第28話「本田紫月」


 あれだけ盛り上がっていたサーキットは一転して重い空気が流れていた。

 俺がピットに戻っても誰も口を開こうとしない。

 レースも中断。結果はクラッシュが起きた1周前の順位が適用されることになる。

 正直、この状況で順位とかどうでも良いけど。

 そんな沈黙を破ったのは事情を知らない来客だ。


 「おい、真。大丈夫か?」

 「……これを見て大丈夫に見えるか?」


 ユウキちゃんは「だよなぁ」と呟きながら頭を掻く。


 「どうすりゃ良いんだ?」

 「ゴウがクラッシュして病院に運ばれた。ゴウのチームメイトとリュウたちを乗せて病院に行ってくれ。シヅは付き添いで先に行ってる」

 「そうか。あの明るいあんちゃんがな」

 「俺は一応残る。モエも一緒に残ってくれ。こっちが落ち着いたら向かうから俺のモンスターだけはトラックから出しておいて欲しい」

 

 誰も俺の意見に文句を言わず、広々とした2チーム分のピット内に俺とモエだけが残される。

 

 「ふぅ……」


 肩の力を抜き、椅子に座ったまま項垂れる。

 両手を合わせて力強く握り、ゴウの無事を願う。


 「頼む……無事でいてくれ」

 「シンちゃん……」

 「ゴウの体は丈夫だ。あれだけ鍛えてんだ。ニーゴーが乗っかったくらいで……」

 「……」


 モエは何も言わない。今にも泣きそうな顔で俺の顔を見つめるだけ。

 モエには分かっているんだろう。

 俺だって分かってる。

 幾らゴウが鍛えていようと体が頑丈だろうと速度の乗ったバイクに2度も連続で乗り上げられたら無事なはずがない。

 分かっていたからリュウやミヤビにも何も言えなかった。

 出来るのは祈ることだけ。

 どれほどの大怪我でも命に別状がないことを、願うだけ。そうすればきっとゴウは笑いながら言うはずだ。

 大怪我しちまった、と。

 

 『えー、只今情報が入りました。月待選手の容態ですが——』


 


 日も暮れ、暗くなったサミノサーキットは照明に照らされている。

 本当なら片付けをして出て行かなければならない時間だが、未だに俺たちのピットにはOVEDOSEのマシン2台とGoodRideのマシン1台が残っている。

 特別に許可を貰って、置かせて貰った。

 その上、サーキットの使用許可も貰った。

 シヅはちゃんと革ツナギを着て、手にはグローブを嵌めている。


 「ごめんなさいね。こんなことに付き合わせて」

 「いや、気にすんな。思う存分やれよ」


 斯く言う俺も珍しく革ツナギ。レース用のフル装備。

 2人で自分たちのマシンのエンジンを掛け、スタートラインまで乗っていく。ヘルメットはいつものインカム付きだから走っていても会話が出来る。

 まだエンジンを動かしたばかりでタイヤも暖まってない。

 無言で俺が先に走り出せば、シヅの後に続いた。


 『ウォームアップが終わったらお願い』

 「1周だけで良いのか?」

 『良いわよ。ただ、本気で走って』

 「分かった」


 俺が1番グリッドでシヅが2番グリッド。

 本気でサーキットを走るなんていつぶりだ? どうせならもっと幸せな気持ちで走りたかったな。

 

 「じゃあ行くぞ。3、2、1——スタート!」


 流石にシグナルは使えなかったので俺の音頭でスタートを切る。

 スタート直後に待ってる連続コーナー。体を大きく使って体重移動しながらマシンを傾け、派手に、落ち着いて、走る。

 俺たちしか居ない夜のサーキット。

 排気音がより色濃く耳を染める。

 スタートのタイミングを決めたのは俺で、本気で走っている。スタートダッシュは完璧だったから突き放したと思ったけど、近いな。

 後ろの音が近い。喰らい付いている。

 8コーナー手前、4本指でガッツリブレーキを掛け、9、10コーナーと順々に曲がっていく。

 次に待っているのはゴウが転んだ11コーナー。

 連続した高速コーナーゾーンで、俺は全力で速度を上げた。

 シヅも速度を上げるのが分かる。

 負けず嫌いでドッグファイトを好むと言っていた。

 前を走る俺に負けじと攻めの姿勢を見せてくるライディングは圧を感じる。

 

