第43話「風待ちジェット」
最終戦、私は全力でハンドルを握る。
怪我明け初のレースの調子は悪くない。腕はまだちょっと痛むけど思ったより乗れている感覚はある。
でも……! でも! ヨネミツ君の背中に追い付かない!
ヨネミツ君とバトルをしてる時はまだ背中に張り付けるくらいだったのに、今は全然縮まらないのはなんで?
私が療養している間にヨネミツ君が腕を一気に上げた?
ううん、違う。
サインボードのタイムが伸びてない。
——私が遅いんだ。
難易度の高いもてぎのコースでエンジンをぶん回して、全力で頭の中もフルスロットルで回して回して回して回す。
考えてる間にもどんどんコースを進み、週回数が重なっちゃう。
シン君は気の所為と言った違和感。
これ絶対気の所為じゃない!
なんか乗りにくい!
絶対セッティングイジってる!
でも、原因が分かったところで解決策が分からない。
どうしてシン君は遅くなるようなセッティングをしたんだろう?
……。
………。
…………もしかして、速くなるように変えたの?
とある答えに辿り着いた時、リアタイヤからグリップが消えた。
傾けたバイクが外側に流れていくのを感じる。
世界がスローモーションに動いてる。私が速過ぎるのかな。
あっ……やらかしちゃった。走ってる途中に考えごとをする要領の良さは私にないのに馬鹿なことしちゃった。
ここで転倒したらヨネミツ君の優勝が決まる。
ごめん……。
諦めかけたその時——皆んなの顔が思い浮かんだ。
私の為にレースに出てくれたミヤビちゃん。
ずっとサポートをしてくれたレンちゃん。
色々お世話になったゴウさん。
メカニックをしてくれてるシヅちゃん。
そして、シン君。
他にも沢山の人が私を応援してくれている。
きっとお父さんも。
なら……私が諦めてどうするんだ!
倒れそうになる体を左肘と左膝で耐え——押し戻す。
ほぼ転んでた状況から無理矢理マシンを起こして復帰。
そこからいつも通りの走りなんて出来ず、ロバーツさんのフォームを崩して次のコーナーに入る。
「あれっ?」
ヘルメットの中で声が出る。
ロバーツさんのことは考えずにただ曲がることだけを考えて体を傾けた。
なのに驚くくらいすんなりと曲がれた。
その次も、その次も、敢えてロバーツさんを意識せずに走る。
ずっと抱えてた違和感が——消えた。
『俺の憧れはケーシー・ストーナーだ』
あの時のシン君が何を言ってたのか今、分かった。
そっか。そうだよね。私はロバーツさんじゃないもんね。
ライディングの技術が後世に取り入れられても乗り方をそっくりそのままコピーする人は確かに居ない。
体格も何もかもが違う。持っている感覚も違うんだから。
良し、行こう。
私の憧れのライダーはケニー・ロバーツ。
だから、私の走りをしよう。
思うままに走ってみよう。
1度、心を落ち着かせてから最終コーナーを越え、ストレートを完璧なタイミングで加速。
サインボード! タイムは伸びてる!
もっともっと速く走りたい!
コーナーを速くするのに重心を落としたいけど……けど! 私は軽い!
どうしよう!
どうしよう!?
