三十二話 子役

 妹が花架はなかを呼び出した時間に、ゆっくりと近づいていく。

 いつもは一緒に食べるお昼も、今日はたった一人で食べた。花架はなか愛莉珠ありすもいない、お昼の時間に誰も来ないような空き教室、そんな場所で。

 誰かと一緒にいたくないというわけではなかったけど、なんとなく一人になる時間が必要な気がしたから。そのおかげで、気持ちははっきりとする。

 その結果、自分という人間が、自分という存在が、これまでどれほどひどかったのかを知った。

 俺と妹が二人で暮らすようになったのは、両親が死んでからだ。元々、俺たち家族は仲が良かった。一緒にご飯を食べるのは当たり前、どんなに忙しくても両親は夕飯までに家にいて一緒に食事をした。

 そのときはまだ、俺は子役をしていた。立派な夢だってあった。演技だけでなんでもできるなんて、そんなアホみたいな全能感すらあった。

 それでも、夕飯までには家に帰るようにしていた。収録や稽古の関係で少し遅くなった日には、両親に迎えに来てもらうため、早めに連絡するなどして、対策して。そんな俺を妹はもちろん、両親も応援してくれた。

 そんな両親が死んだ日は、まさに稽古の関係で遅くなった日のことだった。

 近日中にオーディションを控えていた関係上、その日はいつもより熱を入れて練習していた。役を勝ち取るためには、どうしても頑張って頑張るしかなかったから。それ故に、遅れるのがわかっていた俺は両親に連絡をして、迎えに来てもらうことにした。連絡をしてすぐ、父親からは「頑張れよ」と淡泊な返事が、母親からは「頑張るのはいいけど、無理しないでね。チャンスは一度きりじゃないんだから」という愛情のこもったメッセージとともにパンダのゆるキャラのようなスタンプにふぁいと~! という、なんかゆるゆるなのが送られてきた。

 応援してくれてるという嬉しさをかみしめるとともに、頑張らなきゃ、役を勝ち取るんだという、やる気に満ちあふれていた。

 そうして、今日の稽古を終え、先生にもお礼を言い、両親が迎えに来るのを待つ。そのときからすでに、なにかおかしいという漠然とした違和感は感じていた。

 だって、いつもならこの時間には両親が迎えに来てるから。

 初めの頃は早く来すぎて、こっちの方が慌てたりもしたけど、徐々にだいたいの時間感覚を把握したのか、終わるちょっと前には着くようになっていた。

 そんなこともあり、先に来てることはあっても、俺が待つということはなかった。それ故の違和感。初めてのこともあり、少し不安になってくる。

 待ってる時間が十分を過ぎた頃、俺は母親に電話をすることにした。

 運転してるであろう父親に電話するのが、さすがにダメなことぐらい当時の俺でもわかっていたから、隣に座ってるであろう母親に連絡を試みることにしたのだ。

 電話の発信音が鳴り出す。それからしばらくして、電話は機械音声を吐き出した。淡泊で無機質な音声は非常にも、『お客様のおかけになった電話番号は電波の届かない場所にいるか、電源が入っていないためかかりません』と告げるだけだった。

 不安、焦燥感、そういった感情がぐちゃぐちゃに混ざり合った状態でしばらく待ってると、妹から電話がかかってきた。

 よかったと少し安心するとともに、愚痴の一つでも言ってやろうという気持ちで急いで電話に出ると、妹からの第一声は泣き声とともに、「お父さんが、お母さんが……」という嗚咽まじりの、今にもはち切れそうな声だった。

 なにがあったのか、それをなんとなく悟るとともに、現実味のない状況になんとも言えない感情が支配した。

 それからのことは一瞬だった。実際は一瞬でもなんでもないけど、俺にとっては目まぐるしいほどに一瞬と錯覚した。

 妹と合流し、両親が死んだということが明かされ、一旦叔母夫婦に引き取られることになった。叔母夫婦はかわいそうなものを見るような目でありながらも、優しくしてくれた。

 両親の葬式が終わる頃には、俺のオーディションは流れていた。当然、そこに俺は出席していない。それほどの気力はもうなかった。

 それでも、葬式のときに俺は涙を流すことはなかった。悲しいはずなのに、辛いはずなのに、どうしても泣けなかった。隣では妹が泣くのを我慢していた。それでも我慢できなくなったのか、泣き出していたけど。

 叔母夫婦と一緒に暮らしてしばらくすると、叔母夫婦は家を売ろうと言い出した。理由はよく覚えていない。

 けど、そのときからだった。妹が叔母夫婦を毛嫌いし、もう二度と会いたくないと言い出したのは。妹はその言葉通り、全くと言っていいほど叔母夫婦と会わなくなった。そして、妹は叔母夫婦の家を出て、家に帰ってしまった。

 そんな妹を心配して叔母夫婦はどうにかして様子を見ようとするも、ことごとく拒否られた。口も聞きたくないという感情を思いっきりぶつけていた。

 それから妹との二人での暮らしが始まった。

 叔母夫婦に頼まれて、妹と暮らすことにしたからだ。叔母夫婦は情けないことに、あきらめてしまったのだ。とりつく島もない妹の様子にお手上げだった。

 そんな妹も俺とは会ってくれた。だから、叔母夫婦の代わりに俺が妹の様子を叔母夫婦に報告することになった。妹には内緒で。

 そういう形をとることで、叔母夫婦は俺たち二人の暮らしを認めた。それしかなかったから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る