第29話「BadRide」


 寝ているはずだったのに体が揺れ、目を覚ます。

 時期は8月中旬。7戦目のレースに備える為、数日前から岐阜に来ている。

 夏休みの時期もあって同じような考えをしているチームは多く、既にジェムロサーキットでは多くの練習が行われていた。

 無駄に寝心地の良いホテルのベッドの上で目を開ける。

 

 「やっと起きた」


 俺の部屋なのにミヤビが居た。


 「ミヤビか……なんで俺の部屋入って来てんだよ」

 「モエに開けて貰った」

 「あいつ……1人部屋のスペアキー勝手に貰ってんじゃねぇよ……」


 慣れていてもついつい文句を言いたくなる。

 俺は体を起こして、枕元に置いておいたお茶を飲んだ。


 「で、何かあったのか?」

 「それはこっちの台詞。もう昼なんだけどー? レースも近いのに監督が何やってんの」

 「1人で居たい時だってあんだよ。あんなことがあった今は特にな」

 

 ゴウが死んでから正直脱力感や喪失感がどうにも抜け切らない。

 出会ったのは今年で、時間で言えば1年にも満たないゴウ。時間だけなら確かに浅かったかも知れない。

 だが、関わりは間違いなく深かった。

 ライバルの俺たちと共同ピットを組み、一緒に練習をしてくれて、リュウにとって最高の先輩だった。

 俺のファンでもあった。

 身近な人に死なれる経験は初めてだ。想像以上にキツい。


 「……そっか。シンも、そりゃそうだよね」

 「……リュウは?」

 「レンゲとシヅキ連れて練習してる。走ってた方が気が紛れるんだってさ」

 

 話すミヤビの眉はずっと八の字を描いている。

 感受性の高いリュウは引き摺ると思っていたのだが……悲しさを走ることで紛らわせているらしい。

 

 「シヅは普段通りか」

 「うん。いつも通りの落ち着いたシヅキのまんま」

 「どんな精神力してんだよ……」


 誰が1番悲しんでる、とか。泣いてないから悲しんでない、なんてことはない。そんな話をするつもりも更々ない。

 だが、それでもシヅは辛いはずだ。はずじゃない。絶対に辛い。

 俺なんかより、ずっと。

 本当にあの夜だけの弱音だったとは思わなかった。


 「ミヤビは大丈夫そうか?」

 「今は、なんとか」

 「そうか。俺もいつまでも寝てる訳にはいかないな」


 立ち上がり、寝癖をどうにかしようと洗面所へ。


 「明日レースなのに1回も顔出してなかったけど、あんな放ったらかしで良いの?」

 

 扉の向こうから気の抜けたミヤビの声が聞こえてきた。話題が切り替わったことで張り詰めていた糸が緩んだようだ。

 俺はタオルで濡れた頭を拭きながらベッドのある方へ戻る。


 「良いから1人で考える時間を作ってたんだよ」

 「ジェムロはケイが得意なタイプのサーキットってこと?」

 「ジェムロは——と同じで——から——それを考えると——得意な方だと——」

 「ねぇドライヤー! 全っ然聞こえないんだけど!」


 ドライヤーを使いながら話していたらミヤビからそれ以上の大声が吹いた。

 うん、俺も何を喋ってるかは頭で理解してるけど自分の声聞こえてねぇもん。

 次は髪を乾かし終え、サーキットまで向かいながら説明を始める。


 「ざっくり言うとサミノの真逆。コーナーは多いけど角度が緩いから開けて行ける高速サーキット」

 「それだけ? なんかケイってどんなサーキットでもそつなく走るイメージだからそれだけじゃ勝てるきっかけに繋がらなくない?」

 

 途中で終わったとは言え、サミノでのリュウはかなり良い走りをしていた。

 ミヤビは高速サーキットだからどうこうなるとは思ってないらしい。


 「最大のポイントは高低差」

 「こーてーさ?」

 「ちょっとはレンを見習え。部員なら知識を付けろ」


 レンなら高低差って言っただけで何が言いたいか理解してくれるぞ。


 「静岡のレースは覚えてるか?」

 「あのとんでもない坂があるコースでしょ。リュウの初勝利だもん。覚えてる覚えてる」

 「下り坂も上り坂もそうだけどその先にコーナーがあると先が見えない見えにくい」


 所謂ブラインドコーナーと言うやつだ。

 