私は——。
「うわぁ!? おお!? 転ばなかった……良かった」
静かに見ていたミヤビがあわや転倒のところから奇跡的に復帰したのを見て1人で大騒ぎ。隣でレンも胸を撫で下ろしている。
あのシヅでさえ大きく息を吐いて、その横でマツモトさんが口を開いた。
「あの転倒回避は驚いた……」
「マルケスかよ……」
そして、リュウのライディングに変化が訪れた。
「お?」
「これは?」
「良い感じ! 行け行けリュウちゃん!」
ロバーツそっくりだったリュウのフォームが変わる。
端々にその面影は残しながらキツいコーナーでは足を出して曲がるようになり、そのコーナー侵入速度も上がり、後輪が浮くほどのハードブレーキング。
奇跡の転倒回避からのファビオやラズガットリオグルを彷彿とさせる攻め攻めのライディング。伸びるタイムに観客も実況も盛り上がる。
『おっとここで龍崎選手がタイムを伸ばしてきました! なんとなんとファステスト!』
『走り方が変わりましたね』
『そう言ったことは起こるものなのでしょうか!?』
『いやぁ、ほぼないでしょうねぇ。ですがレースの中で何かを掴んだのかもしれません』
しかし、ライディングの変化はそれだけに留まらず。
『おーっと! 龍崎選手の凄いコーナリングだああ! 太腿が擦るんじゃないかと思えるほどです!』
一部の左コーナー時、ケツを最大限まで落とし、重心を下げる。
「あれじゃまるでドゥーハンだな」
「土壇場で良くもまあやるわよね。ケツ擦りでもする気?」
そう言うシヅは笑っている。
そうだ。それで良い。リュウは元々真似するのが上手い。それこそロバーツの走りをトレース出来るくらいに。
だから手札は多い。自分の走りをする中で、誰かのライディングがぴったりハマるなら状況に応じて使い分ければ良い。
周回を重ねるごとにタイムは伸び、ヨネミツとの距離は狭まる。
「「「おぉ、おぉ!?」」」
テツを筆頭にピット内に明るい光が差し込み始め、表情が照らされていく。
残り5周。そのタイミングで初めてトップが入れ替わった。
「良し!」
俺はグッとガッツポーズ。
ミヤビたちも声を揃えてはしゃいでいる。
「ここで抜かせたのは大きい!」
「でもまだ安心は出来ないわよ」
喜ぶモエとまだまだ油断しないシヅ。
マツモトさんはレース展開が面白くなったおかげで逆に喋れなくなっている。のめり込んでしまうくらいにモニターに釘付けだ。
完全に2人が抜け出している展開だが、チャンピオン争いをしている2人が抜け出しているからこそ面白い。
『バックストレートでスリップストリームを利用して米満選手が抜き返す!』
『龍崎選手は……おっとミスですね』
最終コーナーで仕掛けるリュウだが、失敗。
再びトップをヨネミツに許す。
「最終コーナー?」
レンが訝しげな表情で首を傾げる。
「カワラギ先輩」
「どうかしたか?」
「先輩大丈夫でしょうか。最終コーナーでパッシングしようとするなんて。焦ってるんじゃ……」
「大丈夫だ。リュウを信じろ。俺の弟子だぞ?」
構造上、最終コーナーでのパッシングはほぼ不可能と言われている。
レンでも知ってるくらいの常識。
それをリュウが知らないはずもなく、焦りを心配したようだ。
だが、問題ない。リュウがやろうとしてることは今ので理解した。シヅとモエも気付いただろう。
「本当に大した奴だよ。リュウは」
感心と呆れが混じり合った俺の声にシヅとモエが笑う。
『レースはいよいよ最終局面に入りました! 残り2周を残し、トップを走るのは龍崎選手! しかしその背後には米満選手が張り付いている!』
『熾烈なチャンピオン争いですね。ですが龍崎選手はもう少し離さないとまたバックストレートで抜かれる可能性が高いですよ』
解説の通り、この周回でヨネミツは仕掛けてこない。
運命のラストラップが始まる。
『依然としてトップは龍崎選手! このトップ争いは目が離せない! 米満選手の2連覇か! それとも初の女王誕生か!』
リュウは僅かなリードを保ちつつ、最終ラップを疾駆する。
「これ、どう?」
「微妙。このリード保てればスリップに付かれないはず……いや、本当に微妙なラインだなこれ」
