OVERDOSE

絵之空抱月

第1話「プロローグ」


 聞こえていた甲高いエンジン音はいつの間にか聞こえなくなっていた。

 

 ———最終ラップ。

 

 前には誰のマシンも居ない。

 マシンの速度と同様に鼓動が加速をしていくのを感じる。破裂してしまいそうだ。

 腕も、足も、全身が限界に達しているのに息まで荒くなってきた。

 どれだけ大逃げしていてもゴールラインを突っ切り、チェッカーフラッグを見るまでは勝利にはならない。

 後ろのとの差があれば多少のミスは許される。

 だが、転倒したら一巻の終わりだ。

 サインボードで後ろとの距離はなんとなく把握している。ここから無理をせずに走っても抜かれる心配はないだろう。

 カーブに差し掛かり、アウトコースにマシンを寄せる。

 丁寧なブレーキングで速度を抑え、インに切り込み、アクセルを開けながらアウトに出る。

 我ながら完璧なコーナリングだった。

 そうだ。こうやって安全な走りをすれば優勝は確実だ。無理する必要は微塵もない。後方のライダーに抜かれることはあり得ない。

 タイヤの減りを考えても安定した走りをするのが得策。

 なのに俺はブレーキを掛けずに次のコーナーへ突っ込んでいた。

 通り過ぎる景色がゆったりとしている不思議な感覚。

 別に攻める必要なんかないはずだが、体が言うことを聞かない。

 本来のブレーキポイントを遅らせたレイトブレーキング。減速するマシンから体が吹っ飛ばないようにしがみ付き、スロットルをぶん回しながらクラッチを下方へ押し込む———押し込む。

 ピットの皆んながどんな顔をしてるのか容易に想像出来る。思わず笑ってしまいそうになり、俺はあることに気付く。


 もう既に口角が上がっていた。


 狂気加減に呆れながら最終コーナーを攻め攻めのレイトブレーキで駆け抜ける。

 起こした体を屈め、土下座のような前傾。

 ブッチギリの一位でゴールした俺は腕を何度も何度も天空に突き上げた。


 ———。


 「よっしゃあ! 優勝! 年間チャンピオン獲得ぅうううう!」


 叫びながら目を開けた俺———瓦木真カワラギシンの目に飛び込んできたのは天井。

 決してスペインの空じゃない。

 

 「んあ……?」


 寝惚けた頭をスッキリさせる為、頭を犬のように数回振り、体を起こす。

 デスクにはデスクトップのパソコン、本棚には借りっぱなしの漫画が無造作に詰め込まれている。

 大事なヘルメットもしっかり目に見える場所にある。

 どうやら俺は夢を見ていたらしい。

 

 「なんだよ夢か……」


 どんなに良い夢を見ていても覚めてしまった時の喪失感と言ったらない。

 眠気も吹っ飛び、取り敢えず夜のうちに充電しておいたスマホからケーブルを引っこ抜く。するとスマホのロック画面が表示された。

 充電は満タン……ん?

 ロック画面には時計もある。その時刻を見て、直ぐに壁掛け時計に視線を移す。

 

 「うっわ! 飯食ってる時間ねぇじゃん!」


 学校には余裕で間に合う時間帯だが朝食の時間がない。

 急いで寝癖を直し、一階に駆け降りる。

 ユキコ伯母さんなんで起こしてくれなかったんだ。

 そんなこと思いながらリビングに行くとテーブルにおにぎりの乗ったお皿と書き置きがあった。

 

