第39話「天才のイジ」


 サインボードでピットインの指示を出そうとしていたので、俺はボードを奪い取り、ピットになんか入らず、行け! と指示を書き換えた。

 天気予報の雨、序盤に降ってたら無理だった。

 しかし、この周回数が減ってきたタイミングでなら乗り換えの分でタイムが稼げる。

 無理に抜かす必要はない。勝手に前を開けてくれるのだから。

 ここからはミヤビの頑張り次第。天気の荒れるタイミングも荒れた後も全てがギャンブルの作戦。シヅには怒られるだろうな。

 あんだけ自分を天才天才言ってるんだ。

 天才の、見せてもらおうじゃないか。


 『OVEDOSEの安喰選手! まさかまさかのここでピットに入らない選択だああああああ! トップに躍り出ました!』

 『これは……思い切りましたね。確かにあの順位であれば逃げ切る可能性もなくはないですが……かなり厳しい選択ですよ』


 実況を聞きながらピットに向かう。

 ピットからはシヅやマツモトさんが大騒ぎしてる声が聞こえてきた。


 「これどうすんのよ!」

 「見間違いだとしても次の周回では入って貰わないと」

 「あー、良い良い。大丈夫だ」


 このタイミングでピットインされたらリードが無駄になる。

 逃げるだけならまだ良いが、追い上げる技術をミヤビは持ってない。勝ちに行くならピットインはあり得ない。

 俺の言葉にシヅがこちらを見て、目付きに鋭さを宿す。


 「その濡れた頭……さてはサインボード書き換えたわね! 馬鹿じゃないの!?」

 「これしか方法ないだろ! きっとミヤビだって承知の上で指示に従ったはず」

 「こんなギャンブル作戦……ゴウが死んだ後で思い付く方も思い付く方だけど実行するアジキさんもアジキさんだわ……」

 「きっと俺もミヤビも狂ってんだ。チーム名に恥じない作戦だろ?」

 「まったく……監督が決めたのなら見届けるしかないわね……」


 シヅは追及を諦め、モニターに集中し始める。

 ミヤビの無事を祈り、左手を握るリュウ。

 不安な表情が顔に張り付きっぱなしのレン。

 画面上のミヤビはコーナーに差し掛かる度にあたふたとブレーキを掛ける。

 だが——止まらない。

 スリックタイヤで止まれるはずもなく、死ぬ気で速度を落とし、はみ出しながらも曲がっていく。

 

 「相当速度落としてんな。おっせぇ……ツーリングか?」

 「そうでもしないと曲がれないだろうねあれは」

 「わたしもシンちゃんも流石にあの経験はないかも」

 

 しかし、それでもミヤビはどれだけの速度なら曲がれるのかを把握し、器用に走る走る。

 ミヤビの後ろは差が付き、スリック組でもミヤビが抜け出した状況。

 レインタイヤ組はそのタイヤを活かしてガンガン速度を伸ばし、ノロノロ走るスリック組を追い掛ける。

 

 「あの遅さ……抜かすのにも神経を使いそうだ」


 マツモトさんが口を引き攣らせる。

 そこも狙いにあった。ミヤビがトップで抜け出し、後ろが団子になればレイン組が追い上げるの時の邪魔になる。

 明らかにおっそいペースが居たら気を遣わないとやらかす可能性があるからな。

 

 『さぁ、ついにラストラップ! 米満選手たち履き替え組は必死に追い上げているがなんとびっくりOVERDOSEの安喰選手は未だにトップをキープ! このまま出来るか!?』

 『あぁっと!?』

 

 解説の叫び声にハッとする。

 誰かが息を呑む音が聞こえる。レンか?

 画面の中のミヤビがハイサイドを喰らっていた。

 真っ直ぐのマシンは左右に激しくブレる。

 横に波打つマシンの上でミヤビの体が小さく跳ねる。

 

 「耐えろ……耐えろ!」


 つい、聞こえもしないのに叫ぶ。

 誰もが転んだと思ったが——ミヤビは耐えた。浮いた腰をシートに落ち着かせ、暴れるマシンを抑え込む。

 そして、直線に入ったところで落ち着いたマシンの前輪を故意に少し浮かせた。

 一瞬だけウィリーして、その後直ぐに前輪を下ろし、走り出す。


 「あれも瓦木君の入れ知恵かい?」

 「いや?」

 「一旦ウィリーしてバランス整えようとするなんて……雨のスリックでよくやるわね……」

 「ほんとにな」


 バランス感覚をリセットするのにウィリーとか……どう考えたらそうなるんだ。

 ミヤビのことだから頭じゃなくて体が勝手に動いたとか言いそうだな。

 

 「まあでも、このままなら行ける!」

 

 俺たちの応援がピット内に響き渡る。

 スルスルと滑るタイヤでもバランスを取りながら進む——進む。

 後方からは死ぬ気で追い上げてくるヨネミツ。流れ作業のようにノロマなスリック組を置き去りにする。

 だが、


 『おーっとぉ! ここで米満選手クラッシュです!!』


 ヨネミツはフロントを滑らせ、コースの外に。

 ダートの上で膝立ちし、苛立たしげに両腕を突き上げ、振り下ろしている姿が映っている。

 

 「はっはぁ! ざまあみろ!」

 「わたしたちに喧嘩売った罰だぞー! やーいやーい!」

 「スポーツマンシップ」

 「元気そうだしセーフセーフ。リュウを突き飛ばしといて文句なんか言わせてたまるかってんだよ!」

 

 シヅに睨まれたが今回ばかりは許してほしい。

 そして——その間にミヤビはトップでチェッカー。

 

 「「よっしゃああああああああああ!!!」」


 俺とモエがまず声を揃えて大はしゃぎ。ピットの中とサーキットがとんでもないほどの歓声に包まれる。

 チェッカーを受けたミヤビは立ち乗りして、人差し指を突き上げている。

 曇天から降り注ぐ雨に逆らうように。

 

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