第6話「クイーンリュウザキ」


 今日は待ちに待った初走行の日……待ちに待っていたのはリュウザキの方か。

 場所は筑波サーキット。

 ピットにバイクなんかを運び込み、俺は二人の着替えを待っていた。

 送迎してくれたユウキちゃんは積み降ろしが終わるや否や「帰る時は連絡してくれな!」と言い残してどっかに遊びに行ってしまった。しかもトラックで。

 今頃涼しい車内に居るのか。羨ましいぜ。

 夏真っ只中の屋外は馬鹿みたいに暑い。ピットが日陰だとしても熱気はダイレクトに流れ込んでくる。

 

 「あっちぃ……」


 氷風呂から麦茶のペットボトルを取り、額に当てる。

 走るつもりなかったからツナギ持ってこなかったけど……これは動いてない方が暑いぞ。

 俺はバイクで来たからヘルメットとグローブはある。

 特例でサーキット走らせてくれねぇかな……流石にそれは無理か。

 

 「お待たせー。めっちゃ暑いー」

 「お、来たか」


 ツナギを着たミヤビとリュウザキが手で顔を仰ぎながらやって来た。 

 ミヤビは腰のところで袖を縛って止めている。インナーは普通の半袖運動着。

 リュウザキはしっかりと上まで着て、チャックだけは開けっ放しだ。

 限りなく薄着な俺が暑いんだからツナギなんか着てたらそりゃ暑いわな。

 

 「ほれ、水分補給はしっかりしとけ」

 「ありがとー!」

 「アタシ炭酸が良い。スポドリ嫌だー!」

 「甘くなーい炭酸水ならあるぞ?」

 「甘くないのならスポドリで良いや」


 言うと思ったよ。そんなに欲しけりゃ自分で買ってこい。

 するといつも通りの笑顔でぐびぐびスポドリを流し込むリュウザキがピットから外を注視する。

 

 「珍しいね。わたしたち以外居ないんだ」

 「貸し切ったからな」

 「そっかぁ。貸し切ったんだ……へ? 貸し切った? 筑波サーキットを?」

 

 ぎこちない首の動きで俺を見るリュウザキ。

 そんなに見つめちゃいやん……ってなる顔じゃない。何言ってんのとでも言いたげな顔だ。


 「嘘だよ嘘。貸し切れたの十二時くらいまでだから」

 「それでも凄いよ!?」

 「シンー、もう走っても良い?」

 「ミヤビちゃん全っ然驚いてないね!」

 「だって平日だよ? 貸し切りでも変じゃないでしょ」

 「変だよ。貸し切り状態ならともかく故意に貸し切りにしてるのは変だよ」

 

 ミヤビ理論が理解出来ずにリュウザキが真顔で言う。

 これには俺も驚いた。

 

 「リュウザキに真顔の概念ってあったのか……?」

 「あるよ!」

 「俺はてっきり喜怒哀楽じゃなくて喜喜哀哀しかないのかと」

 「そんな和気藹々みたいな……」


 しかし、リュウザキの学校の振る舞いもはやは喜喜楽楽。

 誰と会話するにも笑顔を崩さず、時折驚いた表情を見せるくらいで不機嫌な顔は見たことがない。

 会話相手も毎回満足そうなので毎度毎度百点満点の返しをしているのだろうか。

 コミュ力が高いのは素直に羨ましい。

 それはそれとして——

 

 「と言う訳で! そろそろ走りますか! 自由に使えるの十二時までだしな」

 

 貸し切りに出来たのは正午まで。

 今が十時過ぎたくらいだ。二時間弱あれば休憩時間含めても嫌と言うほど走れる。

 

 「さんせーい。ケイ、行こう」

 「うん!」

 

 ミヤビがリュウザキと併走しようとするので。

  

 「待て。ミヤビは先に走ってこい。リュウザキはミヤビが終わるまで待機」

 

 勝手に走り出される前に引き止める。

 そうするとミヤビが目を細めた。納得いかないらしい。

 

 「なんでよ。バイク二台あるんだし効率良くない?」

 「馬鹿言うな。ミヤビは初サーキットだろ。危なっかしくて併走なんかさせられるか」

 

 同レベル、もしくはそれに準ずる二人ならともかく、サーキット走行の基礎が出来上がってるリュウザキと初心者のミヤビを同時に走らせるのは危険だ。

 ミヤビの天才肌ならパッと乗りこなすかもだけど、それでもやはりリスクは避けるべきだ。 

 問題はミヤビじゃなくてリュウザキだからな……慣れているからこそ得意のライン上にトロい動物が居たら危ない。

 咄嗟の回避——からクラッシュの流れは避けたかった。

 

