第9話「ワイルドカード」


 十一月、季節は多分、冬。

 秋の乱数寒さはなく、ほぼ毎日例外なく寒い。陽射しが強い日でも風が冷たい。

 

 「さみぃ……ジャケット作っといて良かった……」

 

 充てがわれたピットで凍える体をさすったり、カイロを触りながら温める。

 ミヤビとリュウザキがチームジャケットチームジャケット、とうるさいので急ピッチで作ったが……これは正解だな。

 寒がる俺の横ではミヤビがピットから外に顔を出す。


 「へぇ……思ったより人集まるもんだね」

 「一世一代のブームだからな。続いてくれれば良いけど」


 今日の盛り上がりももてぎだからであって、他のサーキットだと怪しい気がする。

 特に北海道とか。


 「……ってかさ、シンのそれ、何?」


 ピット内に戻ったミヤビが俺の顔を指差す。

 俺は今、『27』の数字がデカデカと書かれたキャップとスポーツサングラスを着用している。

 

 「レース観戦と言ったらこれが正装なんだよ」

 「いやいや、サングラスはやり過ぎでしょ。今日そんな陽射し強くないし」

 「雰囲気だよ雰囲気。ちょっとでもチームが強そうに見えるだろ」

 「ふーん……そんなもんかな」


 そんなもんだよ。見た目のハッタリはしといて損はない。

 どの道、走るのは俺じゃない。周りに「あのチーム、やばくね?」と思わせておけば良い。

 気持ちでの優位性は重要だ。

 と、そこへ気持ちの優位性など微塵も持ってなさそうなリュウザキがツナギ姿でやってくる。


 「お待たせー! あー! 早くっ早くっ! 走りたいな!」

 「グローブはまだ早いだろ。浮かれてんな」

 「シンが言っちゃうかー」

 「うるせぇ」


 リュウザキは走りたくて堪らないようで、ヘルメットを眺めたり、バイクに跨ってのポジションチェック。とにかく動きが止まらない。

 まだフリー走行も始まってないのに良く動く。

 見てるこっちが疲れそうだ。

 俺が椅子に腰掛けると対面にミヤビも座り、ペットボトルを手渡してくる。

 さっき自販機で買ってきたあったかいミルクティー。


 「ケイは何処に来ても変わらない。頭の中はバイクで一杯だねー」

 「ここでスタミナ使い切ったらウケるな」

 「まっさかー。でもこの勢いなら勝っちゃうかもね」


 はしゃぐリュウザキに微笑むミヤビ。

 ワイルドカードで勝利か。


 「さぁ、どうだろうな」

 「おいおい、監督が気持ちで負けてどうするー」

 「リュウザキ以外が全員コケれば勝てる!」

 「そんなことを願うなー」

 「冗談だよ。流石にそんなこと願えねーよ」


 転倒は怪我や死に繋がる。出来れば一回もないのが一番だ。


 「さて、と」


 そろそろフリー走行が始まる時間だ。

 準備をする為に椅子から立つ。そうして、ミヤビ、リュウザキといざ準備を始めようとした——その時。


 「見覚えがある奴が居ると思ったらあの時の素人女か」

 

 ピットの出入りする側から知らない男の声が聞こえてきた。

 

 「あっ、ヨネミツ君……ひ、久しぶり、だね?」


 すました顔、こっちを見下してるようで癪に障るな。あいつがヨネミツか。

 相当気まずいのか言葉がつっかえつっかえでしどろもどろになっている。

 あのリュウザキが、だ。

 

 「直ぐに学校から消えたから何処に行ったのかと思えば……こんなちんけなチームを立ち上げたのか」

 「そ、そうだよ! このチームで絶対勝って——」

 「下らない。たかだか三人ぽっちのチームでおままごとか。頭がお花畑な奴らが居たもんだな」

 

 リュウザキの言葉を遮った上での挑発。

 

 「……」

 「おい馬鹿、やめとけ」


 拳を握ってヨネミツに歩み寄ろうとするミヤビを止める。

 怒りたい気持ちは分かるが、ここで問題を起こして出場停止になっても困る。

 

 「フリー走行が始まるぞ。さっさと自分のピットに戻れよ」

 「せいぜい醜態を晒さないように頑張るんだな」

 

