第十六話 来訪編 ~魔術~
狭い木組みの廊下を歩いていくと、いくつかの扉とすれ違い、突き当りで居間へと出た。居間とは言ってもリューザの眠っていた小部屋より一回り程広い部屋だ。その中に、調理場と食卓がありかなり窮屈な印象を受ける。
そしてその食卓を挟むように、マルサルとブレダの二人が椅子に座って白いカップで茶を飲みながら談話をしていた。
「リューザさん。身体の方はもう大丈夫なのかい?」
居間へと入ってきたリューザにマルサルが声をかける。
「お陰様で、体調は万全です。お心遣い感謝します」
「気にすることはない。君たちが無事ならそれでいいんだ」
微笑むマルサルにリューザは何もできない自分を少しだけ咎めてしまう。
すると、ブレダがマルサルに向かって叫んだ。
「そうだわ、マルサルさん! リューザも来たことだし、さっき言ってた"話"をしてもらえるかしら?」
「なら単刀直入に聞こう。……君たちは"ウデウナ"という地名を一度でも聞いたことはあるだろうか?」
その言葉にリューザとブレダは思わず首を傾げてしまう。ウデウナなどという地名はフエラ村を出たことのないリューザどころか、シャグレド王国までの地名を把握しているブレダも聞くところではなかったのだ。
そんな困惑する二人を見てマルサルは得心したように頷く。
「やっぱり、そういうことなのだろうか……。君たちが混乱するのも無理はない。もしかすると君たちが受けたのは、"転移の魔術"なのかも知れないな……」
「魔術ですか……?」
リューザはマルサルの言葉に僅かな疑念を抱く。ブレダも同様だったようで声を大にする。
「ちょっと待ってよ! 魔術なんてありもしないこ……」
そう言いかけてブレダは口を噤む。マルサルが森で放った火球。あれは明らかに手品の類ではなかったのだ。あれを見てしまった以上、ブレダには断言することなどできなかった。
「もう意味わかんない……魔法って何よ! 魔術って何よ! おかしいじゃない! どうしてそんな空想の物がこの世に存在してるわけ!?」
ブレダは自分の常識を壊されたことによる、行き場のない怒りに拗ねたように顔を背ける。
そんなブレダの様子に少し驚いたような表情を浮かべるマルサルに対してリューザが問いかける。
「マルサルさん。ボクたちは本当に魔法なんてものを知らないんです。ここに来るまで見たこともありませんでした。マルサルさんがあの夜見せた炎。あれは魔法だったんですか?」
「そうだ。確かにあの日、君たちが見たもの、私が見せたものは、恐らく君たちの言う"魔法"であると思って間違いない」
「「……!」」
彼女の毅然とした態度から彼女が嘘を言っているようには到底思えなかった。リューザとブレダの二人は顔を合わせて息をのむ。
その様子を見て、マルサルも納得したといった顔で話をつづける。
「そうか……なら君たちは、本当に遠い地から、この地へと飛ばされてきたのかもしれない……」
「魔術は人間に与えらえた、この世界における特権だ。人が信じ、共有することで魔術は目に見える形で具現化した。魔術の歴史は、人の歴史と共に時代を歩んできた。その中で、片時も人々に恩恵を与え続けていったんだ」
情報を整理するためにリューザはふとマルサルに疑問を投げかけてみる。
「うーん……魔術って結構便利なものってことなんですかね……?」
「ああ……。でも魔術だって万能じゃない、場所を選ぶんだ。使える場所があれば使えない場所もある。ただ有って損がないことは確かだ。特にこの辺りの獣は気性が激しいからな、腕によっぽどの自身がない限りは魔術に頼った方が賢明だろう」
「うーん、でもボクたち魔術なんて使ったこともないからなぁ……」
リューザの疑問にブレダも便乗する。
「そうよ! 一体どういう原理で魔術を使用してるわけ!?」
「うーん……それなら"解術師"に頼み込むことだね。……ああ、"解術師"っていうのは簡単に言えば術を人に教える能力を身に着けている人のことを言うんだ。魔術師の中では比較的上位に位置づけられる存在だよ」
「マルサルさんは出来ないのかしら?」
ブレダの質問にマルサルは少し大げさに否定する。
