第5話「参戦準備完了」


 「なぁ……良いだろ? もう……耐えられねぇよ」


 俺の目にとあるものが映っている。

 顕になったそれは今直ぐにでもぶち込みたくなる感覚を呼び覚ます。

 

 「駄目……まだだよ? まだ早いよ……」

 

 汗ばむ右手の動きがミヤビの所為で止まった。

 さっきからずっとミヤビに止められている。たった一度触れてしまえば始まると言うのにお預け状態だ。

 この状況になった時、俺とミヤビの出方は正反対。

 なるべく早く済ませたい俺とは裏腹に、ミヤビはしっかり前準備をする。そうして機会を伺いつつ、最高の場面へと持っていく。

 俺は右手を撫でるように滑らせながら時を待つ。

 駄目だ……待ってられない。

 先に手出しちゃおうか。 

 そう思った矢先、ミヤビが言う。


 「カウントダウンするよ。さん……に……いち——ぜろ!」

 

 掛け声と同時に俺とミヤビと豆腐ちゃんが左クリックで一斉射撃。

 フォーカスされた敵の一人が一瞬で溶け、ダウンが入る。


 「おし! 行け行け行け! 突っ込め突っ込め!」

 「絶対ダウンしないで! 三部隊居るから! シン行き過ぎ行き過ぎ!」

 「あたしカバー入る」

 「おっけおっけ! もう一人やり!」

 

 ラスト二パの片方が二欠けだ。落ち着いて行けば勝てる。

 

 「壁張り付きで良いよ張り付きで! シンは回復! 変わる変わる!」


 削られた俺はミヤビと入れ替わり、キットを巻く。

 丁度回復が終わった頃に残った一人をミヤビがキルしてラスト一部隊。リングも大分小さくなってきた。

 張り付いていた遮蔽物までリングが迫ってる。

 ここ超えたら平地しかない。バトロワ特有のごちゃごちゃしたラストバトル開始だ。


 「カワラギ、投げ物はある?」

 「ない。だから二人で全部投げてくれ。俺はエイムで勝負する」


 自分が投げたグレのダメージは喰らうが、味方のは喰らわない。

 ミヤビと豆腐ちゃんが自ずと詰められなくなる。だからそこは俺がカバーする。

 二人がグレをポイポイと投げ始めれば俺は壁を乗り越え、敵の目の前に。

 相手は三人。サブマシンガンのワンマガ使い切る前にフォーカスされて即ダウン。

 しかし、俺の削りのおかげで敵も一人ダウン。


 「グレ入ってる! 行けるぞ!」

 

 即座にミヤビと豆腐ちゃんが詰め寄り、グレで削れた残り二人を倒し切る。

 見事チャンピオン。ミヤビが手を打ち鳴らして拳を突き上げる。

 

 「はいないっすー! ジージー!」

 「マジで疲れるこのゲーム……」


 ヘッドセットを外して大きく息を吐く。

 ミヤビに誘われて始めたバトロワは楽しい……楽しいけどランクマッチの時は本当に精神削られる。

 正解のない立ち回りと対面の強さ。

 立ち回りは全部ミヤビに任せっきりのはずなのにそれでもやることが多過ぎる。

 

 「シンも最高ランク維持目指さない? センスあるよ?」

 「嫌だ。あんな修行僧みたいなことやってられるか。俺が付き合うのは昼間に仲間が居ない時だけだ」

 

 現在、夏休み。

 珍しくバレー部の練習が休みらしく、俺と豆腐ちゃんはミヤビの家でゲームをやっていた。

 田舎の和風家屋なのにゲーム専用の部屋がある。

 二台はミヤビの持つパソコンで一台は俺が買ったのをここに移動した。

 どうせ家であんまりゲームしないしな。

 

 「はぁ……こんだけクーラーガンガンの部屋に居たら外に出たくなくなる」

 「そう言えばケイは? 来るって言ってたよね? 迎えに行かなくて良いの?」


 エナジードリンクを片手にミヤビが言う。

  

 「歩いて来るってよ」

 「「うぇっ?!」」


 ミヤビと豆腐ちゃんが声を揃えて驚いた。

 

 「あたしとかミヤビの家って最寄り駅からのバス乗ってもバス停から二十分くらい掛かるけど!?」

 

