
「気にすることはないよ。君たちを放っておくわけにもいかなかったしな。それから二度とこの辺りには近づくんじゃないぞ。次、ここの獣どもに襲われたら助けてやれる保証はないからね」
「まあ、アタシもこんな危険な場所になんて二度と来たいだなんて思わないわ」
「では、道中気を付けるんだな。君たちの想いが成就することを願っているよ」
リューザとブレダは振り向き、小屋を後にしようとする。
その時、二人を見送ろうとしたマルサルだったがふと思い出して二人を呼び止める。
「おっと。これを持っていきな」
マルサルは突然声をかけ紐で口を閉じられた革製の小袋をリューザに向かて投げる。それをリューザが振り返り慌てて垂直上方向へ跳んで手にしたのを確認するとマルサルが言う。
「餞別だよ。こっから先にデカい街があるが、そこじゃあそれがなきゃ生きていけないさ」
それを聞いてリューザが袋を開いてみると中にはキラリと光沢を持った小さな円盤状の物体がいくつか見えた。目視で数えてみてもそれは十枚を優に超えており、この世界に全く精通していないリューザにとってもそれが良心から一文無しの一旅人に与えても良い量を超えていることは容易に理解できた。
「こんなに沢山……なんだか悪いです。受け取れません」
「黙って受け取っときな、死にたくなけりゃね。これは忠告だよ」
驚きに慌てるリューザの様子にマルサルは冷静な返答で返す。
リューザは抵抗しようとしたが、そんなに強い言葉で言われてしまえば引かざるを得ないような気がした。
実際にこの世界にはリューザの知りえないことがあまりにも多すぎるのだ。それは、人を襲う獣然り、マルサルが放っていた魔法然りだ。ここは、マルサルに従った方がよいのかもしれない。
「そうだ……なら、何か粗品でもあれば」
リューザは礼物になるものはないかと、麻袋に手を突っ込んで漁り探す。そんなリューザを哀れに思ったようだ。
「私は見返りなんて求めてないんだ。うちを質屋がなにかだと勘違いしてるのか?」
「そうね。マルサルさんも、そう言ってるんだしいいんじゃない? アンタ、しつこすぎるから、気遣いを越えて最早ウザイわよ」
「そ、そんなぁ……」
狼狽えるリューザにマルサルは思い出したかのように言葉をかける。
「そうだ。なら、それから馬貸しに一月の間はここを訪れないように、そして誰も近づかせないように、と言っておいてくれないか?」
「馬貸しの人ですか……?」
「そうだ。彼らはよくここを訪れるのでな……。頼まれてくれるかな?」
「お安い御用ですよ! 恩人であるマルサルさんのためですから!」
リューザは笑顔でマルサルに答える。
「では、今度こそお別れだ」
マルサルのその言葉に、リューザとブレダは別れの言葉を述べると再び森の方へと歩き出した。
「君たちの旅に栄光あれ」
そう言うとマルサルは一人、霧の中へと二人が消えていくのを見届けるのだった。
マルサルが森の入口に位置しているといっただけあって、リューザ達は直ぐに森を抜けることができた。
そして、森を出た時、ユーザの目の前に広がっていたのは地平の向こう側まで続く草原だった。その広大で真っ平らな草原の大地に驚かされる。リューザの故郷では辺りを湖や丘、山々に囲まれていたため。こんな景色を見たのは初めてだったのだ。気が付けば霧が晴れている。
しかし、空は明るく開放感をこの上なく感じる空間であるにも拘らず、リューザはどこかもの寂しさを感じずにはいられなかった。一人、茫洋とした世界に立たされる孤独感がリューザの心の中に差し込む。
「ちょっと、リューザ。ボーっとしてどうしちゃったの?」
「ああ……ごめん。なんだか、こんな景色を見るのが初めてだったから少し耽っちゃってたよ」
「あっそう。流石は田舎者の感性って言ったところね」
森は丘の上にあったようで、目の前は暫くは下り道になっている。そして、左右を見れば白と黒の岩壁が地平線の彼方まで連なっている。その崖は険しくとても人の上れるような傾斜ではない。
地図で見た通り、この辺りは崖に囲まれている。その崖が放射状に先へ先へと進むにつれて広がりを見せていた。崖壁はというと急斜面で色は灰色をしており、時折日の光を反射して光沢を放つ。
「ねえリューザ……。マルサルさん、どうしてあんなにアタシたちに親切だったのかしら……」
丘を少し下ったところでブレダはリューザにそう言い放つ。突然の問いかけにリューザは困惑の表情を見せる。
「どうしてって。それは……」
「あの人が人徳に溢れてるってのは無しよ」
図星をつかれたリューザは頭を抱えてしまう。
「だって明らかに普通じゃないでしょ? 例えここの人が親切だったとして、一切の返礼なしにアタシたちにここまで面倒を見るなんて」
「ううぅ……。でも、そうでもなければマルサルさんがボクたちを助ける意味ってあるのかなって……。第一マルサルさんにとってボクたちは赤の他人じゃないか。親切じゃなければどうしてボクたちに、あんなに献身的にしてくれったっていうの?」
「さあね。ただ、助けてもらってなんだけど、マルサルさんって"そういう類の人間"じゃないような気がするのよね」
ブレダは自身の手を顎に当てて、思わせぶりな態度を見せた。
「どうしてわかるの?」
「勘ってやつかしら?」
「もう……揶揄わないでよ!」
リューザが困ったようにそう言うと、ブレダは少し怪訝そうな顔でリューザを見る。
「あら? 揶揄ってなんていないわよ? アタシの勘って結構当たるの」
「…………」
リューザも思うところがあったのか、彼女の言葉に沈黙する。
「ふーん。……まあ、そうね。折角の厚意なんだから、何も考えずに受け取っておくのがいいのかしらね」
そう言うとブレダはリューザから目を逸らして、再び行く先を見つめなおした。
ブレダの言葉にリューザは少しの戸惑いを感じた。口では否定したものの、確かにマルサルがリューザたちに与えた施しはどうにも善人という言葉で片づけられる程度のものではなかった。何か裏があるとでもいうのだろうか……。
そして、なぜ彼女があんな辺鄙な地に一人で住んでいたのかについても、リューザは気にはなったものの結局聞けずじまいだ。その上、助けてもらった身にも拘らず彼女自身のことは何一つ知ることはできなかった。恐らく彼女自身もそのことに触れる気はなかったのだろうが……。
彼女のことを思い返して、リューザは木々の生い茂る森へと振り返る。もし彼女と再び相まみえる機会があれば、その時こそは彼女の真意に少しでも近づくことができるのだろうか。
「ちょっと、リューザ! そんなとこで何やってんのよ! アタシは歩き疲れたの、さっさとしてくれないかしら?」
気が付けばブレダは丘をかなり下っていた。リューザも彼女に怒りの言葉を掛けられながら、急かされるように森を発っていった。
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