第38話「雨が降る」


 「リュウちゃん、はい」


 シヅちゃんのお父さんに車でもてぎまで送って貰った。

 ドアを開けたらバイクで一緒に来たモエちゃんが手を伸ばしてくれたから、その手を取って車から降りる。

 

 「ありがと、モエちゃん」

 「良いよ良いよー。これくらい」

 

 モエちゃんはサポーターで腕を吊っている右側に並んで歩いてくれる。

 

 「今日は走ってくれるって言ってたけど、ミヤビちゃん大丈夫かな」


 私が入院した時に言ったように、今回のレースは本当にミヤビちゃんが走ることになっちゃった。

 ゴウさんみたいに死んじゃったら。

 私みたいに大怪我したら。

 そう考えると怖い。私が巻き込んじゃったみたいで。

 

 「大丈夫だよ!」


 落っこちそうになった心のギアをモエちゃんが明るい声で引き上げる。

 気持ちが下がるってよりはびっくりに切り替わっちゃっただけだけど。


 「ミヤビちゃんが決めたことだもん。信じてあげよ? だって無駄なことはしないはずだよ。シンちゃんも、おシヅちゃんも」

 「そ、そうだよねっ! ミヤビちゃん天才だもん! どうにかなるかー!」


 そんな話をしながらピットに入ると。


 「アジキさんしっかりしなさいよ! もうFP始まるわよ!?」

 「うーわどうしようすっごい緊張してきた人生最大の緊張感かもしれない」

 「アジキ先輩! 大きく息を吸って……吐いてー!」

 「雅ちゃん。僕の胸に飛び込んでくると良い! 緊張は解れるはずだ」


 まあまあどうにかならなそうな雰囲気に見えた。

 ミヤビちゃんの顔、見たことないくらい真っ青になってる。チタンマフラーかな?


 「ミャーちゃん、緊張するんだ」

 「緊張とは無縁の生活送ってると思ってた」


 少なくとも私たちが来たことに気付かないくらいには切羽詰まってるみたい。

 この状況でどうやって声を掛けよう。

 考えてたらミヤビちゃんと目があった。


 「あ! ケイー! 良いところに来た! ねぇ、あの変態犯罪者予備軍なんとかして!」

 「えぇ……」

 「なんか気持ち悪いんだよ! ぞわぞわーって! 緊張とは別に体が硬くなる!」

 「嫌だなぁ雅ちゃん。緊張を解す為の冗談じゃないか」

 「冗談だと分かっててても気持ち悪いもんは気持ち悪いんですよ!」

 「マツモトさん……あなた何の為に来たんですか……?」

 「うわあ! ごめんって! 真面目に! 真面目にやるからその拳を下ろしてくれ紫月ちゃん!」


 怪我して気分が落ち込んでた。

 けれどピットの中は慣れ親しんだ騒がしさでホッとした。

 ミヤビちゃんの緊張もマツモトさんの影響が大きそう。なら大丈夫。だってミヤビちゃんだもん。

 あれ? そう言えば。

 今更気付いた。シン君が居ない。


 「シヅちゃん、シン君は?」

 「シンなら今頃お休み中よ」

 「えっ? もう始まるのにシン君居ないの?」

 「許してあげなさい。朝の4時まで頑張ってたんだから」

 

 朝の4時……?


 「朝の4時!? そんな時間まで何してたの!?」

 「マシンをアジキさん専用に調整してたのよ。ライディングをトレースしたシンが何度も乗ってね」

 

 シン君がミヤビちゃんの真似っこして調整……と言うと。


 「じゃあシヅちゃんは?」

 「寝てないわよ」

 「大丈夫なの?」

 「別に、2徹、3徹くらいなら平気だから心配しなくて良いわよ」

 「皆さん! フリー走行が始まりますよ!」


 レンちゃんが慌てながら言った。

 フリー走行とは言うけれど、ここでタイムが良ければQ1飛ばしてQ2に行けちゃうから実質予選のスタート。

 そしてミヤビちゃんはびっくりするくらい凄い走りでQ2を3番手で終えた。

 

