第15話「瓦木真」


 シヅがこれから話す内容は想像出来るのに、同学年のはずなのに。

 前方を歩く後ろ姿に圧を感じる。

 ピットを出て、俺たちはピット真上の観客席を歩いている。座席を探すでもなくふらふらと。

 大きなモニターにはドローンで撮影されたリュウとゴウが映っている。

 スリップストリームの為、ストレートでゴウの後ろにピタリとくっ付き、時折ゴウがマシンを左右に振ることでリュウをスリップから外す。

 毎回スリップに付けるとは限らない。ゴウも良い働きをしてくれるな。


 「リュウザキさん、あの時と比べたら走りが格段に上達したわね」


 椅子に座ったシヅがモニターを見て、言う。


 「マシンがぶれなくなって、安定性が向上。ブレーキングと加速なんかは別人みたい。残る課題は——」

 「コーナーのライン取り。あれだとバンク時の速度が高くて危ない。インにも付きにくい」

 

 俺は立ったままシヅが続けようとしたであろう言葉を奪う。

 シヅは驚くこともなく、横顔でも分かるくらいに口の端を上げた。

 そして。


 「流石はMoto3最年少チャンピオンがやる監督ね。速くなるはずだわ」

 

 クールな表情を崩し、俺を見た。

 そこで俺はシヅの隣に腰掛ける。


 「やっぱり知ってたんだな。ゴウもか?」

 「当たり前でしょ。私たちはピットが隣だったのもあるでしょうけど、それでもレース好きなら気付かない方がどうかしてる」

 「因みにリュウはレースの知識が21年で止まってる」

 「あんなフォームを見せられたら想像出来るわよ」


 リュウが昔のレース好きだと言うのはバレていたらしい。

 ライディングフォームがロバーツそっくりだもんな。現代では珍しく足も出さない。

 話しながら肘を太ももに乗せ、掌に顎を乗せるシヅ。


 「正直、私とゴウも最初は信じられなかった。けどあんな言葉を横のピットで聞いちゃったらね。大人の顧問でもなく、チャンピオンと同姓同名で同い年の監督が言ってるんだもの」

 「同姓同名の別人だって思ってる奴の方が多そうだ。出身も茨城じゃなくて静岡だし、やるにしてももっと名門を選ぶだろうってな」

 「そもそも高校選手権の監督とか進んでやる経歴じゃないわよ。レースを引退するにしても良い仕事あるでしょうし」

 

 シヅの言う通りだ。

 輝かしい成績を残したら確実に……とまではいかないが、俺の頑張りとやる気次第でどうにも出来た。マツモトさんのスクールでコーチングとか。

 

 「俺の存在が嘘だと思われてる可能性も少なからずあるかもな」

 

 俺は小さい時からずっとバイクとレースと一緒に過ごしてきた。

 初めてMoto3に参戦したのは14歳の時で、そのままルーキーイヤーで年間チャンピオン。ホンダの期待の星と言われたこともあった。

 しかし、その翌年から『瓦木真』の名は聞かなくなった。

 それで、付いたあだ名は——


 「幻のチャンピオン。死亡説とかネットで囁かれてたわね」

 「ライダーが突然消えたらそう思われても仕方ない」

 「それで実際は? まさか幽霊?」

 「周りが気付かないからって幽霊はないだろ」


 顔付きの所為でパッと見怖いシヅは意外に話し易い。

 

 「引退した訳じゃなくて。あの年の後、トレーニングで骨やってさ。怖くなったんだ」

 「スポーツ選手なら良くある話ね。バイクなら死ぬし」

 「あー、違う違う」


 シヅが違うのか、と目を見開いた。


 「折角の学生時代、このままで良いのか? 高校くらい楽しんだ方が良いんじゃないか? だから一旦、レースを離れようと思った」

 

 体が出来上がってなくて危ないと言うのも理由の1つだ。

 だから騒がれないように叔母さんの居る茨城に来た。バイクの印象もまだまだ悪いままで好都合だったからだ。

 金はあるから最悪茨城以外でひとり暮らしでも良かった。

 

 「…………カワラギさん、腹筋に力入れて」

 「?」

 

 言われて腹筋に力を入れた瞬間——シヅの拳が突き刺さった。


 「んぐっ——!?」

 

 リュウとさほど変わらない背丈から出たその一撃は……重い。

 ズシリと全身にのし掛かる痛みに体を折る。

 

 「推しライダーの心配をして損をするとは思わなかったわ。テレビやネットでは凄かったけど、こうして会ってみると普通の高校生ね」

 「武道経験者か……?」

 「ゴウの体格相手でも十二分な一撃をお見舞い出来る程のね」

 

 やっぱり怖い。話し易いだけだった。

 頬の傷も相俟って、歴戦の武闘家にしか見えなくなってきた。

 