 ミヤビや豆腐ちゃんが住んでいるところは超が付くほどの田舎で文字通り場末。

 特にミヤビの家は元大農家だったのもあり土地が広い為、市街地からは離れざるを得なかったのだろう。

 だから駅の到着時間さえ言ってくれればバイクで迎えに行くとしっかり説明したのだが。


 「知らない場所を歩いてみたい! とかメッセージが返ってきたから着替えは持って来いよと言っておいた」

 「温度下がってるかもしれないけど」

 「あぁ、ミヤビん家薪ボイラーか。この暑さだしある程度あれば大丈夫じゃね?」


 多少冷たくてもリュウザキなら「冷たーい! 気持ち良いー!」とか言いそうだ。

 ミヤビの婆ちゃんが出してくれた麦茶で喉を潤す。

 

 「リュウザキが来たら何するか。バレーでもするかー?」


 もう農家じゃないアジキ家の敷地は凄いことになっている。

 大半の畑は残ったままだが、なんと体育館がある。バスケもバレーも道具は一式揃っている準備万端ぶり。

 これ……立地が立地なら金取って貸し出しとか出来るだろ。

 ミヤビは俺の提案に頷かず、考え込む。


 「折角四人も居るし五対五のFPSしよう!」

 「初心者がいきなり出来るゲームじゃないだろあれ」

 「パソコン足りないよ」

 「確かに……じゃあ大人しくスポーツしよっか」


 考えが纏まったところでタイミング良くインターホンが鳴った。

 リュウザキが到着したのだろうか? それとも客人か?

 

 「あっ、ケイが来た。アタシ出迎えてくる」

 

 ミヤビは客人をリュウザキだと決め付け、椅子から立ち上がる。


 「なんで分かるんだ?」

 「近所の人ならインターホン鳴らさないからね。玄関先でこんにちはー! って叫んでくる」

 「うんうん。分かる分かる」

 

 豆腐ちゃんも同意している。

 どうやらこの辺の田舎ではそれが普通のようだ。

 インターホンを鳴らして来るのは宅配業者とかだけだと言う。

 外から玄関の鍵が閉められない家にインターホンのことを突っ込む俺が間違いなのかもしれない。

 つっかえ棒なので鍵ですらないのだが。

 そうして部屋から出て行ったミヤビが戻ってきた。

 

 「今シャワー浴びてるからもう一戦行く?」

 「カジュアルにしようぜ。ランクマじゃリュウザキが先に終わる」

 

 最近のカジュアルは部隊数の減りが物凄く早い。

 もしかしたら俺たちの方が早く終わってしまうかと思っていたのだが、偶然にもマッチが終わったのと同時にリュウザキが部屋にやってきた。


 「はぁ……涼しい」

 「おーっす」

 「よく歩いて来たよね……」

 「知らない景色が一杯で楽しかったよ!」

 

 一杯? この辺の景色なんて緑一色しかないはずなのに。妙だな。

 なんでも楽しめる性格が素直に凄いと思える。


 「はい麦茶。暑かったでしょ?」

 「ありがとう。シャワーも助かったよ。にしてもすっごい豪邸だねミヤビちゃんの家。日本っぽいなって思ったらフローリングの部屋もあるし」

 「フローリング部屋は父さんが後から増設したの。アタシがゲーム部屋欲しいって言ったから」

 「お前の我儘だったんかい」


 それで部屋増設してゲーミングパソコン二台設置とか金持ち過ぎる。

 ミヤビの優秀さは家が裕福だったからかもしれない。スポーツもそうだけどゲームとか色んな文化に小さい頃から触れている。

 

 「でもお父さんとお母さんこの家には住んでないんだっけ?」

 「父さんの仕事の都合でね。アタシも引っ越すかもしれなかったんだけど結局こっちに残ったの。だからお婆ちゃんと二人暮らし」

 「あたしが頻繁に泊まりに行くから実質三人暮らし。もはや家族と言っても過言じゃない」

 「いや、過言でしょ」


 相変わらず豆腐ちゃんのミヤビに対する愛が重い。

 横で笑うリュウザキは二人共仲が良いんだなーくらいにしか思っていない顔だ。

 気を付けないとリュウザキもターゲットにされるぞ。豆腐ちゃんはガチレズだ。

 うーん……これだけ女子が揃い踏みだと些か居た堪れない。

 テツでも呼ぼうかな。いや、あいつ呼んだら碌なことにならないから辞めよう。

 頭に浮かんだ対策を一瞬で切り捨てる。


 「ん?」


 ふと、携帯に通知が来ていることに気付く。

 マナーモードにしてる所為で今の今まで気付かなかった。

 