 そうしてヨネミツは最後に鼻で笑ってから俺たちのピットから離れていった。

 なんで高校選手権のポイントリーダー如きであんな偉そうな態度を取れるのか不思議でしょうがない。

 

 「あいつだけは転けろ」

 「さっきの発言はどうしたんだよ」

 「スポーツマンシップのない人は嫌い」

 

 あんなリュウザキを見るのも珍しいけどこんなに怒ってるミヤビも珍しい。

 

 「リュウザキは大丈夫か? メンタル的に」

 「う、うん。前にも同じようなこと言われてるし大丈夫だよ!」

 

 それはそれで大丈夫じゃない気もするが。

 そんな強がりっぽく見えるリュウザキをミヤビは全力で抱きしめる。

 

 「あんな奴に負けられない。絶対勝つよ!」

 「うん! それは勿論だよ!」

 「ケイなら筑波サーキットの時みたいにぶっち切りで勝てるよ。ね? シン?」

 「……さぁ?」

 「おいこら監督。素直に頷きなさいよ」

 

 俺の反応に納得しないミヤビに睨まれる。

 監督なんだから勝利を願え。そんな意思がひしひしと伝わってくるが、ぶっち切りは言い過ぎだろう。

 ここに居るのは高校生の中ではそこそこ上位の技術を持っているライダーたち。

 しかし俺たちはワイルドカード。今回に限ってはゲスト出走と言っても過言じゃない。


 「勝つも負けるも走らないと分からねぇからな。取り敢えず完走が目標か」

 「士気が低いぞ監督ぅー」

 「ま、どうせワイルドカードだ。伸び伸び走ってこい」

 

 ぶーぶーうるさいミヤビの声を聞き流し、リュウザキに言う。

 リュウザキはヘルメットを被り、グローブを填めるとシールドを持ち上げて笑顔を見せる。


 「うん。取り敢えずFP行ってくる!」

 

 フリー走行開始の合図が聞こえたと思ったら真っ先にリュウザキがコースに出た。

 練習走行とは言われているが、これも予選の一環。ここでのタイムアタック上位者10人がスタート位置を決めるQ2に進出する。

 それ以下はQ1と言うレースを行い、タイム上位2名がQ2に進出出来る。

 その後はタイムアタックの順位通りにスタート位置が決まる仕組みだ。

 だからと言ってあんなにがっつかなくても良いのに。まだ誰も走ってない。

 

 「あ、もう1人出た」

 

 そんなことを考えているとミヤビが呟いた。

 モニターにはリュウザキを追い掛けるように走るライダーが映っている。

 バイクのカウルには『Good Ride』とチーム名が書かれていた。


 「隣のピットのチームだな。ポイントランキング暫定2位の月待豪ツキマチゴウ。俺らの1個上」

 「なんか……バイク小さくない?」

 「ツキマチがデカいんだろ。まあでもリュウザキと並ぶと目立つな」


 2人が走り始めてから少し経ち、他のライダーたちも自分のタイミングでコースに出始める。高校生だからか少々危なっかしい走りも見られた。

 その中でリュウザキは前見た時と同じ綺麗な走りを見せる。

 結果はFPもQ1からもQ2進出ならずの22番グリッドスタートになった。




 ポールポジションはツキマチでその下にヨネミツ。

 あの2人は確かにフリー走行から速かったからな。想像通りだ。

 

 「良かったな。ドベは免れたぞ」

 「なんとか……1人は転んじゃってたけど」

 「それもレースの醍醐味さ。ただ本戦には居るから気を付けないとな」

 「そうだね」


 心なしかリュウザキの元気が薄れている。

 予選だけで全てが決まる訳ではないが……ヨネミツの言葉を今も気にしてるのかも知れない。

 レース経験のあるリュウザキならそう思っても仕方ないだろう。

 本来なら俺が慰めるべきなんだけど。


 「こらこらケイ。まだレースは始まってないぞー。元気出せー!」


 何も知らないミヤビが適当に士気を上げようとしている。

 

 「リュウザキ、さっきも言ったけど伸び伸び走れ。あんまり気負い過ぎてもしょうがない」

 

