第四十五話 ジュノ編 ~ジュノの大河~

「んん? 誰かと思ったらクレルじゃないか」


 そう言って二人の目の前に現れたのは、短い薄檸檬髪に華奢な体つき。身軽そうな服を纏い、腰には短剣を一本提げている。元盗賊だった少女ハノンだ。


 その姿はどこをとっても少年のもののように見えるがどうやら、女性であるらしい。


「ハノンさん、でしたか。こんなところで一体何をしているのですか?」


 彼女とのまさかの鉢合わせに驚くクレルだったが、それでも平静な様子で彼女に尋ねる。


「僕も一緒に連れて行ってよ。出遅れちゃったみたいでさぁ」


 聞くところによると、ゼディックが先程ハノンに手渡していた木箱に手当用の布を入れ忘れていたそうなのだ。彼女が気が付いたときにはゼディックは既に森へと出はらっており、結局彼女一人で布を取りに村へと戻ることになったのだ。


「ゼディックさんって、本当にそういうところがあるんですよね。しっかりして欲しいですよ」


 クレルはやれやれと言った表情でお手上げだと肩をすくめる。


「クレルはゼディックさんのことよく知ってるんだね」


「お姉ちゃんに会いによく家に勝手に来るので、あの人のことは嫌でもわかってくるんですよ」


「そうそう、君は確かリューザだよね」


 そう言って首を少し傾げながらハノンはリューザの方へと目を向ける。琥珀色の目がクリっとリューザのことを捉える。彼女もまたクレルと同様にかなり年が低いようだ。


 そんな彼女にリューザは少し笑みを浮かべながら答える。


「ははっ、名前覚えててくれたんだね。こうして面と向かって話すのは初めてだよね。よろしく」


「こちらこそ」


「ハノンさんの魔術はすんごいですから! きっとリューザさんも腰を抜かしてしまいますよ」


 普段は大人びたような振る舞いをするクレルだが、年相応の無邪気さを見るところはやはり彼も子供だ。そんな様子にリューザは安堵するように僅かに笑みを浮かべる。



「さあ、急ぎましょう。ハノンさんもあんまり遅れるとみなさんから愚痴を聞かされる羽目になりますよ」


「平気平気。ドンガのおっさんからのウゼ―愚痴のおかげで、そういうのにはもう慣れてるから」


 二人が軽く言葉を交わしあうと、一行は再び大河の方へと足を急がせる。


 その時、ふとリューザの前を行くハノンの腰袋から何かが落ちるのが見えた。リューザは立ち止まってそれを拾い上げる。黒い手帳のようだ。表紙も裏表紙も無地のものだ。


「ああ、ありがとう。それ僕のだよ」


 引き返してきたハノンはそう言うと、リューザの手からヒョイと手帳を取り上げる。手帳を彼女が腰袋に入れたところで、リューザが口を開く。


「そう言えばクレルとハノンは親しそうだけど、年が近かったりするのかな?」


「少なくとも僕、君よりは年上だよ」


「し、失礼な。背が低いからよく勘違いされるけど、こう見えてボク16歳だよ!」


 身長が低く童顔なせいで実年齢よりも低くみられてしまうのはリューザの昔からのコンプレックスだ。リューザがむっとしたような表情で反発するも、ハノンは顔色一つ変えずに答える。


「僕は19。君こそ人を見た目で判断しない方がいいんじゃないのかな」


「ぐぬぬ……」


「二人ともこんなところで言い合うのはやめてください。出遅れているんですから急ぎますよ」


 そう言うとクレルはさらに足を速めてしまう。


「ああごめんって、クレル。待ってよ」


 追いかける二人は彼に引き離されないように森を駆けていくのだった。




 激しい水音が轟轟と辺りに響き渡る。ジュノの森とジュノの密林を東西へと分かつ幅の広い大河が目の前に広がっている。


 そして、この大河は人間と魔獣の住む領域を隔てている巨大な自然の障壁だ。流れ自体は激しくない物の、泥で濁りきった大河を流れる水量は非常に多く、泳いで渡ろうとすれば忽ち流されてしまうだろう。小舟で行こうにも流れに巻き込まれて沈んでしまいそうだ。リューザはその幅の広さと迫力にただただ圧倒されたのだった。