 『今日は学校で用事があるから起こせません。どうせ起きられてないでしょうからおにぎりを作っておきました。』


 くっ……その通り過ぎてぐうの音も出ない。パーとチョキなら幾らだって出ると言うのに。

 人間とは不思議なもので、スマホのアラームをセットしておいても寝ている間に体が勝手に消してしまうらしく、毎回毎回時間ギリギリになって飛び起きる。 

 今日は夢のおかげでギリギリは避けられた。

 俺はおにぎりを片手に支度を始める。

 着替えは寝癖直しと一緒に済ませておいたので部屋に戻り、色々と入れっぱなしなリュックを背負う。

 教材は学校に置きっぱなしだから大丈夫だ。

 冷蔵庫のお茶を飲み、玄関に置いた鍵を片手に家を出る。


 「あっちぃ……」


 六月は暑い。しかもなんだかジメジメしているのが更に嫌だった。

 正直、夏の暑さより梅雨時期の方が嫌いだ。

 制服の首元をパタパタとさせながら倉庫にあるバイクを外に運び出す。

 三ない運動がなくなり、何処の高校でも免許が取れるようになったのは本当に助かる変化だ。

 まあ、茨城はまだまだバイクの印象は良くないけど。

 しかもノーヘルも許されるようになった。ただし、それで事故をやった場合、自身の怪我に関する保険は下りない。と言うか死ぬことの方が多いだろう。

 俺は馬鹿だからノーヘルだ。虫とかの被害を無視すれば多少は涼しい。

 バイクを走らせ、学校への道を進む。

 駅が近くなれば学園の生徒たちの影がちらほら増え始める。皆んな暑そうだ。

 俺が人の多い大通りじゃなく、ちょっと中に入った河原の道へ行くと見覚えのある長い黒髪を見つけた。

 あっちも排気音で俺に気付いたらしく振り返るのでバイクから降りた。


 「おはよー、シン」

 「おはよ。相変わらず眠そうだな」


 大きな欠伸をしながら挨拶をするのは安喰雅アジキミヤビ。一年にしてバレー部エースで容姿端麗文武両道の天才肌完璧超人だ。

 クラスからは女神として崇められているが実際は重度のヘビーゲーマーで漫画、アニメ好き。

 いつも寝不足なのは夜遅くまでゲームをしているか、もしくはアニメ見出して止まらなくなったからか。漫画を読むのは早いから前述のどちらかだろう。


 「いやさー、ランク終わりの時期が近付いてるからポイントキープしなきゃってねぇ……ふぁーあ……」

 

 どうやらゲームが原因らしい。


 「眠いのは良いけどせめて身嗜みは整えたらどうなんだ?」


 横を歩くミヤビはシャツのボタンを開け、ネクタイを緩めている。サマーカーディガンの下からシャツがはみ出てるのを見るにスカートの中にちゃんと入れていない。 

 男連中が喜びそうな気崩し方である。  

 その指摘にミヤビは気怠そうに答える。


 「だって暑いんだもん……それと眠い」

 「暑いならカーディガン脱げよ」

 「下着透けて注目浴びるから嫌なの」

 「下着見られること自体は良いのか」

 「うん。水着と大して変わんないしね。普通に見られ続ける方が落ち着かなーい」

 「ならシャツの下にTシャツでも着れば良いんじゃないか?」


 ミヤビは部活に入っている。だから制服の下に地味目な運動着を着ていても全くおかしくないだろう。

 

 「それ妙案! 採用!」

 「俺はお前が天才なのか馬鹿なのか分からなくなってくるよ」

 

 俺が呆れていると何処か抜けていると言うかマイペースなミヤビが話を変える。


 「そんなことより乗せてってくれない? もう歩くの疲れたー」

 「メットねぇじゃん」

 「それはシンも一緒でしょ」

 「単独事故で死ぬのとミヤビ乗っけて事故やるんじゃ話が違うだろ」

 

 俺一人ならともかくミヤビを後ろに乗っけて事故死させましたなんてことになったら死んでも死に切れない。

 しかし、そう言ってもミヤビは聞かず、腕で押しているバイクのタンデムシートの上に乗っかる。


 「馬鹿馬鹿馬鹿! 今の状態で乗っかるな! 倒れる!」


 いきなりミヤビ分の重さが追加され、バランスが崩れる。

 ふぅ……なんとか耐えた。


 「ごめんごめん」


 ミヤビは申し訳なさなど微塵も思ってなさそうなヘラヘラ顔で謝る。


 「勘弁してくれよ。少しは身長考えてくれ」


 もっとちっこくて軽いのならともかくバレー部で百七十近くある奴が突然バイクに乗ってこられたらこっちだって困る。

 倒さなかった俺を褒めて欲しい。

 

 「駄目って言っても降りないんだろ?」


 こうなったらミヤビは何を言っても折れない。


 「まあね」

 「死んでも文句言うなよ」

 「死んだら文句言えないじゃない。でも大丈夫。シンなら事故らない」

 

 ミヤビは膨らみのある胸を更に突き出し、自信満々に言ってのける。

 どっから来るんだよその自信。

 眠気が吹っ飛び、ウッキウキなミヤビを後ろに乗せて出発。

 人気の少ない道をのんびり走っていると、不意に右肩を叩かれた。


 「どうした?」

 「あれ? うちの生徒じゃない?」

 

 バイクを止め、ミヤビと一緒に降りる。

 確かに河原で四つん這いになっている女生徒が居た。


 「何やってんだあの子」

 「お馬さんごっこ……ではなさそうだね。探し物かな」

 「そりゃそうだろ。前者だったとしたら俺は正気を疑うぞ」

 

 良い歳した女子高生が登校中河原で馬の真似とか狂気だ。

 冗談なんだろうけどその発想に至るミヤビもどうかと思う。


 「ねぇ、シン」

 「ん?」

 「あの子、このままじゃ遅刻しちゃわない?」

 「探し物の時間のよってはするだろうな……まさか?」

 「そのまさかだよ。困ってる人は助けてあげなきゃ。行くよシン」

 「分かったよ」


 バイクから鍵を引っこ抜き、落とし物生徒に駆け寄るミヤビを追う。

 土手を階段も使わずに降り、まずはミヤビが声を掛ける。

 声を掛けられた女生徒はびくりと体を跳ねさせ、振り返る。

 ショートよりも少し長い……ボブとか言うんだっけか。明るめな髪色で美人方向なミヤビとは逆に可愛らしく、元気さを感じさせる顔立ちだ。

 ネクタイの色を見る限り同級生だけど見覚えがない。私立だから無理もないか。

 