 「一周か二周軽く流してからアタックしろよ」

 「分かってるって。んじゃ行ってきま!」

 「本当に分かってんのかあいつ……」

 「ミヤビちゃんならなんとかなるんじゃないかな。あはは」


 軽いノリでリュウザキが笑う。

 この数ヶ月の付き合いでミヤビの天才肌っぷりを確と頭に叩き込んだらしい。

 そうだな。ミヤビなら大丈夫か。一度教えたらスッと記憶してしまうくらいだからサーキットのルールも頭に入ってるはずだ。

 指導に関しては……良いか。サブメンバーだし好きに走らせよう。

 ミヤビがどれだけ本気なのかは知らないが、あのタイプは口出しするより勝手にやらせた方が伸びる。


 「それより、実はまだマシンで決まってないことが一つあるんだ」

 「スポンサーの話? そう言えばカウルにチーム名しか入ってないよね」

 「あーいや、スポンサーはもう決まってる」


 茨城に本拠地がある国内最大級の会社——円城寺グループ。

 ミヤビがどっからかその話を持って来たので二つ返事で了承した。

 

 「決まってないのはゼッケンだ。どうする? 好きな数字とかあるか?」

 「1番!」

 「無理」

 「だよねー。そこはルール変わらないかー」


 チャンピオンナンバーを使えるはずがない。

 リュウザキは特に落ち込む様子も見せずに笑顔を見せる。冗談混じりで言ったのだろう。

 

 「ミヤビちゃんには聞かなくて良いの?」

 「良い! 俺が良いと言うのだから良いんだ! 俺は監督だ!」

 「暴君だ……暴君が居る……!」

 「どうしてもリュウザキが思い付かなかったらミヤビに委ねる」

 「そっか。シン君は最後の砦?」


 なんだ最後の砦って。そんな大層なもんじゃないだろ。たかがゼッケンナンバー決めるだけだぞ。

 

 「うーん……じゃあ4よん! 紅白カラーの時のロバーツさんが付けてたから」

 「頭に0を付ければドヴィにもなるな……」

 「もしかしてだけどシン君ドゥカティ好き?」

 「ドゥカティライダーが好き」

 

 ペッコも好きだしミラー、ザルコ、マルティン、ドヴィ……中でもストーナーなんてもう……言葉が出ないレベルで好きだ。

 

 「ほんと三年連続マルクに阻まれたけどドヴィは惜しかったよなぁ」

 「うんうん! でも十九年はちょっと……まあ……あれはどうしようもないよね」

 「アメリカでのリタイヤ以外優勝と準優勝しかしてないからな……あの年はマルクが速過ぎた」


 年間ランキング二位のドヴィとポイント差が百五十一ってなんだよ。

 それにしても思ったよりリュウザキが詳しい。

 第一印象から今までずっとロバーツ大好きガールだったからてっきりその後のレースには興味がないかと思っていたのだが。

 楽しいぞ……! こんなディープな話に付き合える同年代早々居ない!

 レース需要が上がってきた所為で見るより走る専が多くなってきた。

 ストーナーの話とか余裕で出来るんじゃないか!?

 心の回転数が上昇する。レッドゾーン一直線のその途中、俺はとある疑問を抱く。

 

 「どうしたの? 具合悪い?」


 途中で勢いを失った俺をリュウザキが心配してくれる。


 「レース見るの好きなのか?」 

 「うん! 大好きだよ!」

 「ちなみにどれくらいの年まで……」

 「クアッタハッホーさんがチャンピオン取った年までかな? ここ最近はそれより前のレースを繰り返し見てるから今どんなライダーが居るのかとかはよく分かんないや」

 「二十一年か」


 あの年はペッコが後半追い上げてたけど流石に届かなかった。

 ファビオも速かったけど何より印象的なのはアラゴンでのペッコとマルクのバトル。あのレースは面白かった。

 

 「それがどうかしたの?」

 「いや、別になんでもない。ただ聞いただけ」

 「そっか……あっ、ミヤビちゃん戻ってきたよ」

 「たっだいまー! アタシの素晴らしい走り見てた?」


 ヘルメットを脱ぎ、満足感たっぷりな顔でミヤビが帰ってきた。


 「いや全然」

 「なんでよ。監督でしょ。ちゃんと見てなさいよ」

 「……転ばなくて偉い!」

 「そんな褒め言葉で足りるか!」

 