 「先が見えない状況でのブレーキング、アクセルワークはまあ難しい。怖さを感じるライダーが多いんだ」

 「あー……ケイは怖がるとかなさそう」

 「難しさすら楽しむタイプだからな」


 後はその楽しさでロバーツトレースが良い感じに薄れてくれれば今回のレースは勝ちやすい部類だろう。

 ラグナでの走りを見れば予想出来る。

 しかし、そうはならなかった。


 


 『ジェムロでの激闘もいよいよ大詰め! トップを走るのは米満選手ですがその背後には龍崎選手とTopSpeedの梶山選手が迫っているぞ!』

 

 ポールポジションを獲得したリュウは本戦でヨネミツに先頭を許しながらもピタリと張り付いている。

 周回数も少なくなってきたからギリギリまで粘る作戦なんだろう。

 明らかにヨネミツより良いタイムで走るリュウにミヤビとレンは期待を寄せている。


 「これ行けるんじゃない? シンの言った通り!」

 「引き離せるなら今抜かしても大丈夫ですよ!」


 順調な流れに見えるが、気になることがあった。

 それを察してシヅが声を掛けてくる。


 「シンは気になることでもありそうね」

 「俺だけじゃない。シヅとモエも同じこと考えてるだろ」

 「まぁ、ね」

 「ケイちゃん、なんでさっさと抜かさないんだろ」


 モエが不安に満ちた声でそう言った。

 リュウのペースはかなり良い。ピタリと張り付いている影響でタイムは伸びてないが、抜かしさえすればペースを上げられるはずだ。

 だからこそ未だに2番手の位置に居るのが謎だ。

 この状況は今に始まったことじゃない。ペースが良いならギリギリまで寄せるより早々に抜かして差を付けた方が安心して走れる。

 

 「これがリュウの作戦なら何も言うことはないんだけどな」

 「そう言った走りをするタイプじゃないのは確かね。調子が良ければどんどん前に行くのがケイだもの」

 「杞憂……ではなさそうなのが厄介だ」

 「ケイちゃん……」


 ゴウの件もあり、走りに影響があるとは思っていた。

 思っていたが……せめて危ないことにはならないでくれよ。

 残るは最終ラップ。

 形勢は変わらずトップ米満の後ろにリュウ、カジヤマとは差が開いている。それより後ろはもう1周だけで詰められる差じゃない。

 前3人の表彰台は堅い。後は順位がどうなるか。

 

 「どのタイミングで抜くつもりだ? 最終コーナーからスリップ効かせるには距離が近過ぎるぞ」

 「12コーナー立ち上がりのS字から最終コーナーかなぁ?」

 「かなりリスキーな判断だけど……ヨネミツがビビる可能性を考慮してるなら悪くないわね」


 モエが予想した場所は速い切り返しが求められ、パッシングが起きにくい。

 ヨネミツの安定思考を狙うのなら悪くない……ただそこまで自分を追い詰めなくても簡単に抜けるはずなのに。

 そして、リュウはモエの推測通り12コーナーの立ち上がりで仕掛けた。


 『遂に龍崎選手仕掛けたぞ!』


 S字で起こる電光石火のドッグファイト。

 譲らないヨネミツ。

 最悪ここは失敗しても良い。最終コーナーで抜かすか、距離を保てばスリップストリームが使えれば……!

 しかし、コーナー手前でリュウのマシン速度がガクッと落ちた。


 「は?」

 

 ブレーキングポイントにしては早過ぎる。

 カジヤマが瞬く間に距離を詰める——否、カジヤマからすれば寧ろあれは前から隕石が飛んできたようなものだ。

 カジヤマは右コーナーの侵入で左側にマシンを傾け、リュウを回避しながら大きく回る。

 当然、ヨネミツはその間に最終直線を悠々と走っていった。

 リュウも慌てるように加速するが、1度落としたスピードではカジヤマに追い付けない。

 

 『これは……マシントラブルでしょうか?』

 『いえ、単なるミスに見えましたが』


 実況席も戸惑いを隠せないなんとも腑に落ちない結果でレースを終えた。




 表彰式が終わった後、ピットではミヤビとレンが頭の上に疑問符を浮かべている。


 「ちょっ、え? 何だったのあれ?」

 「ワタシにも分かりません……マシントラブルと言うにはその後の加速は問題ないように見えました」

 「一応3位表彰台でアタシは嬉しいけど……」


 ミヤビがこちらをチラリと見た。不安そうに、怯えるように。

 