 「バレーとバスケどっちやる? ゲームでも良いよー」

 「あたしはちょっと動きたいかな。朝からずっと付き合いっぱなしだから……脳が疲れた」

 「わたしはなんでも大丈夫!」

 「シンは……どしたの? エロいサイト見るなら一人の時にしてよね」

 「見てねぇわ!」

 「こんなに乙女が居るんだから射線管理ならぬ視線管理くらいしっかりね。はっ!? もしかして——」

 「言わせねぇぞ!? 一人で盛り上がって何口走ろうとしてんだ!」


 射線管理からの流れで察しが付いた俺はミヤビの口を塞ぐ。

 エロゲーマーの発想が中学生並みの勢い過ぎて怖い。下ネタ大好き度で言ったらミヤビとテツがトップを張るだろう。

 携帯にがっついていたのが不幸な理由だと思ったのかリュウザキが顔を覗き込んでくる。

 

 「何かあったの? 大丈夫?」

 「悲しい連絡じゃない。寧ろリュウザキには嬉しい連絡だ」

 「へっ? まさか来たの!?」

 「あぁ、やっとバイクの到着だ」


 俺が頼んでおいたバイクが遂に学校に搬送された。

 数々の面倒臭い注文の割に早く届いたな。秋くらいまで掛かると思っていた。


 「じゃあさ今から皆んなで見に行こうよ。アタシも気になる」

 「どうやって? 往復しろと?」

 

 流石にアジキ家と駅を何度も往復するのは御免だ。

 せめてもう一人免許持ちがいたら楽なんだけど。

 

 「それさ。あたしも行って良いの?」

 

 おずおずと豆腐ちゃんが手を上げる。

 

 「構わないけどなんでそんな弱腰なんだよ」

 「あたしみたいな部外者が部室に行ったら邪魔だと思わない?」

 「いっつも厚かましい癖にこんな時だけ卑屈になるのなんなんだ。思わねぇよ」

 「ほんと? じゃあカワラギはバイク。ミヤビたちはお姉ちゃんに乗せてって貰おう。大学生だけど今日は暇してるから頼んだら来てくれる。シスコンだから」

 

 おおう……仲の良い姉妹なんだなと思ったら最後の一言で印象ひっくり返った。

 と言うか最後の一言必要なかっただろ。

 取り敢えず、移動手段を確保出来た俺たちは学校に向かうことにした。

 ちなみに豆腐ちゃんが呼び出した後の姉は速かった。

 本当にシスコンなんだなって思うレベルで、引くレベルで速かった。

 



 部室に入ると真っ赤な布で覆われた二台のマシンが置かれていた。

 うぉ……えっぐいな。この布、すげぇ高級なの布だったりするのか? グランドピアノに掛けらていてもおかしくない質感だ。

 

 「これがわたしのマシン! 早く早く! この布切れ取っ払っちゃおう!」

 「ケイ、そっち持って。行くよー!」

 「はーい!」

 「待て待て待て! ムードもへったくれもねぇなお前ら!」


 喜び最高潮のリュウザキとマシンを見たいミヤビが躊躇いなく布に手を掛けるので全力で止める。

 

 「工具一杯ある。凄ーい」

 「お前もお前でマイペースだな!?」


 豆腐ちゃんに至っては工具を眺めて楽しんでいる。

 

 「豆腐ちゃんはともかくお前ら二人は一旦止まれ。その勢いだと布をハンドルに引っ掛けていきなり倒す未来しか見えない」

 「「はい。監督、後はお任せします」」

 「素直で宜しい」


 マシンに被害が及ぶと分かった瞬間、着席する二人。

 見たいのは俺も同じだ。

 だがその前に色々とやっておきたいことがある。


 「と言う訳でマシンが届いた。しかもオリジナルペイント済みだ」

 「と言うことは! チーム名も決まったの!」

 「とっくに決まってた。ただやっぱりこのタイミングが一番良いだろ?」

 「うんうん!」


 リュウザキが激しく頭を上下に振る。

 ふふふ、そして今日お披露目するのはバイクだけじゃない。ずっと前に発注したからリュウザキは忘れているだろう。

 俺はどでかい段ボールをテーブルの上に置く。

 ガムテープを素手で剥がし、中から重厚感たっぷりのツナギを引っ張り出す。

 

 「レーシングスーツだ! 赤と白……かっこいい! ロバーツさんみたい!」

 「結局はそこに行き着くんだな」


 ちょっと意識したところもあるので間違ってはいない。


 「これがリュウザキので、こっちがミヤビな」

 「なんかこれだけでもわくわくする。バイク部としての実感湧くわぁ」

 「バレー部としての実感をもっと持てよ」

 

 横で豆腐ちゃんが睨んでいるぞ。俺を。

 ずっと前から思ってるけど俺悪くなくない? 