 ギャーギャーうるさい奴だ。走る時間を設けてるんだからそれで良いだろ。

 あくまでチームのエースライダーはリュウザキだ。

 二時間あってフルで走らせるのはハードだからミヤビの時間があるだけで、これが一時間だけだったら走らせてない。

 

 「ほらリュウザキ、行ってこい」

 「よーし! 行くぞー!」


 リュウザキはヘルメットを被り、グローブを嵌め、エンジンかけっぱなしのマシンに跨る。エンジンもタイヤも暖まってるから走りやすいだろう。

 クラッチを握り、シフトペダルを

 

 「「あっ」」

 

 俺とミヤビが呼び止めるより先にクラッチを握る力を緩めていくリュウザキ。

 次の瞬間——マシンは情けない音を発し、鼓動が止まった。

 

 「あれれれ!?」

 

 走り出すと思っていたリュウザキは突然のエンストにバランスを崩す。

 俺はミヤビと駆け出し、倒れかかるマシンを支える。

 

 「あっぶねぇ……」

 「焦ったー……」

 「逆シフトだったの忘れてたよー!」


 リュウザキがシールドを上げ、無邪気に笑う。

 バイクに転倒は付き物だとしても初走行エンスト立ちゴケは勘弁して欲しい。

 

 「では行って参りまーす!」

 

 再度、リュウザキが出発。

 逆シフトだったのを除けばサーキットに慣れているだけあってスムーズに走り出し、コース上へ。

 スタートを無事見届ければ俺とミヤビは揃ってピットに戻る。

 ピットには一つのモニターが備え付けられていて、そこにリュウザキが映っている。

 

 「今のサーキットって凄いわね。こんな設備があるんだもん」

 「バイクもレースも人気鰻登りだからな」


 大きめのサーキットなら何処でもドローンカメラが複数飛んでいる。

 リモコンで写すセクターを変えられるが、今はリュウザキだけしか走っていないから自動で視点が切り替わる。なんて便利なんだろう。

 これがあればピットに居ても全セクターのライディングを見られる。

 

 「流してるね。暖めといたのに」

 「マシンの特性も知らないのにいきなりアタックはしないだろ」

 

 ん……ちょっと待て。


 「ミヤビ……お前転ばなかったのか?」

 「うん? さっき褒めてくれなかった? この通り無事だけど?」

 「一応リュウザキ用のセッティングだったんだぞ……」


 ブレーキは割と繊細な技術が求められるようにしておいた。

 なのにミヤビはコケていない。初心者の癖に。

 これを天才だからだけで片付けて良いものか。

 ちらっとミヤビを見る。


 「んー? どしたの? アタシの美貌に見惚れちゃった?」

 

 その反応でこいつに無駄な脳のリソースを使うのが面倒臭くなった。

 天才だからで片付けよう。

 そろそろリュウザキがアタックし始める頃なのでモニターに視線を移す。


 「無視!?」

 「うるさいな。観戦くらい落ち着いてやらせてくれよ」

 「まるで視線をなかったことのように……お? ホームストレート来るね」

 「そっちもそっちで切り替え早いな」


 エンジン音が近付いてくる。

 アクセルの開け方的に本気で攻め始めるようだ。

 

 「これは……」

 

 思わず息が漏れる。


 「すっごい綺麗」

 

 隣でミヤビもリュウザキのライディングに見惚れている。

 ホームストレートでリュウザキはしっかりと尻を浮かし、頭をスクリーンに突っ込む限界ギリギリの前傾姿勢。最高に速度を引っ張った後はコーナーに突入する。

 第一コーナー手前で人差し指だけをブレーキレバーに引っ掛け、握る。

 先にずらしていた腰を落としながら膝を突き出す。そのまま車体を傾けて、綺麗なアウトインアウトで曲がっていく。

 立ち上がりは上手い具合にアクセルをコントロールして加速。

 低身長ライダーらしく、動かした体は立ち上がり後半まで残っていた。

 だけど、それでもライディングのフォームは綺麗で、本当にロバーツを見ているような錯覚に陥った。

 

 「マジでキングかよ……」

 「クイーンだと思う」

 「そう言うことじゃないんだけどな……」


 まあ、確かにクイーンリュウザキと呼んでも良いだろう。

 ただその為には女王にならないと名前負けする。なんとしてでも勝たせなければならない。

 女王までの道のりは長そうだ。

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