 「ミヤビちゃん! 凄いよ!」

 「アタシにかかればこんなもんよー! と言うかすっごい乗り易くなってるんだけど! シンとシヅキ凄くない?」

 「いや、セッティング変えたからって予選3位取れる方が凄いと思うわよ」

 「寧ろ当然じゃないかな。昨日乗ってみた感じだと景ちゃんのセッティング割とイカれてるからね。あれで良いタイム出せるなら専用調整なら乗り易いさ」

 

 マツモトさんがハキハキ言う。

 私のセッティングってイカれてるんだ……乗り易いと思うんだけど……。

 そんなこんなでインターバルを終え、予選で獲得したグリッドにバイクを運んで出走準備を始める。

 バイクに跨って、精神統一するミヤビちゃん。何の曲を聞いてるのかな?

 いつもは私がバイクに跨ってる側だから不思議な感覚だ。

 ふと、空を見上げる。


 「あ、」

 「どうかした?」


 イヤホンを外したミヤビちゃんが首を傾げる。


 「天気……曇ってきたなって」

 「あー、そう言えば……雨降ってきたらどうしよう」

 「その時はフラッグ見て、乗り換えが出来るようになったら雨の加減を見てするしかないかな。サインボードもちゃんと見てね」

 「アジキさん、シンからの伝言。無理して抜こうとしなくて良いってさ」

 「ん? どゆこと?」

 「きっと抜かすタイミングは必ず来るってことじゃないかな。その時までは我慢」

 「我慢……うん、良し、行こう!」


 マツモトさんの補足で納得したミヤビちゃんがグッと両手に拳を握る。

 シン君もアドバイスするならもっと具体的にすれば良いのに。でも、そっか徹夜後じゃしょうがないか。

 私たちはミヤビちゃんと別れて、ピットに。


 ——レースが始まる。


 1周だけのウォームアップラップが終わる。


 『さぁ、遂に始まる10戦目。OVEDOSEは代理のライダーが上位グリッドを獲得していますがどうなるのでしょうか!』

 『天気も怪しくなってきましたね。これは荒れた展開になるかもですよ』

 『さぁ! いざスタートです!』


 バイクが入り乱れるスタート直後。ミヤビちゃんは接触せずにグリッド順位のまま3番手で一旦落ち着いた。

 

 「ふぅ……良かった」


 トップを走るのは安心と信頼のヨネミツ君。

 2番手はTopSpeedのカジヤマ君。


 「良い滑り出しね。どうせカジヤマは周回数が増えれば勝手に失速するし実質2番手と言っても過言じゃない」

 「酷いなこと言うねシヅちゃん」

 「そう言うライダーだからしょうがないわね」

 

 特にシヅちゃんは悪いと思っていないみたいだ。

 実際、カジヤマ君は最初は速くてトップを走ることも多いのに良いところで転んだり、ずるずる順位が下がってくパターンが良く見られる。

 ま、まあ、前に居ても怖さがないのはそうかも。

 

 『おや、まだまだレースは序盤ですが雨でしょうか?』


 実況の声が聞こえてきた。

 雨? ピットからちょっとだけ出て、手を伸ばす。

 本当に小さな粒だけど、雨が降ってきた。降っているのか分かりずらいし、これだと途中で止んじゃうかもしれない。


 「白旗は振られたけど乗り換えるライダーは居ないみたいね」

 「この雨くらいなら平気だよ。もし強くなるとしたらタイミングは重要になるかもしれないね」

 「ミヤビちゃん、ペース落ちてる?」

 「違う。後ろがペースを上げ始めた」


 モエちゃんが私の間違いを指摘する。

 順調に3番手を走っていたミヤビちゃんは後続のチームに差をどんどん詰められ、あっさりと抜かれちゃった。

 負けじとミヤビちゃんもペースを上げようとする。

 でも、経験値の少なさ? それとも雨への恐怖? 何かが道を塞いでペースは変わらずレースが進む。

 

 「アベレージ通りの順位に落ち着いちゃいましたね」

 「あれでも褒めるべきよ。6位になってもそこから一切落ちないのよ? 初レースとは思えない」

 「でもきっと悔しい。ミヤビちゃんは6位で満足しないはず」

 

 モニターに映るミヤビちゃんはコーナー時に足を出し、曲がる。必死にアクセルを開けてペースを上げようとしている。

 走りに悔しさが滲んでいる。

 ミヤビちゃん……頑張れ!