「とんでもない! 魔術を使うのと人に教えるのじゃ、全然必要な技能が違うんだ。特に魔術を人に教えるのには術者に相当の技量が必要になる。私にはそこまでの力はない。ここにいれば誰かに教える必要もないしな」
そう言い切ると、マルサルは軽く咳払いをして続ける。
「兎に角、今はこの地のことを知る必要があるだろうね。私に教えられることなら、出来る範囲で何でも教えよう。それと、元の世界に帰りたいなら自ら魔術を身に付けた方が良いのではないかな」
「確かにそうね……未知の場所でずっと手探り状態ってわけにもいかないわよね……」
「……」
「リューザさんはどうかな?」
黙り込んでいたリューザだったが、マルサルが顔を近づけて話しかけてきたので、リューザは少し驚きつつも反応を示す。
「あっはい……。そうですね、検討してみます」
「それに君たちにも、きっと時間が必要だろう。じっくりと二人で相談して今後のことを決めるといい」
「はぁ……なんだか頭痛くなっちゃう。ちょっと外の空気でも吸ってこようかしら……」
そう言うとブレダは居間の扉から外へと出て行ってしまった。
「何から何まで、ありがとうございます。このお礼はいつか必ず……」
「いいや、そんなのは気にすることはない。時には頼ることも大切だ。ここは一つ、私のメンツを立たせるということで手を打ってはくれないかな?」
そこまで言われてしまってはリューザも引き下がらざるを得ない。それに、これからのことだってしっかりと考えなくてはいけないのだ。
「わかりました。ありがたく受け取っておきます……」
リューザはぎこちなく答えると、ブレダを追って外へと出ていった。
外へ出るとやはり辺りは鬱蒼とした森に包まれていた。しかし、こちらは少し木々が疎らに立っているせいか、日の光が木漏れ日となって暖かい明るさを感じられた。
森の中をまっすぐ歩いていると、泉が見えてきた。ブレダはその泉のそばで、一人佇んでいた。
リューザが来たことに気が付いたのか、ブレダは口を開く。
「なんだかとんでもないことになっちゃったわね……」
「そうだね……ごめん、ブレダ。怒ってるよね」
リューザの悲観したような声にブレダも沈んだように答える。
「なんかもう、そんな気にもなれないわ。パパ、今頃アタシのこと心配してるのかな?」
「そうだよね、フランケントさん、心配してるよね……。きっとボクの父さんと母さんも……」
リューザの脳裏に両親の姿がふと映る。
すると突然――。
「いいえ、心配してるに決まってるわ。だってこんなにも可愛い一人娘がいなくなったんですもの、そりゃ心配するに決まってるわね。語学堪能、才色兼備、文武両道で絢爛豪華でしかも…………」
ブレダは狂ったように独り言の自己アピールを始めてしまった。延々と自分の良さを口ずさむ彼女にリューザも心配と呆れの半々な心情になる。
しかし、ここからどうするべきなのかリューザには迷いがあった。勿論こんなところに飛ばされてしまったのは好奇心が招いた災いに他ならない。今すぐにでもフエラ村へ帰る手立てを模索すべきなのだろう。
それでも……。
そう頭を巡らせていた時、自己アピールを終えたブレダがリューザに向かって声をかけたのだ。
「それでどうすんの? 帰る? それともアンタの大切な友人でも探すのかしら?」
「ブレダ……」
リューザは少し驚いたような表情でブレダの顔を見る。
「っていうか思うところがあるんなら、さっさとアタシに言うべきだわ! アンタはアタシの僕しもべよね? 僕なら僕らしくご主人様への報告を怠るんじゃないわよ!」
「そっか、気付かれてたんだね……」
「そうね。だいたい、アンタって分かりやすすぎなのよ。何考えてるのか手に取るようにわかるわ。本当に単純な男!」
ブレダのその言葉にリューザは少し笑みを浮かべる。
「ははっ。それブレダも同じじゃないかな」
思わず気が緩みリューザは軽口をたたいてしまう。そう言った途端、しまったと思い、リューザは両手で口を塞いだものの時すでに遅し。烈火のごとく怒り狂ったブレダによってリューザはこっぴどく制裁を受けるのだった。
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