 しかも、この景色と似たものをリューザは夢で見た気がするのだ。そのことと何か関係があるのだろうか、それとも単なる偶然なのか。


 リューザが逡巡しかけるが、すぐにそれは遮られる。


「ひぇーーー! ジュノの大河ってこんなにも浩大だったなんてね。確かにこれなら人界と自然界を分かつのには十分だ」


 ハノンは度肝を抜かれたかのように叫ぶ。どうやら彼女もここを訪れるのは初めてらしい。 


 森を抜けて間もなくして第一部隊と合流すると、クレルは別の部隊に配属されているからと言って西の方へと別れたのだ。


「これを渡るわけか」


 静かに呟くハノンにリューザは疑問符を浮かべる。


「でも、こんな急流どうやって渡るんだろう?」


「"魔術"を使うのよ」


 リューザは不意に後ろから声を掛けられる。その声の方へと振り向くと、そこに立っていたのは青い長髪を綺麗に束ねてリボンで結んだ女性だった。


「あなたは……?」


 戸惑うリューザに女性は答える。


「私はサナ。あなたと同じで第一部隊に配属されたのよ。あの、ドンガの従妹って言ったらわかるかしら?」


 その言葉でリューザは思い出す。彼女は昨日の会議でドンガの隣に座って、時折彼を宥めていた女性だったのだ。


「昨日は兄さんが失礼を言ってごめんなさい。血の気の多い人だから、いつもああなのよ」


「ボクは大丈夫ですよ。……そういうの、慣れてますから……」


 リューザの頭にはブレダが浮かぶ。彼女の理不尽な性格に比べてしまえばドンガなんて可愛いものだ。


「それはそうと、ボク見ての通り"魔術"は使えないのですが、渡る方法ってありますか?」


「ああ、そういえばそうだったわね。……ギャレット、ちょっと手を貸してくれる!」


 そう言うと、彼女は岸の縁で対岸をずっと見つめていたギャレットへと声をかける。彼女の呼びかけに応じてギャレットはリューザたちの方へと向かってくる。心なしか、ギャレットの付けている黒いマフラーが昨日にも増して大きくなっているような気がする。


「この子を向こう岸へ運んで欲しいんだけど、いいかしら? 人数もそろったことだし、私たちもそろそろ向かうわよね?」


 サナの言葉に無言でうなずくと、ギャレットはそっとしゃがんでリューザの方に背を向ける。リューザがその様子に戸惑っているとサナがリューザに声をかける。


「背に乗ってってことよ。もう、このくらい自分で言いなさいよね」


 サナがじれったそうにそう言う。

 人におぶられるのは不本意だったが、サナに言われた通りリューザはギャレットの背に乗っかる。


「じゃあ、私たちも後から行くから」


「リューザも気をつけな。向こうは狼の棲み処だ」


 サナとハノンがそう言うと、ギャレットは何やらブツブツと文言を口にする、クレルがシフォンダールの町で唱えた時と同じように。すると、突然ギャレットの足元に気流が発生したのだ。その気流に乗っかるようにして彼が脚を伸ばすと、そのまま身体が高く宙へと飛び立った。リューザのフードが風で頭から外れ、彼の黒い髪が露わになる。


「うわぁぁぁ!」


 リューザは思わず目を閉じ、振り落とされまいとギャレットの肩を握りしめる。ギャレットの足元から放たれた気流が背負われたリューザにまで届く。そして、下降して大河に脚が付きそうになるところでギャレットの足元に再び気流が発生して彼らを上昇させる。


 リューザはそっと目を開ける。


 慣れてくればそれほど怖いものでもない。天が近く感じる。見下ろした先に見える大河は絶景だ。後ろをふと振り返れば先程まで歩いてきた森が広がっていて、遠くにジュノの村やニファの家が見えた。高く舞い上がり下降して発生する逆風と、足元から上って来る気流も心地よい。


 そして、目の前に広がる対岸の森がどんどん近づいてくるのが見える。深く暗い森。そこには禍々しささえ感じられるのだ。


 愈々戦いが始まるのだ。もう後には引けない。リューザは降りかかる不安を抑え込みながら対岸の森をギャレットの背の上から見上げるのだった。



キャラクター紹介



ハノン 19歳、元盗賊、現在はジュノの村に居ついている少女。



サナ 33歳、ドンガの従妹の女性、ドンガとは対照的な性格で感情的なドンガに手を焼いている。

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