 

 「でもこれは流石に……」


 マツモトさんが厳しいと言おうとする。

 そんなの分かってる。シヅちゃんやモエちゃんだって分かってる。私だって分かってる。

 ワイルドカードで走った時に思い知っている。

 それを考えたらミヤビちゃんはとんでもない走りをしてるんだ。

 1位じゃなくても。

 だけど、その時だった。


 『おっと? ここで雨が強くなってきましたね』


 残り5周のタイミングでいきなり雨脚が強くなり始めた。

 

 「これは……フカサクさん、サインボードへの指示をお願い。次の周回でピットインよ」

 「はい! 分かりました!」

 

 他のチームもサインボードを出し、その周回はどちらかと言えば転ばないように走っているような雰囲気。

 そして、トップのヨネミツ君がピットインしたのを皮切りに、2番手、3番手、と順番にピットに戻り、レインタイヤを履いたバイクに乗り換えようとする。

 当然、私たちもそうだと思い、シヅちゃんがバイクを準備していた。

 はずなのに——。


 「えっ? ミヤビちゃん?」

 「どうかした? リュウザキさん」

 

 モニターを見ていた私が声を出し、シヅちゃんが反応した。

 どうかしたと言うか……どうかしたとしか言いようがないと言うか。

 

 「ピットイン……しないで行っちゃった」

 「はぁああああああああああ!?」


 シヅちゃんが叫んで、マツモトさんは固まっちゃった。

 これ……どうなっちゃうの?



 

 シンとシヅキが調整してくれたマシンは乗り易い。

 昨日乗った時とは大違いで、ブレーキの感覚も、コーナリングの感覚もまるで体に馴染んでいるように動かせる。

 なのに……なのになんで追い付けないの!?

 いや! なんでアタシ抜かれたし! 3番手だったのに何時の間にかずるずる下がって6番手! 昨日言ってたアベレージタイムと変わらないじゃん!

 悔しい……悔しい!

 アクセルを思い切り開けたくなる。

 前との距離を——タイムを——縮めてやる———とそこで力が抜ける。

 


 ——無理して抜こうとしなくて良い。



 シヅキから聞いたシンのアドバイスがフラッシュバックする。

 抜かなきゃ勝てないのに抜かなくて良いってどう言うことなのか。

 分からない。

 でもシンが言うなら間違いない。我慢しろ! アタシ!

 最初はあんなに近かったあの馬鹿は離れた。でもまだ諦めてない。

 見てろー……絶対勝ってやるからなー!

 そこから粘って粘って粘って、なんとか順位をキープして走る。雨が降ってるから操作に神経を使う割合が増えた。

 でもまだそんなに滑るほどじゃない。

 滑るほどじゃ……滑る……って雨強くなってきたんですけど!?

 最初は小雨だったから皆んな乗り換えてなかったけどこれは絶対にスリックのままじゃ危ないレベルでしょ!

 サインボードはどれもこれもピットインを指示してる。

 えっと……アタシのチームのは……?

 フェンスの側から飛び出るサインボードの中に一際動きが派手なのがあった。ゼッケンナンバーは『4』でアタシの番号。

 そこに書かれてたのは——『GO! GO! GO!』

 一瞬だったけどサインボードを持ってたのはシンだ。

 次の周、前方がピットに入ればアタシの前が空いた。


 「そう言うことね」


 ヘルメットの中でボソッと呟く。

 この雨の中、スリックタイヤで残り4周。ピットインの時間で出来た差を奴らに詰められなければアタシの勝ち。

 やってやろうじゃない!

 

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