 ミヤビが百パー悪いのになんで俺にヘイトが向けられるんだ。

 

 「シン君シン君! これがあるってことはもしかしてヘルメットも来てるの!?」

 「もちのろん」

 「え……ふっる」

 「うるさいな」


 古いことを知ってるミヤビも同類だからな?

 気を取り直し、俺は立方体の箱を一個ずつテーブルに置く。

 日本のヘルメット会社と言えば恐らく三つの会社のどれかが出てくるはずだ。

 俺が今回リュウザキに勧めたのはその一つ——アライヘルメット!

 

 「開けていい!? 開けよ!」


 許可を求めてきたかと思えば勝手に開け始めるリュウザキ。


 「意外と自由だよなリュウザキって」

 「でも不快感ないのよね。今じゃクラスの人気者だもん」

 「主に男子な」


 誰にでも明るく振る舞うリュウザキは当然、人気者だ。特に男子連中から。

 どれだけの男子を勘違いさせたんだろう。

 ざっと片手で足りないくらいは「あれ? リュウザキちゃんって俺のこと好きなんじゃね?」とか思ってるぞ。

 ただ、いつも一歩退いてるような雰囲気なのは気になるが。

 誕生日プレゼントを貰った子どものように目を輝かせ、リュウザキは箱からヘルメットを取り出す。

 ツナギに合わせた赤がメインカラーで両サイドにはロバーツのように鷹……ではなく龍が配われている。格好良さマシマシよりかはちょっとポップ寄りの龍だ。

 背面にはキングっぽさを出した王冠のデザイン。

 リュウザキの『龍』と憧れであるキングケニー要素も取り入れた特注品だ。


 「本当は黄色で作りたかったんだけどマシンカラーの都合で赤になっちった」

 「ううん! すっごい好き! ロバーツさんも赤い時期あったしね」

 「そうか。そりゃ良かった」


 本人が満足ならそれで良い。


 「それでミヤビちゃんは?」

 「アタシはアライじゃなくてショウエイ! じゃじゃーん!」


 ミヤビのヘルメットは紺をベースにドット絵の太陽が目立つデザイン。

 濃いめベース色で落ち着いた雰囲気を作り出しながらゲーム好きならではのミヤビらしいヘルメットに仕上がっている。

 リュウザキのは俺が、ミヤビは自分で描き起こしたのをプロのデザイナーに任せてデザインして貰った。

 ミヤビの画力から良くここまで綺麗に仕上げたな。

 やはりプロは何処の界隈でも凄い。

 

 「さあ、全部出揃ったな。残るはこいつだ!」

 

 俺は最後にマシンに被せられた布を剥ぎ取る。

 布の下から現れたのは大部分を占める赤が特徴的な派手なマシン。カウルには大きく『OVERDOSE』と書かれている。

 

 「チームOVERDOSEオーバードーズ始動だ!」

 

 バッチリ決まった……ん?

 思いの外、反応が悪い。ミヤビはともかくリュウザキまで。


 「なんでオーバードーズ? コンプラ的に大丈夫なの?」

 「高校生らしいモラル範囲内に留めたつもりだが!」

 「モラルの検問に引っかかること間違いなしだけど!? どっからこの名前になったの!?」

 「まずバイクは最高に楽しいんだ」


 豆腐ちゃんを除いた二人が頷く。


 「だけど死と隣合わせってところからだな。初めてのバンクとか超怖いけど段々楽しくなってくるぞ」

 「分かるよシン君。コーナリングすっごい楽しいよね」

 

 レース経験者のリュウザキは俺の言いたいことを理解してくれたようだ。

 体剥き出しで百キロ以上出してレースする命知らずの競技。

 だが、それが良いのだ!

