第八話 暗い森

 そして翌朝。


 リューザは目を覚ました瞬間に飛び起きると、部屋にある麻袋を手に取ると、栓付きの瓶に巻物、複数の麻縄……と手あたり次第に物を詰め込む。


 一通り詰め込み終わると、まだ寝ているであろう両親を起こさぬようリューザは音をたてないように身長にゆっくりと梯子を下っていく。


 廊下と居間を抜けて外へ出てみると、冷たい空気がリューザをヒリヒリと刺激した。


 時刻は暁、日も出ておらず、外はまだ薄暗い。


 人一人もおらず、閑散とした空気のみが漂っている。


 風一つない坂道を一人、リューザは膨らんだ麻袋を背に駆け抜けていった。


 太陽が上り始める頃、小さな手漕ぎ船を漕いで蒼の光が指し示していた北西の対岸へと漸く到着した。この小舟は新調するからと言われて村の漁師から譲り受けたものだ。


 リューザの辿り着いた湖北西の対岸は村の者でもあまり近づくことのない場所で、リューザ自身もその風景は初めて見るものだった。浜辺の向こう側には辺り一面に木々が連なっており、広大な森を形成していたのだ。その森を覗いてみると日が出てきているにも拘らず夜闇のような暗さを持っている。


 恐らく光の差していた方向はこの森の中を差していたのだろうとリューザは考える。


 しかし、この森をどう進んでいくかと考えあぐねていると、藪から棒に足元の草むらが音を立てて揺れ動く。


「わぁ!」


 リューザの叫び声と同時に草むらから飛び出てきたのは、栗色の毛並みの小さなフェレットだった。


 その見覚えのある姿を見た瞬間、リューザの背筋が凍る。


 リューザの中で嫌な予感が膨らんでいく。


 その時だ……。


「やっぱりこんなところにいたのね!! アンタを見張って追いかけてきたのは正解だったわ!!」


 甲高く高慢な声が静かな森の中に響き渡る。木陰の中から姿を現したのは、袖の長い白いシャツに赤と黒のロングスカート。それに、豪奢な装飾を施された衣装を纏い指には金銀の指輪をいくつも嵌めた人物。


 ブレダが現れたのだ。


 面食らって逃げ腰になるリューザにブレダは開口一番から怒りを露わにした。


「ふん! それにしても面倒な力仕事はアタシに手伝わせといて、こういう面白そうなことはアタシから隠そうとするなんて根暗なアンタらしいわね!」


「ご、ごめん。でも、ブレダこんなに村から離れたところに勝手に来てたら、それこそフランケントさんに大目玉を食らっちゃうんじゃない?」


 飛び掛からんとする勢いの罵倒にリューザも何とか応戦しようとする。


「はぁ? そんなの知ったこっちゃないわ! アタシの人生なんだからアタシに決めさせなさいってのよ!」


 何とも彼女らしい返答にリューザは狼狽える。


「わかったよ……。でも、危険な真似はしないでよ。怪我でもしたらボクも君もフランケントさんに示しが付かないからね」


「わかってるわよ! さあ行くわよ!」


 そう言うと、ブレダは勇み足で森の奥へと進んでいく。彼女もまた、リューザと同じく冒険への欲望に駆り立てられた人物の一人なのだ。


「ちょっと、ブレダ! 危険だから一人で行かないでよ」


 リューザもそんな彼女を追いかけるようにして森の中へと入っていった。



 しばらく、森の中を進んでいくと木々は葉をさらに伸ばしていき、地上はすっかり暗闇に閉ざされてしまった。


 そんな中、二人は木漏れ日を頼りにして暗闇を歩いていく。リューザは片手に麻袋、片手に麻縄を持って森の中を歩いていた。片端はリューザが持ち、もう一方は湖岸の舟に結びつけたのだ。こうすればその縄を目印代わりに辿れば湖岸に迷わずに戻ってこられるというわけだ。


 リューザ自身は我ながらいい案を思いついたと鼻を高くしていたが、ブレダからは「何よその顔、うざいわね!!」と一蹴されてしまった。



「ふーん、それでこんな場所に態々来たのね。来たはいいものの、何もなかったらどうする気だったのかしら」


 森を歩く中でリューザがこれまでの経緯を話すとブレダは呆れ気味にそう言う。そんな彼女にたじたじになりながらもリューザは話を変えようとする。


「それにしても、対岸って来たことなかったから……村の近くにこういう場所があったなんて知らなかったよ」


「そりゃそうでしょ……ここって"禁域“だし」


「え? 今なんて?」


 ブレダの思いがけない言葉にリューザはあっけにとられて聞き返す。


「だから、"禁域“なのよ。王国で定められてたそうよ。まあ、時代が下るにつれてこの村では忘れられていったみたいだけど。アタシだって王国から送られてきた手紙を遡っていく中で知ったのよ」


「でも、ならどうしてボクについてきたのさ」


「アタシはそういう迷信まがいのことは信用してないの。それにアタシに何かあればアンタが命がけでも守ってくれるはずでしょう?」


 すました表情でそう言うと、ブレダは暗い森の中を再び進んでいった。



 森に入ってからどれ程歩いたろうか、森の中は進めど進めど同じ景色ばかりで時間の感覚さえ忘れてしまいそうになる。木々の葉が重なり合い遮られて空を見上げることができないが、恐らく今頃太陽が頂点に達する時刻になっているのだろう。


「ねえ、もうアタシ疲れたんだけど。まだつかないわけ? 流石のアタシも堪忍袋の緒が切れそうなんだけど」


 歩き疲れたブレダは項垂れながら愚痴をこぼす。踵の高い靴を履いていることもあり、余計に足に疲労が溜まっているのだろう。


「そうだよね……ごめん……」


「はあ? 謝って済ませようってわけ? ねえ、もしこれで何も成果がなかったらアタシを少しでも期待させたアンタのせいなんだからね! どう責任取ってくれるのかしら!?」


「そんな! 勝手についてきたのはブレダの方じゃないか」


「はぁ? アタシに口答えする気!! リューザの癖に生意気よ!!」


 ブレダは感情を露わにすると、怒りに任せてリューザにヘッドロックをかける。


「ぐわぁぁぁ!!」


 あまりの引き締めの強さにリューザは悶絶の声を上げる。


「っていうか、昨日アタシを不快にさせたことを思い出してより一層腹が立ってきたわ」


「そんな理不尽な!」


「もう! ムカつくムカつくムカつく!」


 すっかりヒステリック状態に陥ったブレダはもう誰にも止められない。


「ぐぐぐぐ……」


 気絶しかけ万事休すかと思われたその時……。


 突如、ブレダのリューザを絞める力が抜けていった。


「あ、あれ? 急にどうしたの?」


「ねえ……あれ……」


 そう言いながらブレダが指さした方にリューザも顔を向ける。


 すると森の暗闇の中、一筋の光が目に入ったのだ。遠目に見るとそれは限りなく小さな光であり普通であれば見逃してしまうだろう。しかし今、目の前にあるその光は小さいながらもどこか決して無視することなどできないような、見ているだけで吸い込まれてしまいそうな存在感があった。


「漸く、着いたの……かな」


 その不確かな言葉とは裏腹に、リューザは内心、自身が目指していた場所がそこにあるということを確信していた。根拠なんて一切ない、それでもリューザはその方向へと引き込まれるように歩みを進めていくのだった。

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