 「シンちゃん……外に出し過ぎだよ……」

 「どうしようもねぇだろ」

 「そうかも知れないけど……」

 「シンの怒りが収まるかどうかはケイの態度次第ね」


 モエに咎められるほど込み上げてくる俺の怒りはあくまで予想からくるものだ。

 もしもリュウのあの動きが予想通りなら怒らない訳にはいかない。

 だがあの走りを見てればこの予想が外れることはないだろう。


 「……ただいま」


 珍しくリュウが沈んだ表情でピットに戻ってきた。

 

 「リュウ、お前なんであのタイミングでブレーキを掛けた」


 戻ってくるや否や単刀直入に本題に切り込んだ。

 リュウは俺の言葉を聞いて体をビクッと跳ねさせる。


 「その……ゴウさんのことを思い出したら怖くなって……で、でも次は! 次こそはちゃんと走るから! 3位じゃなくて——」

 「馬鹿野郎! 順位なんか今はどうでも良いんだよ!」

 

 やっぱり予想通りだ。リュウは順位を落としたことを悔やんでいた。

 だが違う。

 そこじゃない。

 大事なのはそこじゃない。


 「レースが危険なのは承知の上だろ。死を恐れるなとは言わねぇけど、死ぬのが怖くてあんな走りをするならレースなんか辞めろ。ライダーになる資格はない」

 「シン! そんな言い方!」

 「アジキさん、黙ってて」


 俺を止めようとするミヤビをシヅが黙らせる。

 

 「サーキットの公道と違う安全な点は何だ?」

 「……皆んなが同じ方向に走る」

 

 リュウは声を震わせながら答えた。

 今にも泣き出してしまいそうだ。


 「そうだ。皆んなが同じ方向に、最速を目指して走る。そんな状況でリュウは何をした? 後ろにライダーが迫っている状況で何をした?」

 「あ——」

 「ブレーキングポイントとは掛け離れた場所で速度を落としただろ。マシントラブルでも何でもなく、ただ怖くて、死にたくなくて。お前は自分が助かりさえすれば後続の他のライダーがクラッシュしても構わないってのか?」


 あの場で恐怖を感じたのなら、やるべきは急ブレーキじゃなく、緩くブレーキを掛けて大回りし、インコースを譲ることだった。

 カジヤマの判断力と技術で大事には至らなかった。

 だが。


 「下手したら突っ込まれて2人共々クラッシュするとこだったんだ。最悪の場合どっちかが、いや違うな。2人共死んでたかも知れねぇんだぞ」


 回避した先で転倒する可能性だってあった。 

 ゴウの死から出た恐怖が新たな死を生むところだった。

 リュウの目に涙が浮かぶ。浮かんで落ちる。


 「ゴウが居たらシンと同じように怒っていたでしょうね。私も同じ。あれが続くようならレースは辞めなさい。あまりに危険過ぎる」

 「ゴウが勝ち負けと同じくらい優先してたのが良い走りGoodRideだとしたら間違いなくあれは良い走りじゃない」


 しっかりとチーム名の由来を聞いたことはない。けれどゴウならきっとそんなノリで決めただろう。

 ライダーに憧れながらも輝かしい道は絶たれ、その上で決めた『良い走りをしよう』と言う曖昧で確かな理念。

 同じレースをしていた人間として。

 ゴウと言うライダーを忘れない為にも俺はそれを受け継ぎたい。


 「ごめん……私……私、間違ってた……」

 

 震えていた声は少しずつ確かな形を取り戻し、涙が溢れる目は決意に満ちる。

 

 「こんなだらしない走り見せられない。ゴウさんの為にも、皆んなの為にも、何より私の為に……勝たなきゃ」

 「理解したのならこれ以上言うことはないな。よし、TopSpeedのピットまで謝りに行くぞ。全員で」

 「そうね。全員で行きましょうか」

 

 その誘いを断る奴は居なかった。


 「あ、モエは留守番な」

 「えぇー!」


 だってモエ連れて行ったら騒がれそうだし。

 

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