 どうせ今年はこれしか出られない。ならば。


 「全力で楽しんでこい」

 「……全力で楽しむ! 分かったよ監督! 私頑張る!」

 「いや楽しめよ」

 「頑張って楽しむ!」


 別に頑張らなくても良いんだけど……元気が出たのなら良いか。

 リュウザキは一見明るいように見えて折れる時はポキっといくようだ。ただし修復も早いけど。

 

 「リュウザキ、準備。グリッドまで行くぞ」

 「バイク運んで良いー?」

 「倒すなよ?」

 「倒さないわよ」


 バイクはミヤビが運び、グリッドの指定位置に合わせて停める。

 周りは俺らと違って部員が多く、チームのライダーを取り囲んでいた。本当に世界選手権みたいになっている。

 

 「ライダーと必死に喋ってるのは顧問か外部から呼んだマネージャーか」

 「なんか高校生の競技にしては本格的」

 「メーカーも背負ってるしな。ガキンチョがマネジメントしてるのは俺らくらいだろ」

 「あれ? でもシン君、ツキマチさんのところは女の子がアドバイスしてるよ」

 

 俺とミヤビの話にリュウザキが割り込む。

 先頭を見ると、巨漢のツキマチがリュウザキとそう変わらない身長の女子と真剣に話し込んでいた。

 こう見ると本当にデカいな。ガタイもかなり良い。

 市販のニーゴーだと持て余してしまいそうだ。

 

 「他の奴らはどうでも良い。とにかくリュウザキは高校選手権の雰囲気に慣れておくことだ。目標はそうだな……最悪クラッシュしなければ良い」

 「あのヨネミツって奴には絶対勝たないとアタシの気が済まない」

 「ふふふ。うん! 頑張るよ! 任せてミヤビちゃん!」

 「俺の目の前で真逆の指示出してんじゃねぇよ」

 「転ばずにあいつに勝てば良いんだよ」


 どうしてもミヤビはヨネミツにギャフンと言わせたいらしい。負けたら盛大に笑ってやるつもりなのだろうか。

 あれだけ言っといて負けたら最高にダサいのは分かるけどさ。

 

 「ミヤビ、俺たちは戻るぞ。レースが始まる」

 「じゃ、頑張れー!」


 ライダー以外がピットに戻り、ウォームラップの一周が終わる。

 間もなく始まるレースにミヤビが両手を握る。


 「なんか緊張する」

 「見てる方が緊張するのすっげぇ分かる」


 モニターに映るライダーたちが姿勢を低くし、アクセルを吹かし始める。

 響き渡る四発の音が気持ち良い。どうせなら俺らのマシンはV4にしたかったけど直4が決まりなのでしょうがない。

 ……ドゥカティ製なのにっ! 

 

 「なんでまだレース始まってないのに悔しそうな顔してんの」

 「こっちの話」

 

 そして遂に赤く光るシグナルが緑色へと変わった。

 一斉に24台のマシンが飛び出し、第1コーナーへ進む。

 

 「スタート上手いな」

 「一気に13番手まで上がった!」


 リュウザキはごちゃごちゃするスタート直後を上手くすり抜け、大幅に順位を上げたまま最初のコーナーを無事に通過。

 もてぎは1コーナーと5コーナーが難関だ。

 あんな後ろから初っ端を接触なしで切り抜けられたのは大きい。

 

 「そんじゃ、ミヤビはリュウザキの走りを見届けてやってくれ」

 「え? 何処行くの?」


 立ち上がる俺を見て、ミヤビが不思議そうな顔をする。


 「飯食ってくる」

 「今行く!? サインボードの指示は!?」

 「別に指示するようなことないし」


 伸び伸び走れって言ったから大丈夫だろう。

 俺はピットから出る。

 後ろから「応援しろー!」とミヤビの声が聞こえてくるが、無視して歩く。

 リュウザキを応援するほど良いレースにはならない。結果は見えている。

 ミヤビは筑波サーキットのあれが凄く印象に残ってるようだが、あいつらはスクール生でもライセンス取り立ての初心者たちだ。リュウザキが勝つに決まってる。

 アクシデントさえなければ……予選と同じくらいの順位で終わる。ビリじゃなければ良い方だ。


 

 そうしてレースは終わり、13番手だったリュウザキは順位をずるずる落とし、20番手でフィニッシュした。

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