 ——少しでも甘えたらぶち抜くぞ。


 そんな意思を感じる。

 意地っ張りで頑固な性格通りのライディング。感情を殺せないシヅは確かに危ない走りが多くなるんだろう。

 そりゃ嫌でもレースを辞めさせたくなる訳だ。

 そうして、俺とシヅの真剣勝負は終わった。


 「やっぱり、手も足も出ないわね」


 ピットでシヅがペットボトル片手に呟く。


 「身体でバイクを操って、色んな人と勝負して、色んな人に応援されて、こんなに楽しい競技なのは知ってる。危険なことも分かってる……時に死んでしまうことだって分かってる……!」


 落ち着いていた声色は段々と震え、シヅの目から涙が溢れ出た。


 「分かってるけど分かりたくない! ゴウに死んで欲しくなかった!」


 ゴウは転倒直後に後方2台のマシンが衝突したことで即死だったらしい。

 病院での空気は地獄そのものでリュウやレン、チームメイトたちは泣き崩れていた。ミヤビも途中で1人になりたいと言っていたから泣いていたのだろう。

 その中で最も辛いはずのシヅは終始病院では泣かなかった。

 ずっとずっと無言で、俺とモエが駆け付けた時にこの1周レースの話を持ち掛けてきた。


 「去年は準優勝して! 今年はケイや、あのシンと会えて、楽しいことが沢山増えて増えてっ……今年こそは、せめて最後は笑顔で走り切って欲しかった!」

 「……最後?」

 「そうよ……ゴウにとっては今年が最後の年だった」

 

 3年だから。そう言う意味ではないように聞こえる。


 「ゴウはね。御曹司なのよ。兎月とげつ株式会社って聞いたことない? あそこの長男よ」

 「そうだったのか……」


 会社自体は聞いたことがある。ただし、何をしている会社かは知らない。

 だが、御曹司で今年が最後と言われればゴウがどんな立場だったのか想像は容易い。


 「ゴウの親は典型的なバイク嫌い。レースなんて以ての外。偶然うちの店にバイクを見に来てたのを機にパパが良ければとレースに誘ったの。パパもチームを持ってる訳じゃないから地元の小さなレースに出してあげたり、バイクを貸与するくらいしか出来なかったけど」 

 「俺がゴウを褒めても周りが渋い顔をするのはそれが原因か。卒業したら会社を継ぐ話になってるんだな」

 「バイクの免許も高校選手権に出ることも会社を継ぐことを前提に許可を貰ったのよ」


 俺でも知ってるくらい有名な会社の御曹司。

 人を惹き付ける才能や引っ張っていく才能があり、学業も優秀なのだろう。そんな有望な息子が会社を引き継がず、自分たちの嫌いなバイクのレーサーになりたいと言えば納得するはずがない。

 思えばシーレを知っていたり、ピアノが弾けるのは家柄の良さからか。 

 子の自由を許さないツキマチ家の話に苛立つシヅはピットの壁を殴る。


 「シヅは……と言うかそっちのチームはこれからどうするんだ?」

 「ここで終わり。私は走らないし、他の部員は走れない。走れたとしても走らないと思うけどね」

 「そうか……」

 「私はメカニックとしてOVEDOSEに移籍する。だから安心して」

 

 今も泣きっぱなしの赤く透明な目でシヅが言う。

 ゴウが死んで辛いはずなのに、俺たちの心配をしてくれている。

 

 「心配は要らないわ。どうしたって受け入れるしかないことだから。それにゴウならシンたちの手伝いをしろって必ず言うわよ」

 「そりゃ……そうかも知れねぇけど」

 

 ゴウなら自分が死んだからってバイクに関わるのを辞めろなんて絶対言わないだろう。

 だが、俺が心配してるのはそこじゃなくてシヅ自身のことで。

 

 「だから今日だけ……今だけは受け入れさせないで」

 

 あぁ、そっか。シヅにとってこれが最善なんだ。

 泣きたくても他の部員やリュウたちには見せたくなくて、1人で泣くのは寂し過ぎて……俺を頼った。

 なら俺がやる最善は気が済むまで傍に居ること。 

 それからシヅは泣いて、泣いて、泣き続けた。

 ふと見上げた夜空は俺たちの心と同じく曇り。

 月は見えなかった。待っていなかった。

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