第十話 綻びた神殿
神殿内部は暗がりになっているかと思いきや、綻びた石壁の隙間から光が漏れ通路を照らしている。
そして、遺跡の中もやはり荘厳な造りとなっていた。長年放置されていたせいか、蔦や苔が壁や床を緑一色に染めているものの、綺麗に加工された石材がいくつも精密に重なり合っており、この遺跡の規模の大きさが想像できる。
しかし、荘厳ながらも重苦しい空気というわけではなく、リューザにはむしろ心地よくすら感じられた。時折、神殿外から風が吹き付け、建物内部でも外の空気が感じられる。
「意外と居心地悪くないのね」
一本道の真直ぐな通路の石畳を踏み鳴らしながらブレダが言う。
「そうだね。思ったより明るいから足元にも困らないしね」
そう言いながらリューザは足元の瓦礫に注意を払いながら進んでいく。
「それにしても、この遺跡って妙に小さいって感じなかった?」
「え……、そりゃあブレダの実家と比べたら小さいとは思うけど……」
「そうじゃないわよ! ただ、外観で見た時に比べて通路が長すぎる気がするのよね。そろそろ突き当りにまで来てもいいはずでしょ……」
その言葉にリューザは思わずぞくりとして来た道を振り返る。通路は光に照らされているものの入口からはかなり離れてしまったようで、見えなくなってしまった。
「そ、そんなこと……」
少し怯えるリューザに対してブレダは真剣な表情から一転、笑みを零す。
「ふふっ。何、ビビってんの? 冗談よ冗談! ガワと中身が違うのってよくあることでしょ?」
「驚かさないでよぉ」
「張り切ってたアンタが怖がってどうすんのよ……ってなによ? どうしたの?」
呆れ気味のブレダだったが突然、リューザが立ち止まり怪訝そうに尋ねる。
しかしその直後、彼の視線の先を追ってその理由を理解する。
「広間みたいだね」
気が付くと通路を抜け二人は円形の広間に来ていたのだ。
広間も例外なく外からの光が入り込む。高い天井はドーム型になっていた。来た通路の真正面の奥に目をやると固く閉ざされた扉が見える。
壁には様々な人間や動物、植物といったあらゆるものを描いた壁画がびっしりと描かれていた。外観に合ったものとは異なり、こちらは着色の跡が残っており描かれている物がより鮮明な状態だ。
「いつの間に……」
夢のような心地に振り回されるブレダに対して、リューザは壁画に興味津々だ。壁へと引き寄せられるように歩み寄っていく。
近づいて見上げてみると壁に描かれているものが今度ははっきりと認識できた。
彼が今目の前にしているのは、人間が描かれた壁画だ。長く煌びやかな髪と豊かな胸部からするに恐らくは女性なのだろうか。しかし、彼女の背には大きく広げられた白い翼が生えているのだ。そして、よく見ればその女性の下に数人の人がおり、さらにその下に数多の人々が描かれていた。
リューザは左右へも目をやってみる。炎を口から噴き出す黒い羽の生えたトカゲに、他と比べて明らかに巨大に描かれた人間、羽の生えた妖艶なる大蛇……。壁に描かれたものはどれも現実離れしているように感じられるものの、リューザは限りなく現実に近い迫力を感じずにはいられなかった。
「ちょっと! 美少女を放っておいていつまで見てる気!」
そんなリューザに後方から声がかかる。
「ごめんごめん。壁の絵がどうしても気になっちゃって」
そう謝罪していると、リューザはふと絵画の下に描かれた文字のような記号の羅列された部分に気が付く。
「この記号の並び……」
そこに一度顔を近づけたのち、リューザは麻の頭陀袋の中から色のくすんだ巻物を取り出すと開いて内容を確認する。その様子にブレダは意外そうな表情をする。
「あら、その巻物って居候のアルマが遺した物よね? それがどうかしたっていうの?」
ブレダの言った通り、今リューザが手にしているのは5年前にアルマが失踪した後に、彼の寝泊まりしていた部屋から出てきたものだ。
「ちょっと気になることがあるんだ……」
リューザは巻物と目の前の記号を何度も見比べるように視線を上下させる。そして、しばらくすると声を上げる。
「やっぱりだ。この壁の記号、この巻物の中に同じ記号が入ってるんだ」
「どういうことよ!」