 ハマると抜け出せなくなる。まさにオーバードーズ。

 

 「多少インパクトのある名前でちょうど良いさ」

 「字面がヤバい」


 真顔で豆腐ちゃんが正論でぶん殴ってくる。


 「ま……まあ、ハマるって意味もなくはなかった気がするからセーフ……」

 「搾りかすみたいな逃げ道」

 「わたしは良いと思うよ? なんたらレーシングってチーム多いから。ところでこのマシン、何処のメーカー? スズキ、ヤマハ? 赤は珍しいね」


 遠目から見ているリュウザキはメーカーロゴが見えていないらしい。

 確かにヤマハだったとしたら赤は珍しい。

 シュワンツを見れば分かる通りスズキも赤のイメージがない訳ではないが、最近だと八耐の黒赤イメージが強いのだろう。

 しかし、マシンは紅白カラー。

 そう。俺が選んだメーカーは。


 「ホンダ」

 「えっ!? ホンダ……ってあの?」

 「そう。あの」

 

 他にどのホンダがあるのか俺は知らない。

 ここにあるのは正真正銘世界のホンダが作ったバイクだ。

 高校選手権用にイジってあるが市販車と似たり寄ったりのスペックだ。

 そうじゃないとレースが成立しないからな。

 特徴と言えば最高速はちょっぴり上かもしれない。この辺は最高峰クラスと変わらない特徴だ。

 そんなホンダ機を引っ張ってきたと言うのにミヤビは驚きすらしない。

 

 「つまんねー女」

 「それはもう普通に悪口じゃん」

 「おもしれー女も言うほど褒め言葉か?」

 「そもそもあれ直接言う台詞じゃないから」


 確かに。あれはボソッと呟く独り言だ。

 さて、それはともかく我らがおもしれー女の反応は如何に。

 やけに静かなリュウザキに目をやる。

 ヤマハでもスズキでもなかったから少しばかり落胆してるかと思っていた。

 その程度だと思っていた俺が馬鹿だった。


 ——リュウザキの目から涙が溢れていた。


 「リュウザキっ……おま——どうした!?」

 「うわぁ……シン、泣かせちゃったー」

 

 なんでだ!? なんで泣いてんだ! さっぱり分からん!

 泣いてる理由を探すのに必死でミヤビに言い返す気すら起きない。

 あれだけヘルメットとツナギに大はしゃぎだったのに……やっぱりロバーツファンだからマシンをヤマハにしておいた方が良かったのか?

 だが、何処の学校も海外メーカーばかりで、国産メーカーでもホンダが少なかったから選んだのだ。

 

 「悪い! どうせ今年は走れねぇし今からでもヤマハに」

 「違うの」

 

 話の途中でリュウザキが短く遮る。涙を人差し指で拭い、顔を上げる。

 その表情に悲しさは見られない。


 「ヘルメットもツナギも……ホンダのマシンも嬉しくて……こんなに良くしてくれるなんて思ってなかったから。ドッキリかもしれないって」

 「そんな悪趣味大規模ドッキリテレビでもやらねぇよ」

 「その疑念何処で拾って来たの……」

 

 入部してから今の今までまともな活動してなかったけど発想が突飛過ぎる。

 わざわざ編入させて、バイク部用のガレージまで立てて、数ヶ月後に「やっぱり嘘でしたー!」とか何の意味があってやるんだよ。

 ともあれ悲しい涙じゃなくて嬉し涙でホッとする。

 そして、バイクが来て、ツナギとヘルメットも来た。グローブとブーツは既に購入済み。

 これでレース参戦準備は完了だ。


 「監督!」

 「ん?」

 「わたし、早く走りたい!」

 「アタシも!」

 「そうだよな。走りたいよな」


 全てが揃った状態で来年までお預けは勘弁だよな。

 俺の含みのある返しで、にこやかになったリュウザキは期待が溢れ出しそうな眼差しを向けてくる。

 

 「その反応は……もしかして!」

 「俺たちの初走行は筑波サーキットだ。日にちは来週の木曜」

 

 夏休みでも平日だし大人はそんな多くないだろうから木曜にした。

 それを聞いたリュウザキはミヤビと一緒にバイクに跨り、クラッチやブレーキの感触を確かめながら大騒ぎ。

 エンジンを掛け、軽くアクセルを回せば豆腐ちゃんが耳を塞いだ。

 木曜、リュウザキがどんな走りを見せてくれるのか実に楽しみだ。

 

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