「後は皆んなで応援だー! 頑張れリュウちゃん!」
「「「うおおおお! 行けえええ!」」」
しかし——
『S字コーナーに——おっとここで龍崎選手のミス!』
怖いもの知らずのブレーキングが祟り、フロントが流れた。
幸いなことに転倒はしなかったが、バランスを崩し、距離が詰まる。
そうして、運命のバックストレート。
『ここで差を縮めた米満選手! スリップストリームを利用して前へ!』
きっとサーキットを知る人間なら誰もがヨネミツの勝ちだと思っただろう。
俺たち3人以外は。
「あぁ! もうこれじゃあ!」
父親からの知識なのかミヤビが悲痛な声を出す。
「いや、まだだ」
あの時、リュウが最終コーナーで無理に抜こうとしたのはきっと感覚を確かめる為だ。
あのマルケスですらドヴィを抜かせなかった最終コーナーで、俺は1度だけパッシングを成功させたことがある。
それは今も奇跡のレースとして有名だ。
俺のことを知ったリュウがあのレースを見ていないはずがない。
空いてる時間があればタブレットを眺めていたリュウだ。きっと繰り返し、何度も何度も見ているに違いない。
リュウは最終コーナー手前で突っ込み、ヨネミツの前に出る。
『前に出た!? 止まれるか!?』
止まれるさ。
「真似っこは得意だろ?」
リュウは全身を使ってバイクの速度を殺す。
目の前でのハードブレーキングにヨネミツは理想のコーナリングを邪魔される。
ブレーキングのタイミングも。
加速のタイミングも。
だからほんの一瞬だけ、アクセルを開けるタイミングが遅れる。
リュウのマシンがより速く、前に出る。
『なんとなんと! 最終戦優勝はOVERDOSEの龍崎選手! 年間チャンピオンで初の女王誕生だあああああああああ!』
「「「うわあああああああああああああああ!!!」」」
絶叫のような歓声が観客席から響き渡り、ピット内もどんちゃん騒ぎ。
「「やったああああああ!」」
ミヤビとレンが手を合わせて大喜び。
「「「ケイちゃんおめでとおおおおおお!!!」」」
テツとGoodRideの面々が弾けるくらいの拍手を送り、俺とモエは盛大にハイタッチ。
マツモトさんは静かに拍手。
シヅはと言えば。
「本当に……おめでとう……!」
人差し指で涙を拭いながらモニターを見ていた。
リュウは大きく大きく『GoodRide!』と書かれた旗を背負ってビクトリーランを走っている。
あいつ……何時の間に準備してたんだ。
「ねぇ、シン」
「どうした? 似合わない顔して」
歓喜の渦の中、ミヤビが真剣な顔で話し掛けてくる。
「アタシ、ずっとなんとなくだったの」
「うん?」
「何でも出来て、ゲームが好きで、漫画が好きで、だからと言ってそれを職業にするのはピンと来なくて、きっと普通に働きながら趣味を全力で楽しむんだろうなって思ってた。それが悪いことだとは思わない」
「そんで?」
「良いね。こうやって全力でやって、皆んなと一緒に喜んで、はしゃいで。アタシもライダー、なってみたい。なれるかな?」
ミヤビにしては珍しい。自信がなさげだ。
「本気なら、チームくらいは紹介する」
「じゃあ、お願い」
「了解。んじゃリュウを出迎えにいくぞ!」
「「「おー!」」」
ピットから出て俺たちはリュウを迎えにいく。
レースの結果順にマシンを並べ、マシンから降りたリュウはフェンスの裏に居た俺たちにヘルメットを脱いでダイブ。
「やった! 勝ったよ! 私、勝ったよ!」
もう言葉にすらなってない俺たちの激励の嵐がリュウを襲う。
ひとしきり騒いだ後は落ち着きを取り戻し、真っ直ぐ俺を見るリュウ。
「私、絶対世界で走る。そこでシン君と勝負して、勝ちたい! 勝つ! だから待ってて。必ず私も追い付くから!」
「そんじゃ、俺はリュウが来るまでにMoto2とMotoGPでチャンピオン取ってやるかな!」
やっぱり俺はバイクから——レースから離れることは出来ない生き物らしい。
「約束」
「あぁ、約束だ……とまあ、そんなことより。優勝おめでとう!」
リュウは太陽すら霞むくらいとびっきりの笑顔で応えてくれた。
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