第二十話 シフォンダール編 ~草原の森~

「あー、もう! 熱すぎるわ!」



 ブレダが馬上で唸れながら、叫ぶ。炎天下の中を移動し続けたせいか、彼女の服には汗が滲み、額も潤いを増していく。



 一方の、リューザは時間をかけ、何とか馬を走らせる程度にはなっていた。隣を走る彼にブレダは自分の衣服を指さしながら不満を口にする。



「もう体中汗でびっちょりよ!ほら!見てみなさいこの汗染みの斑点を!」



 さっきからずっとこの調子であり、あまりにも煩いと思いリューザはブレダの肩に顔を近づけてみる。普段から身だしなみに気を使っているだけあってしっかりとフローラルな香水が香る。



「でも、いい香りだよ。大丈夫大丈夫!」



「そういう問題じゃないわ! 適当なこと抜かしてんじゃないわよ!! ああァーー、もう最悪!早く着替えた~い」



 それにしても本当に木陰の一つも見当たらない。草原の中に道を見つけ、それに沿って馬を進めてきたものの、道なりに広がるのは緑に光る大地だけだ。空は晴天。天気がいいに越したことはないものの、ここまで照りつけると嫌気がさしてしまうのも無理はない。


 どこか休息が取れる場所はないかと、リューザは馬上から遠くを見渡すも、そんな場所は見える気配もなかった。日が暮れるまで耐えるべきなのだろうか……。



 彼女の方へと視線を向けた、その時。


 突然ブレダが身体を起こしてリューザに声を上げる。



「ねえ……。何か聞こえない?」



「え……?」



 ブレダのその言葉にリューザは耳を澄ませてみる。


 すると、確かに遠くから聞こえてくるのだ。ここに来るまでに聞いた風の音でもない、鳥の鳴き声でもない、少し濁ったような音が絶え間なく続いていく……。



「川のせせらぎだよ、ブレダ! きっとこの近くにあるんだ!」



 リューザのその言葉にブレダは顔を明るくすると調子を良くして馬の足を速める。



「ふん! そうとわかれば、こっちのもんだわ! リューザ、急いで行くわよ!!」



 ブレダの容赦ない馬さばきにリューザはあっという間に突き放されてしまった。




 リューザがブレダから引き離されてから暫くたつと、ようやく彼女の姿を道沿いに発見した。とは言っても、彼女は馬から降りて木の小さな橋の隣に、馬を放置している。そして、両手を小川の流れに漬け込み、涼しげな顔で休んでいた。



「ブレダ、気分はどう?」



 リューザは彼女の川の畔に来ると、馬から降りて彼女に話しかける。


 左右を見渡してみると、どうやら小川は草原の道をを横断して、西側を上流、東側を下流として流れをなしているようだ。



「そうね。まあいくらかはマシになったわ。それにしても、本当に人の気配がないわね。このまま町に着くまで誰一人とすれ違わないなんてことになるのかしら?」



「そうだよね。風景も代り映えしないし、草原ばかりだからね」



「そうでもないわよ」



「え……?」 



 ブレダはここで何かを発見したとでもいうのだろうか。


 リューザは少し驚いた様子で彼女を見る。



「上流の方、よく見てみなさい」



 彼女に言われるがままに、そちらへリューザは目をやる。


 すると上流の彼方、草原をずっと西へ行ったところに僅かに緑のこんもりとした地形が見える。



「あれって……」



「森が広がってるみたいなのよ。なんだか草原ばかりの殺風景な景色を見るのも飽きたし行ってみない?」



「ええ!? そんなことしたら町に着くのが遅くなるじゃないか! そしたらきっとブレダはボクに愚痴を――」



 うじうじと抵抗するリューザに対して、ブレダの牽制が入る。



「黙りなさい!! アタシが行くって言ったら行くのよ!! アンタはアタシの下僕でしょ? 主の命令は絶対よ!」



「うぅ……」



「うふふっ! じゃあ、決まりね。行くわよ、リューザ!」



 押し黙ってしまうリューザに勝利を確信したブレダは上機嫌で立ち上がり、馬を引き連れ川の上流へと歩き出す。その様子を見て、リューザは手に負えないといわんばかりに気を落とし、馬を連れて彼女の跡をとぼとぼ追った。




 森の中に入るとリューザは涼しげな空気を肌に感じ、快適な心地に浸る。木々が疎らに並んでいるおかげか風通しがよくとても開放的な空間に感じる。



「この辺でいいかしら」



 そう言ってブレダが足を止めた先には、小さな滝がある。草原にあった小川の水源はどうやらここらしい。その空間は木々の中に、淑やかさや神秘的な雰囲気を感じさせる。南の暗い森とは全くと言っていいほど別物だ。


 その様子に見惚れるリューザにブレダが尋ねる。



「ねえ、リューザ。今、どのあたりかわかる?」



「そうだね。一応確認しておいた方がいいかな……」



 そういいながらリューザは袋から地図を取り出す。


 しかし、地面に広げようとしたところで思わず躊躇ってしまう。



「ここだと、地図、広げられなさそうだね」



 足元を見ると、滝の水飛沫で若干ぬかるんでるようだ。二人がかりで地図を広げるのも阿保らしいだろう。



「アンタって変なところ神経質よね……。まあ、いいわ。アタシも折角の地図を濡らして台無しにするのは嫌だし」



 二人は木々の連なる方へと移動を始める。


 その間も、リューザは軽く巻いてある地図を解いて中を見る。現在地はどこなのだろうか。マルサルは南の森を抜けてから北西に進んだ後、北東へ進むという旨を言っていた。道なりに馬を走らせているだけで、羅針盤なんて持っていないから方角は正確に把握しきれていないが、感覚的には恐らくまだ北西へと向かっている途中だろうか。



 そんなことを考えながら歩いていた、その時。 



「うわっ!?」



 完全に余所見をしていたリューザは地面に足を滑らせる。


 派手に転倒してしまったものの、なんとか倒れた先にあった低木の枝葉がクッションとなり、怪我を負わずに済んだようだ。



「いててて……」



 思わず反射的にそう言ってしまうリューザだったが、自分の足元を見て苔の生えた石に躓いたことを理解する。しかし、その石の並びにリューザは違和感を覚える。



「あれ? こんなところに石畳……?」



 そう言いかけた時、前を歩いていたブレダが振り返って、転倒したリューザに気が付き彼に声をかける。



「もう、リューザ何やって……」



 倒れたリューザに呆れるように近づいて生きたブレダだが、突然言葉を詰まらせる。その様子にリューザが不思議に思った直後、ブレダは恐る恐るリューザに語り掛ける。



「ねえ……リューザ……」



「どうしたの?」



 彼女の声に振り返ったその時、リューザは目の前に現れた光景に息をのむ。



 二人の目に飛び込んできたのは、森の緑に包まれた巨大な人工物。ひっそりと佇んでいるその姿は湖畔の森で見た遺跡を思わせる。しかし、全くスケールの違うものだ。綻びながらも高く建てられた壁、太く地に突き刺された柱、見るからに強固な建物が建っていたようだ。その自身の想像しえないような様相にリューザはただただ驚きと感動を隠せずにいた。

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