第40話「Be mine!」


 あの日の恐怖は今でも覚えている。

 あれはMoto3でチャンピオンになった翌年のトレーニングの日。

 ジャンプも出来るオフロードコースをトレーニングがてら縦横無尽に走っていた。

 今年もチャンピオンになろうと必死且つ楽しみながら、オンロードの練習になるように意識しながら走っていた。

 だが、あそこはミヤビの家のような私有地じゃなく、一般客も使えるコース。

 俺は前方で転んだ奴を回避しようとして転倒。

 それで骨を折った。

 レース事情でまともに学校に行ってなかった俺は怪我が治るまで普通に出席。

 しかし、その時点でグループは確立されてて、友達はミヤビだけだった。

 皆んなが友達や先輩と部活に励んだり、恋をしたり、学校生活を謳歌する中で俺は浮いていて、怖くなった。

 バイクは危険で、怪我もするし死ぬ。

 このまま死んだら……俺の人生はバイクだけになる。

 レースは楽しいし、バイクも好きだ。それでも皆んなが送る青春に憧れがない訳じゃない。

 だから俺はレースからも地元からも離れて茨城にやってきた。



 ——はずなのに。



 「シンちゃん、準備は大丈夫?」


 モエの声で、集中する為に瞑っていた目を開ける。

 12月の頭、懐かしい鈴鹿サーキットのピット。2台のマシンが並べられ、シヅとマツモトさんが最後のチェックを行なっている。

 リュウとレンは2人でタブレットを眺めながら話し込んでいる。

 ミヤビは練習試合で居ない。

 人数は少ないけどこの雰囲気……世界を走ってた時を思い出す。

 あれだけ走りたくないと思っていたのに今は逆に走りたくてしょうがない。ワクワクしている。

 リュウの走りを見て。

 ゴウの走りを見て。

 ミヤビに意地を見せられて。

 結局、俺もレーサーなんだ。バイクの過剰摂取による中毒症状からはもう逃げられないらしい。

 でもそれで良い。


 「久しぶりの景色な気がする」

 「ピットでツナギのシンちゃんを見るのも久しぶりだよ」

 「そっか。流石にモエも世界には来なかったもんな」

 「行けなかった。そこのところ、間違えちゃ駄目だよ?」


 圧が凄いな。行けたら行く気でいたのかよ。

 まあモエが居てくれたらメンタル面で心強いけどさ。

 フリー走行も終わり、Q1が始まっているのにのんびりモエと駄弁っているとリュウとレンがこっちに来た。


 「シン君、Q1始まってるよ? まだ行かないの?」

 「せめてQ2には進出しないとかなり厳しい戦いになっちゃいますよ!」


 フリー走行ではのんびりとマシンの感覚を掴んだだけで、タイムアタックと言うタイムアタックはしていない。

 当然、Q2に進出出来るはずもなく、Q1からだ。

 このままタイムを出さないと最後尾スタートになるのを危惧して2人は言ってくれているのだろう。

 そうやって、俺の過去を知らない2人だけが慌てている。 


 「どう足掻いたって厳しい戦いにはならねーよ」

 「だよねぇ。シンちゃんがこの程度のレースで負けるなんて有り得ないもん」

 「転倒だけは勘弁してほしいわね」

 「そうなったら流石に瓦木君でも無理だからね」


 俺の発言に同調する3人。

 

 「え? え? なんで? 皆んなシン君への信頼感凄過ぎない?」

 

 これにはリュウも戸惑いの表情を見せる。

 まあ、この辺でネタバラシをしておくか。


 「だって俺、Moto3の世界チャンピオンだから」

 

 リュウとレンは一瞬だけ固まり、まさかまさかと口を開く。


 「いや先輩。それは言い過ぎですって。自信があればワタシたちも安心出来ますけどそれはやりすぎですよ」

 「だよねー! ね? シヅちゃん!」

 

 恐らく現状最もおちゃらけないであろうシヅに話を振るリュウ。

 しかし、シヅは腕を組み、ここまで信用されない俺をちょっと気の毒そうに笑いながら真面目に言った。


 「本当よ」

 「うわどうしよう。シヅちゃんが本気の顔で言ってる……」

 「これ、本当じゃないですか?」

 「まだ信じられねーのかよ」


 実際、同級生がプロゲーマーやってます、とか漫画家やってます、とか言われても信じられないだろうし仕方ないか。

 最終手段でリュウはレンのタブレットを借りて、何やらぽちぽちし始めた。

 まさか。


 「ほんとだ! ネットにシン君載ってる! 最年少ルーキーのMoto3チャンピオン!? レースに詳しいとは思ってたけど……」

 「インタビュー記事も一杯出てきましたよ!」

 「ただ予測検索が不穏」

 「本人の前で検索するのは辞めろ」

 「でもでも凄い凄い! シン君が世界チャンピオンだったなんて! 私が速くなるはずだよ! ねぇねぇ話聞きたい! なんで今まで教えてくれなかったの!? って痛っ!?」

 

