第34話「間違い」


 あの日から俺は学校に行ってはいるが、1度も部室に顔を出していない。バイクを置く為だけに使っている。

 リュウが怪我をしてから、とある理由で気分が乗らない。

 

 「シン? お前大丈夫か? ここ最近ずっと顔が暗いぞ」

 

 放課後、ミヤビから逃げてきた屋上で、テツにそんなことを言われた。


 「そうか?」

 「ずっとミヤビちゃんとも話してないんだろ? ケイちゃんのことか?」

 「だったらなんだよ」

 「あんまり無理すんなよ。じゃ、部活あるからまたなー!」


 無理すんな、と言われても無理するしないの話じゃないんだよ。


 「どうすっかな……ほんとに」


 屋上で1人、空に向かって呟く。

 ミヤビが走る提案もずっと保留にしっぱなしで最近は放課後くらいしか追いかけられなくなった。 

 次のレースまで後少しだってのに……リュウの姿が頭から離れない。

 ダートに逸れ、バランスを崩して放り投げられたリュウが右肩を押さえて悶える様子は今でもはっきり覚えてる。

 今まで俺にとってクラッシュはありふれたものだった。

 俺だって怪我をしたことがある。

 ただ、転倒で死んだのを目の当たりにしたのはゴウが初めてだ。

 それまで画面の向こうの出来事で実感は薄かった。

 だからあの後にリュウがクラッシュして——初めて怖いと思った。

 クラッシュなんか当たり前、死ぬことだってある。なんて分かったようなことをずっと言い続けていたが、こうして自分の関わった誰かが走って、事故を起こす可能性があると思うと途端に怖くなる。

 

 「自分が走ってるだけならどうも思わねぇのに」


 チームの皆んなはずっとこんな不安を抱えながら俺の為に頑張ってくれてたのだろうか。

 そう考えるとマツモトさんは凄いな……変人だけど。いや変態か?

 馬鹿なことを考えて気を紛らわす。

 すると、立ち入り禁止のはずの屋上へ足音が近付いてきた。

 ミヤビかと思いきや、やってきたのはヨシダ。


 「また面倒なのが……」

 「おいどう言うことだよ!」

 

 血相を変えてヨシダがずんずん俺に近寄ってくる。

 あんまりここで騒ぐなよ。バレたら面倒なんだぞ。


 「リュウザキさんが大怪我したって聞いたぞ! どうなってんだ!」

 「どうなってんだって……そりゃどのスポーツでも怪我はするだろ」

 「なんでそんなに冷静なんだよ」


 俺が冷静? お前にはそう見えるのか?

 俺は冷静じゃないしお前の所為で苛立ちも追加されてんだよ。


 「お前監督やってんだろ!? どうにか出来なかったのかよ! やっぱり俺をチームに入れるべきだったんだ! 俺が居たら絶対にリュウザキさんをこんな目には遭わせなかった!」

 「離せよ」


 胸ぐらを掴まれ、背中をフェンスに押し付けられる。


 「そもそもバイクなんて危険な物に乗せるのが間違いだったんだ。レースなんて最初っからさせるべきじゃなかった!」

 

 ヨシダの叫びでハッとする。


 ——ヘルメットもツナギも……ホンダのマシンも嬉しくて……こんなに良くしてくれるなんて思ってなかったから。ドッキリかもしれないって。


 ——プロのライダーになりたい。


 呼び起こされたのはレースが出来る嬉しさで泣いたり、負けて悔しがるリュウ。

 

 「……違う」


 表彰台に乗った時も、初優勝した時も、トレーニングの時だってリュウはずっと楽しそうだったのを俺は知っている。

 レースをやらせたのが間違いだった?

 俺は頭の中でヨシダの発言を繰り返し、逆に胸ぐらを掴み返して場所を反転。今度はヨシダをフェンスに押し付ける。


 「ふざけんじゃねぇよ……それはリュウの意志を蔑ろにする発言だぞ!」

 

 襟を掴む右手に力が込もる。突き落としてしまいそうなくらい。

 

 「リュウのことも、バイクのことも知らない奴が虫の良いことばっか言いやがって……! 腹が立つんだよ2度と話し掛けんなトースト野郎」


 これ以上こいつの顔を見ていたら本当に突き落としそうだ。

 乱雑に、乱暴に手を離し、屋上から離れる。あいつから離れる。

 階段を足速に降り、昇降口から校舎の外に出て、部室に向かう。

 

 「……空っぽか」


 部室には誰も居ない。

 居なくて助かった。今はミヤビともレンとも顔を合わせたくない。きっとレンは今の俺を見たら泣いてしまいそうだ。

 部室には俺のモンスターがポツンと佇んでいるだけ。

 Z1がないってことはミヤビはもう学校に居ないらしい。

 俺はバイクを部室から運び出し、学校から出る。

 Lツインのエンジンが奏でる排気音は荒んだ心を落ち着かせ、ぐちゃぐちゃになった思考をクリアにしてくれる。

 だからこそヨシダの言葉が色濃く響く。


 ——レースなんて最初っからさせるべきじゃなかった!