リューザの広げた巻物をブレダが覗き込もうとしたので、彼は該当箇所を指さして示す。
「ほら……こことか……。完全にとまではいかないけど、部分的に一致してるんだよ」
「確かにそうみたいだけど……。もう! 訳わかんないわ! どうして、そんな物をあいつが持ってたわけ!? だってその巻物ってあいつがこの村に来た時から持っていたはずでしょ!? なのにこことそれってまさかっ――」
そこまで言われてリューザもハッとしたように口を開く。
「アルマが村に来る前からこの神殿に訪れてたってことかな……」
そう言った瞬間、ブレダはリューザの耳を抓み引き千切るかのような勢いで引っ張り、耳元に口をあてると大声で叫ぶ。
「ちょっと! なにアタシの考えに乗っかって、答えを横取りしてんのよ!! もう、アタシが言おうとしてたのに!! この、チビ手長!!」
「ご、ごめん……でも確かにありそうな話だなって思って。アルマが失踪したのももしかしたらこの遺跡が関係あるのかも……」
「うーん。自分で言っておいて何だけど、本当にそうなのかしら……」
ブレダはリューザの耳から手を離すと、その手を顎に軽く当てて考え込むような体勢になる。
「え……?」
「あいつが初めてこの村に訪れたときにいた場所は村の入口。それで、あいつが神隠しに遭ったのは村から東側の森だったわよね? どっちもこの場所からはかなりかけ離れているのよね……。そもそも、ここって舟で湖を渡らないと、陸地からはかなり遠回りすることになるわよ。それに、この遺跡を王国が認知してるのだとしたら、王国が遺跡内にある文字列を把握してて、何らかの理由であいつが所持していた可能性もあるし……」
「それもそっか……」
「まっ、ここで考えていても仕方ないわね」
ブレダが言い放ったその時――。
「きゃっ! ちょっと、マリエット!」
ブレダの肩に乗っていたフェレットが突然床に飛び降りて広間の奥の方へと走っていく。虫や蜥蜴でも見つけたのだろうか。ブレダは慌ててその後を追いかけていく。
「ああ! ブレダ! 転ばないように足元に気を付けて!」
広間のそこら中に散らばる瓦礫を見ながらリューザも彼女の後を追った。
リューザが追いかけた先で彼女は無事にマリエットを捕獲できたようで、肩に乗せて咎めていた。
「ああ……よかった……。二人とも無事なんだね」
「どこも無事じゃないわよ! ああもう、走ったせいで疲れたぁ……。マリエットも床を走り回ったせいで埃で汚れるし……」
息の上がった彼女から少し目を逸らしたとき、リューザの目にあるものが止まる。
この大広間に入った時に見えた大扉が目の前にあったのだ。どうやら、追いかけているうちに部屋の反対側まで来てしまったようだ。
「ふーん、これがこの部屋の一番の目玉ってところかしら」
大扉はちょうど入口からの通路の真正面に位置しており、その通路を通ってきたならば、まず真っ先に目にはいる位置にあるのだ。
その高い扉は言いようのない威厳をもってそこに佇んでおり、この場所がこうして廃墟となった後も奥に眠るものを守り続けているようだった。リューザはその扉を開けることは禁忌を犯すことにつながるような感覚に陥る。しかし、それでもリューザは扉へと歩み寄る。
「準備はいい?」
リューザはブレダに目配せすると、大扉の二つの取っ手を手に取る。
「開けるよ……」
両手で扉の取っ手を掴むと力一杯引っ張る。
扉は広間に音を響かせながらゆっくりと開いて言った。
「あら、なんかそれとなく構えてると思っていたのに、こんなに簡単に開いちゃうなんて拍子抜けだわ」
「ここも随分古びてるんだから仕方ないよ」
二人は扉の中へと目をやる。
「結構、暗いわねえ……」
扉の奥には来た道とは違い暗闇が広がっていた。ここより先は漏れ日には期待できなさそうだ。さらに石階段となっているようで下層へと続いているらしい。リューザは息を吞むと扉の向こうへと足を踏み入れた。
「転ばないように気を付けてね」
「転んだらアンタが支えんのよ」
二人は暗がりの階段をゆっくりと降りていった。
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