 それを知った途端にリュウがアクセル全開でぐいぐい来る。思わず変に腕を動かし、痛みに悶えている。

 おいおい、今月末は走るんだから怪我を悪化させんなよ。


 「こうなるのが目に見えてたからだよ。変に崇められても嫌だしな」

 「寧ろレースやりたいリュウザキさんが知らないのが意外なのよ。リュウザキさんに限ったことじゃないけどね」

 「シンちゃんの知名度ってどうなってるんだろうね」

 「これだけ高校選手権に顔出しといて1度も声掛けられないからな。死亡説が広まり過ぎたか?」

 「あー、あるかも。わたしたちの地元はそんなにバイク人気なかったもんね」

 

 中学卒業後はさっさと茨城に逃げ、ラグナサーキットでのレースは帽子とサングランスの完全装備。監督側だから名前が電光掲示板に表示されることも、実況に叫ばれることもないので上手い具合に逃げ切れている。

 俺のことを知ってたとしてもまさか本物が同じ高校選手権に居るとは思えないかもしれない。

 モエの所為でリュウとミヤビの知名度は爆上がりしたけども。

 あれ? もしかして俺より知名度あるのでは?


 「あれ? それじゃあモエちゃんは当然だとしてシヅちゃんはシン君のこと知ってたの?」

 「私とゴウはシンのファンだったから当然」

 「ミャーちゃんも知ってたみたいだよ?」

 「そうだったの!?」

 「アジキ先輩レースに興味とかあったんですか!?」

 

 あぁ……あの日からバレー部の方に行くようになったから聞いてないのか。

 

 「ミヤビに関しては親が熱心だったっぽいな」

 「初めに名前を聞いた時にもしかして、と思ったよ。安喰なんて苗字はそうそう聞かないからね」

 「それであの時、ミヤビを見て固まってたのか。てっきり視姦してるのかと」

 「それもちょっとは——あだっ!?」


 俺とシヅでマツモトさんの頭を引っ叩く。

 

 「「冗談でも気色が悪い。冗談じゃないなら尚更」」

 「ははは、2人は厳しいな」

 「いや甘いだろ。今までなんで訴えられてないのか不思議なんだが」

 「そう言う人間だと思われてるんでしょう。まあ気色悪いけどガチ感も薄く聞こえるのは重要かもしれないわね。後は相手側の好感度次第」

 

 無駄に顔が良いからな。その影響もあるかもしれない。


 「でも本当に予選すっぽかしで良いんですか? 幾ら何でもやり過ぎじゃ」

 「良いのさ。他の奴らには申し訳ねぇけどヨネミツの威厳をへし折りたい」

 

 これは俺たちに喧嘩を売った罰だ。言い値で買ってやろうじゃないか。

 ミヤビに負けた時点で相当頭にキテるだろうに。今回でもっとどん底に叩き落としてやる。

 

 「おいおいおい、これは面白い光景だな!」


 と、そこへヨネミツがピットに入ってきた。

 入って来んなよ。誰も呼んでねぇわ。ここがリュウ主体のチームじゃなく俺主体のチームだったらぶん殴ってるぞ。

 

 「この前勝っても今回はこれか? 笑えるな。あのライダーが居なきゃ代わりは変な監督だけか。大方碌に走ったこともないんだろ?」

 「安心しろ。こっからもっと面白い光景にしてやるから」

 「何を見せてくれるんだ?」

 

 馬鹿だな。そんなの決まってるだろ。


 「お前がホームコースで見事に負ける姿を今日の観客にお見せしてやるよ。俺たちに喧嘩売ったんだ。高く付くぜ」

 

 俺の啖呵に誰が追従する訳じゃなく、黙って部外者の存在を睨み付ける。

 こっちがギャーギャー言い返すのを期待していたのかヨネミツはバツが悪そうな顔で舌打ちだけして帰っていった。

 せいぜいQ2でイキれば良い。その後は俺の独壇場だ。

 そこからの予選は特に面白味もなく、速い奴の後ろにピッタリへばりついてタイムを狙う展開。忌々しいことにヨネミツがトップタイム。

 休憩時間の後、それぞれのグリッドにバイクを並べる。

 俺も俺で久々に革ツナギにプロテクターのフル装備。


 「マシンは完璧か?」

 「当然。しっかり元のリュウザキさんセッティングに戻したわよ。不調もないから思う存分走ってきなさい!」

 

 リュウのセッティングは俺が考えたから実質俺のセッティングでもある。

 別にミヤビセッティングのままでも走れるけど。

 それよりも大事なのはリュウだな。

 教えることは全部教えた。後はリュウが気付かないといけない。

 だからその後押しをする。


 「リュウ、俺の走りを良く見とけ」

 「うん! 言われなくても楽しみだよ!」

 「俺の憧れはケーシー・ストーナーだ」

 「うん?」


 リュウはそれに何の意味があるのか分からない顔をした。

 だが、それで良い。今から俺の走りを見て、答えを最後のレースまでに導き出せればそれで良い。

 

 そして、レースはスタート直後から一気に俺がトップに抜け出し、最後尾グリッドからぶっちぎりの大逃げで勝った。

 それはもう、盛り上がった。

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