第32話「スクラップ」


 腹が立つ。クソほど腹が立つ。

 歩く足に力が入る。ツナギ姿でピットに戻る。

 表彰式なんかどうでも良い。おれの乗らない表彰台に興味はない。

 激しくて重い足音とは違い、表彰式は黄色く軽やかな歓声が上がっている。

 酷く耳障りだ。

 ピットに戻るとマネージャーが真っ先に声を掛けてきた。


 「お疲れ、まあこう言う日もある」


 安っぽい慰めに更に腹が立ち、壁を殴り、椅子を蹴り飛ばした。


 「こう言う日があったら駄目なんだよ! 何年おれのマネジメントしてんだ分かってんだろ! 表彰台圏外なんて論外だろうが!」

 「リュウ……」

 「表彰台を外すなんて初めてだぞ! こんな場所で燻ってられるか!」


 あの女を煽りに行った時にあの変な監督に言われた言葉。


 ——お山の大将。


 クソクソクソクソ! 分かったような口聞きやがって!

 

 ——お前、今年は調子が悪いんじゃないのか?


 つい最近、親父に言われた言葉がフラッシュバックする。

 去年のライバルはツキマチの野郎だった。でもあいつは安定感に欠けるから言うほど上位が安定しない。

 表彰台はおれ以外バラバラだったから差が出来ていた。

 だが今年は違う。

 あの女が、リュウザキが速い。

 ジェムロで調子を落としたと思ったら今回のアゴランで走りが見違えやがった。

 


 このままじゃ——また親父に失望される。



 ずっと昔から親父はおれに期待してくれていた。

 勉強が出来れば褒めてくれた。

 手伝いをすれば偉いと言った。

 おれがやりたいと言ったことはやらせてくれて、初めて目指したいものが見つかった。

 それがバイクのレースだ。ライダーになりたかった。

 親父はおれの為にチームを作り、レースに参加し始めた。最初こそ結果が出なくても何も言わなかったが、途中から全然勝てなくなった。

 

 『目指すのと決めたのなら甘えるな』

 

 その言葉と同時に親父の笑顔が消えたのをよく覚えている。

 親父が笑うのは。

 おれを褒めてくれるのは。

 きっとおれがプロのライダーになるきっかけを掴んだ時だ。

 だから高校選手権如きで苦戦してる暇がないことくらい分かっている。

 出場チームで唯一特注のマシンで戦ってるんだ。このままちゃんと結果を残して有名なチームに入るんだ。

 そうやってこっちが必死になってやってるのに。

 あいつは入部しようとした時も。

 レースに出るようになった今も。

 腹立たしいほどに笑う。笑いやがる。

 

 「ふざけやがって。次はぶっ潰す」



 続く10月の群馬でのレース。

 新しくGoodRideのステッカーをマシンに増やしたOVEDOSEの快進撃は止まらずにポールポジションを奪われた。

 本戦が始まる前のピットでおれは怒鳴り散らす。


 「どうなってんだ! なんであんなに速い!?」

 「僕のデータによればコースレイアウトが影響している。リュウもこのサーキットがどんな形なのかは知ってるだろう?」

 「コーナーだらけのクソコース」

 「僕のデータからするといまいち伸び切らないのはその性格の所為な気がしてきたな」

 「うっせぇ」


 メインストレート以外はコーナーコーナーコーナーでアクセルが開けられない。

 曲がってばかりで気が張る。このコースは嫌いだ。

 前年度もここでは勝てなかった。

 正直無理して転ぶくらいなら緩めで表彰台を狙うくらいでも良いか?

 ……いや。


 「おい、ポイント差幾つだ?」

 「今はリュウが175でポイントリーダー。次に160のリュウザキちゃんだね」

 「15ポイント差か……クソ、甘えてられねぇじゃねぇか」

 「リュウ、あまり思い詰め過ぎるな」

 「うっせぇな! おれは勝つしかねぇんだよ! 勝たないと……親父の期待に応えないといけねぇんだよ!」

 「いや、親父さんがリュウに期待してるのは……」

 「時間だ。行くぞ。おい! マシンの準備しろ! 3番グリッドだ!」


 気休めの言葉を聞いてても気休めにならない。腹が立つだけだ。

 おれはホウタの声を遮ってピット内で声を張る。

 ヘルメットを乱暴に掴み取り、もう一方の空いた手で水筒を持って1人でグリッドに向かう。

 

 「おいおい待てよ。作戦会議を何もしてないじゃないか」

 「性格の所為だと言ったのはホウタだろうが」

 「なら少しは性格の割合を減らして僕のアドバイスを聞け。勝ちたいんだろう?」

 

 早足のおれに並んでホウタが訴えてくる。

 

 「策があるのか?」

 「簡単さ。コーナーで我慢しろ。焦らず置いてかれないようにしてストレートで抜き去れ。少しでもそこで差を付けろ。最終盤で抜くのも良い。逃げ切る自信があるなら先に仕掛るだけだ」

 「ざっくりしてんな」

 「当たり前さ。僕はリュウの努力を知っているからね」


 何が努力だ。結果が出ないと意味がない。

 ぐっと拳を強く握った瞬間——ホウタが肩を叩いてきた。


 「怒りがあるなら走る為のパワーに変えてみな。せめて良い方向に持っていこうじゃないか」

 「……善処」

 

 言いながら前方の1番グリッドの様子が目に入った。

 バイクに跨ったあの女がタブレットを持った小さい女やツキマチのメカニックと共に真剣な顔で話し合っている。と思ったらあのムカつく監督や身長のデカい女が来て、楽しそうに笑い話を始めた。

 なんでお前はそんなに笑えんだ?

 真剣にやってんのか?

 仲の良かったツキマチの野郎が死んで怖くないのか?

 理解出来ない。

 理解出来ない。

 あんな奴に負けられない。


 ——そして、レースが始まる。


 レースの状況はホウタが予想した通りになっている。

 トップを守るのはあの女でおれは離されないように走る。地味な走りで面白くもなんともない。

 何度かストレートで仕掛ければスリップが効くおかげでパスは簡単に出来た。

 だが、その後のコーナーゾーンで軽く抜き返されてしまう。

 おれもコーナーを攻めるべきなのだろうが、頭の中からホウタのアドバイスが離れない。

 あっちもあっちでストレートで抜かれる印象が強くなってるはずだ。ミスを待ってそこを必ず突いてやる。

 そうしてアクセルを開けられないモヤモヤを抱えながら粘って粘って粘って粘って粘って粘って——追い掛ける。

 アドバイスを守りながら——追い掛ける。

 追い掛け……なんだよこれは! 全っ前抜かせねぇ! リードを保てねぇ!

 最初はなかった焦りが周回数を重ねる毎に膨れ上がっていく。

 焦りと怒りで膨らむ風船はどんどん大きくなって、レース前のあの女を思い出した瞬間に割れた。

 そうだ。おれは勝たないといけないんだ。 

 残るは2周。

 勝負所のメインストレート。

 スリップストリームであの女の横に並び、マシンを寄せて。


 ——肘でコース外に押し出した。

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