三十四話 独白

「あのさ、今度の週末なんだけど、家に帰れないかもしれない」


「なんで?」


「いや、こわっ!」


 ノータイムかつジト目で俺を睨む俺に、さすがに背筋が凍る。


「普通に集中稽古してブランク分を取り戻そうってことになってさ」


「にぃはそれでいいの?」


「えっ?」


「私と離れ離れになっても大丈夫なの?」


「大丈、夫、だけど……?」


 いや、恋人とかじゃなくて、ただの妹だし。そりゃ唯一の肉親ではあるけど、何年も会えないとかいうわけじゃない。一生会えないというわけじゃない。

 たかだか数日会わないだけ。稽古が終わったあとは先生の家に泊めてもらう、ということになっている。一人で帰るのはさすがに危ない時間だから。


「まあ? 家に一人でいるぐらい余裕ですしー?」


「お前、最近声の質良くなってない?」


「いやー、それは気のせいでしょ」


「そうか? まあ、そうか」


 亡くなった両親との約束。それを果たすためにも、ここで一気に感覚を取り戻すべきだろう。前の俺には戻れなくても、前の俺に近づけることはできる。


「女の家を渡り歩くわけじゃないから許してあげましょう」


「渡り歩くって。そもそもそんな交友関係ないし」


「だろうね」


「お前のせいでな?」


「私のおかげでしょ?」


 などとほざいてはいるが、まあ、今さらの話ではある。


「お留守番、頼むよ」


「任せたまえ。私とて女の子ですからね。家事の一つや二つ完璧にこなして見せるって」


「はいはい」


「なにその期待してない返事っ!」


 もうっ! と、可愛くぽかぽか殴ってくるも、俺の意識は既にそこになかった。


 稽古一日目、なんとか無事に終わった。体はかなり疲れているからか、その場で寝転がるだけで、今にも寝てしまいそうな心地よさがある。


「ちょっとちょっと! さすがにここで寝るのはやめてね」


「すいません」


「家までは頑張って」


「はい」


「とりあえず、支度しちゃってね」


 それから先生の家まで行くと、いつものように夜ごはん、風呂を済ませ、次の日に備えて早めに寝ることにした。

 次の日も同じような感じで。そうして、次の日、次の日と時間を消費していく。

 けど、その分実力が身についてるという実感はある。一番のその理由は、最初厳しかった先生でさえも、褒めてくれるようになったからだ。

 先生と一括りに言っても一人じゃない。他の先生にも褒められるようになってくことで徐々に力がついてるのだと客観的にもわかる。


「かなり上達してきたし、最終日は次のオーディションに向けて集中的にやろっか」

 それから迎えた最終日、異変が起こったのは、不幸が襲ったのはこの日だった。

 稽古も終盤にさしかかってきたころ、またしても電話がかかってきたのだ。

 以前のことがあったことから先生も許可を出してくれる。恐る恐る電話に出ると、それは叔母夫婦からだった。第一声は俺への罵倒だった。

 どうして一人にしたんだという。ただ、叔母夫婦からの話では妹は風邪引いたようだった。それも二日間もなんの処置もしていなかったという。叔母夫婦はあの日以降も家に来ていたらしく、家の鍵がいつもと違いしまっていなかったことを不自然に感じ、無用心だと思って家に入ったら妹が倒れていた。そういうことらしい。そんな妹はというと、一度は40度まで出た熱も、俺が急いで家に帰ったころには37度まで下がっていた。

 俺が家に帰ってくると、叔母夫婦は無言で家を出て行った。

 妹は寝ているのか家はシーンと静まり返っている。唐突に声をかけてきた妹の声は、そんな家の中に響いた。


「ごめんなさい」


「なんでお前が謝るんだよ。謝るなら俺の方だ。家に帰っていれば、こうはならなかった」


「でも──」


「ほんと、俺が何も望まなければ……」


 そうだ。夢を叶えようと俺が頑張るから不幸が起こるんだ。両親が死んだのも、妹がこうして苦しんだのも、全ては俺が高望みしたから。夢を叶えようだなんて夢を見たから。俺は夢を見ちゃいけない。何も望んじゃいけないんだ。

 そして、妹を一人にすることも、しちゃいけない。

 こうした思考が頭の中をグルグルと巡り、だんだんと自分が無気力になっていくのがわかる。なにもしないままそこでペタリと倒れこむように座る俺は、そこでふと気づく。もう夜になっていることに。そして、自分がなにもかもに絶望してしまっているんだという事実に。

 両親との約束も守れないけど、それでいい。そう決意した。俺はもう役者なんてしない。同じ過ちをこれ以上繰り返すわけにはいかない。俺は人間なんだから。過去から学びを得られる人間なんだから。


「にぃ」


 そう俺に呼びかけた妹は男装の格好をしていた。

 あまりに深く過去に浸っていたから、妹が近づいて来てることにも気づかなかったらしい。つくづく、いや、今さらだ。俺がクズなのは、もうイヤになるほど俺が知ってる。


「なんでここにいるの?」


「話がしたくて」


「なんの?」


波江花架なみえはなかについて、それ以外にないだろ?」


「そうだね。ここにいるってことは、そういうことなんだろうね」

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