 「もてぎの1戦しか見てないと思うけど、高校選手権はどんな印象?」

 「レース好きなら俺に聞かなくても大体分かるだろ」

 「そうね。じゃあ聞き方を変えましょう。世界で通用するライダーは居そう?」

 「これからの頑張り次第でしかないなぁ。タレントカップに呼ばれるようになれば御の字……少なくともここでデカい顔してるヨネミツは無理だな」


 確かにヨネミツはチャンピオンで速い……があれはこの場限りのものだ。

 個人的に伸び代はあまり見られない。


 「飛び抜けてるのはゴウだろうな。ありゃ速くなる。マシンパワーがあればヨネミツなんか敵じゃない」

 「ただでさえ身長が185もあるのにあの体格だと厳しいのね」

 「ニーゴーだしな。排気量が上がれば化けるぞ」

 「……そうなのね」


 自分で言うのも変な話だが、俺がゴウには才があると言ったのにシヅの表情は何処か浮かない様子だった。

 2人は休憩しているらしくモニターには空っぽのサーキット。

 変な空気感を変えたくて、話題を振る。


 「シヅは自分で走ってみようとは思わないのか?」

 「思うわよ? でも負けず嫌いだからドックファイトになると無理し過ぎるの。その結果がこれ」

 

 シヅは頬の傷を指で突く。


 「転倒が余りにも多いから親に言われたわ。バイクは良いからレースだけは辞めてくれって」

 「その傷、常時剥き出しなのか?」

 「いいえ。家とサーキット、寝る前、そんなとこかしら。普段は絆創膏で隠してるわよ」

 「それでメカニックか。役職のチョイスが渋いな」

 「だって私の家、バイク屋だから。資格は持ってないけど技術だけならそこらの二級整備士には負けない自信がある」

 

 強く言い切るシヅを見て、思わず固まる。

 親に頼んでる、じゃなくて自分で整備をしてるのか……そんな高校生メカニックが居るのはここだけじゃなかろうか。

 そこで一度は止んだバイクの音がまた聞こえてきた。

 

 「お?」

 「また走り出したみたいね」


 シヅとドローンからの映像をモニターで見る。

 うん……さっきよりかはライン取りがマシになったか……な?

 

 「ごめんなさい。ゴウは感覚派なの……」

 「こっちもマネージャーはレース知識あんまりないから気にしないでくれ。試行錯誤させて、駄目なら俺が直接助言するから」

 

 そもそもゴウにコーチングを頼んでいないのに謝られても困る。


 「でも不思議よね。小さい時はフェンスにがっついてたのに、今はこのサーキットのピットに居る。しかも隣には世界王者」

 「俺が居るのは本当に偶然だろうに」

 

 体が出来上がるのを無視して走っていれば、幸撃学園に来なかったら、高校選手権になんて関わることはきっとなかった。


 「たらればの話は好きじゃないわ。こうしてカワラギさんと話せてる今が、私は好きね」

 

 シヅが得意げに笑う。

 喋り方の落ち着き具合もそうだが同い年に見えない。

 

 「カワラギさんは勘弁してくれ。シンで良い」

 「そう。ならそう呼ぶわ」

 「んじゃ、そろそろ戻るとするか」


 折角もてぎまでトレーニングに来ているんだ。リュウに収穫がないと困る。

 帰りは前後じゃなく、隣同士で。


 「正体に関しては内緒にしておくべきなのかしら?」

 「内緒にしてる訳でもないんだけど……」


 俺が世界チャンピオンだと知ったらどんな反応をするだろう。

 ミヤビはそこまで驚かなそうだな。

 ただレンとリュウは……厄介そうな未来しか見えない。特にリュウ。

 延々と凄い凄いと褒められて、教えてほしいことを無限に聞かれ続ける地獄のインタビューが始まりそうだ。


 「内緒にしておきましょうか……ゴウにも言っておくわ」

 

 俺の表情で察したシヅの口は引き攣っている。

 

 「タイミングがあれば自分から言うよ」

 「それが無難ね。それとシンに頼みたいことがあるんだけど良いかしら?」

 「うん? なんだ?」


 やけに改まった態度でシヅが言うので身構える。

 

 「後でで良いから一緒に写真撮って貰えると……」

 「あー、そう言う……なんか意外」

 「うるさい。ファンとしては落ち着いてるつもりよ……」 

 「だったらその拳をなんとかしてくれ。はしゃいでくれた方が良いなぁ!?」


 シヅは頬を染め、唇を尖らせながらもしっかりと拳を握っている。 

 それだったら限界オタク化してくれた方がまだありがたい。

 俺はこの瞬間を境に、シヅを必要以上にイジるのは辞めようと思った。

 

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