 あの時は反射で言い返した。

 だが本当に間違いじゃないと言い切れるのか?

 本当は辞めさせた方が良かったのか?

 リュウの才能と努力は俺が良く知っている。あのまま行けば何処かのチームからスカウトが来てもおかしくなかった。何なら俺が紹介しても良かった。

 高校選手権では無駄にマシンを横に振ったりと危険なライディングをするライダーがそれなりに居る。ヨネミツだけじゃない。経験の差で危険になり得る走りが見られるのだ。

 それなら無理して高校選手権に拘る必要はなかったんじゃないのか?

 分からねぇ……全然全然分からねぇ。

 そうこうしてる間に家に着く。

 バイクに乗ってる時ですらこれなのにたった1人で家に居たらどうなるだろう。気を紛らわせようとしても無駄なんだろうな。きっと集中出来ない。

 ガレージから玄関へ。

 玄関から家の中へ。

 だらだらと、無気力に、階段を上がる。

 部屋の扉を開けると——ベッドに座っている奴が居た。

 

 「おかえり」


 窓から差し込む夕日に照らされ、俺を待っていたのはモエだった。

 にっこりとした微笑みの裏には何か別のものがあるように見える。


 「……なんでここに居るんだ? 学校は?」


 テツと喋ってはいたが、学校が終わってからそんなに時間は経っていない。

 静岡から来たには早過ぎる。

 

 「休んだよ。別に高校とかどうでも良いし、おシヅちゃんから一向に連絡が来ないって聞いたから。シンちゃんが心配でね。来ちゃった。ガレージにバイク置いてあったのに気付かなかった?」


 あったっけか。まあ良い。


 「そうか……」

 「こっち、おいで? 話、聞いてあげる」


 胸に飛び込んでこいと言わんばかりに両手を突き出すモエ。

 それには従わず、隣に座る。

 モエなら唇を尖らせると思ったが、意外に反応はなかった。


 「リュウちゃんのことでしょ」

 「今日な、馬鹿みたいに面倒臭い奴に言われたんだ。危ないバイクのレースなんかさせるべきじゃなかった。って」

 「うん」

 「その時は言い返せたんだ。でも今は確信が持てない。俺は間違ってたのか? リュウにレースなんかさせるべきじゃ——!」


 言い切る前にモエが俺の頭を胸に抱き寄せる。


 「違う。違うよシンちゃん。それ以上は言っちゃダメ。それは違うって1番分かってるはずだよ」


 包み込むような声でモエが言う。


 「怪我をするリスクがあるのは何だって一緒。リュウちゃんだって分かっててレースに挑んでた。シンちゃんは犯罪を後押しした訳じゃない。殺そうと、怪我をさせようとしてた訳でもない。バイクで速くなりたいって気持ちを全力で後押ししたんだよ。それが間違いなはずがない」

 

 柔らかいのに力強い。

 安心感が心の底から湧き出てくる。


 「間違えたのはあの人。シンちゃんは間違ってない。絶対に」


 気分が落ち着いてきた俺はモエの腕の中から抜け出す。


 「なら……正解だったのか? 俺なら高校選手権に拘らなくてもチームを紹介することだって出来たのに」

 「間違いはあっても正解はないよ。それにリュウちゃんの話だよね?」

 「そうだけど」

 「それなら正解が分かるのはリュウちゃんだけ。でもリュウちゃんがどんな顔して高校選手権に挑んできたかはシンちゃんが1番知ってると思うよ」

 

 そっか……そうだよな。リュウの正解を俺なんかが導き出せるはずがない。

 そして、俺は知ってる。

 リュウが高校選手権で勝ちたいと言ったんだ。あんなに楽しそうな顔をしていたのに、間違いと言うのはあまりにも酷い。

 大事なことを忘れるところだった。


 「やっとシンちゃんの顔が戻ってきた」

 「だとしてもどうすれば良いんだ?」


 俺のメンタルが戻ったからと言ってリュウの怪我の治りは早まらない。

 

 「このままミヤビを走らせる……? 練習期間ねぇぞ」

 「シンちゃんが落ち込み過ぎ」

 「それは面目ないと言うか何と言うか」

 「監督なんだから誰を走らせるのか、走らないのか、しっかり決める。わたしはその選択を尊重する。でもさ、」

 「ん?」

 「わたしたちに喧嘩売ってきたんだよ? 世界チャンピオンと昔はそれより速かったわたしに。このまま優勝を許すのは癪じゃない?」


 天使の微笑みが途端に悪魔の微笑みに変わった。

 そうだな。癪だな。やり返す機会があるのなら絶対にやるしかねぇな。

 それにしても……そうか、俺は監督か。

 リュウのことばっかり考えてても駄目だな。 

 まず1つ、やることが出来た。

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