 「何か落としたの?」

 「はい……実は財布を落としちゃいまして……えへへ」

 「割と大事な物落としてるね!?」

 「どんな感じの財布なんだ? 形とか、色とか」

 「四角いです!」


 だろうな。財布の大半は四角いもんな。特に高校生が使うようなやつは。

 

 「まあいいや。財布なら分かりやすい」

 「だね。さっさと探しちゃおー」

 「うわわわ! ありがとうございます!」


 落とし物少女が何度も何度も頭を下げる。

 さっさと自分でも探して欲しい。

 

 「どうしてこんな道通ったんだ? 普通は通らないだろう」


 俺とミヤビが使うこの道は所謂通学路からは外れている。他の生徒が歩いているのは見たことがない。

 

 「恥ずかしい話なんですが……実は人混みから逃げたらいつの間にかこの辺に来ちゃいまして……河川敷に興奮して土手から滑り落ちました」 

 「その弾みで財布を落としたのか」

 

 見た目通りの元気っ子……いや、普通にアホの子なのかも知れない。

 俺たちは辺りを隈なく探すが見つからない。ポケットから落ちただけならそんなに離れたところへは行ってないはずなのだが。


 「ねぇー! シンー! あったー?」


 離れた場所でミヤビが叫ぶ。


 「ない!」

 「何処に行っちゃったんだろう……」


 横で落とし物少女が嘆いている。

 そこで俺はとあることに気付いた。


 「なぁ、鞄とか持って来てないのか?」

 

 落とし物少女は鞄を持っていなかった。

 学校に置き勉しているとしても手ぶらで登校している奴を見たことがない。と言うか手ぶらで登校したら流石に先生に怒られる。

 キョトンとする落とし物少女。


 「へ? 鞄ですか……?」

 「鞄に入ってるんじゃないか? 三人で探して見つからないならその可能性もあると思うぞ」

 「ちょっと探してみます」


 少女は土手に置き去りにした黒いリュックサックを漁り始める。

 女子高生らしくお洒落なリュックかと思ったけど……意外と無骨だな。でもなんだ? なんか見覚えがあるような気が……。

 その違和感は少女の声で掻き消された。


 「あーーー!」

 「どしたの。いきなり大声なんか出しちゃって」

 「やっぱりか」

 「ありました……すみません。普段はポケットに入れてるから勘違いしちゃったみたいです」


 少女はリュックから二つ折りの財布を取り出し、俺たちに見せる。

 

 「なーんだ。財布なくしてなくて良かったね」

 「だな。これで一件落着……あ」

 「んー?」

 「時間……今何時だ!?」

 「今ですか? 八時二十五分ですね」

 「「!?」」

 

 あっけらかんと答える少女。

 俺とミヤビは顔を見合わせる。 

 ホームルーム開始まで後十五分しかない。急がないと遅刻する。まずい。


 「どうかしたんですか?」

 「いやいやいや! このままじゃ遅刻だよ!」

 「えっ!? それは困ります!!! 急がないと!」

 「シン! 早くバイク出して! バイクなら余裕で間に合う!」

 

 流石に遅刻したくないミヤビの叫びに俺も急いでバイクに向かう。

 そうだ。バイクなら余裕で……ちょっと待て。

 足を止める。

 

 「俺とミヤビがバイクならその子はどうなる?」

 「あ……」

 

 二人きりならともかくここで俺とミヤビがバイクに乗ったら少女は置いてけぼり。

 幾ら何でもそれは酷過ぎる。


 「ミヤビは走れば間に合うだろ? その子と一緒に頑張れ」

 「ちょっと待って!? いや、その通りだけど! 確かに心苦しいけど朝っぱらから汗びっしょりは嫌なんだけど!?」

 

 ミヤビは必死に訴えてくる。余程走って学校に行くのが嫌らしい。

 言い分は分かる。超分かる。俺だって汗だくで学校到着は勘弁だ。でも今の状況でミヤビだけを乗せていくのもどうなのだろう。

 

 「頑張りましょう!」

 「ああもう……そんなキラキラした目で見ないで……」

 「てな訳で。頑張れ! じゃあな!」

 「あ! コラ! 話は終わってないぞー!!」

 「これ以上話してたらお前が遅刻すんぞ」


 ミヤビはなんだかんだお人好しだから俺のバイクに飛び乗ることはしないだろう。

 きっと仲良くランニングして間に合わせるはずだ。落とし物少女も運動が苦手には見えない。

 うん。学校で怒られる覚悟はしておこう。

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