三十三話 一時の幸せ
「ねぇ、にぃ」
隣で寝てる妹が、嬉しそうにそう呼びかけてきた。
二人での暮らしはそれなりに過酷だった。妹は初めての料理に苦戦し、平日は学校に行く関係上、洗濯をまとめてやるのだが、色移りしないようにとか考えてやるので、最初のうちは全然慣れず、かなり時間がかかってしまった。
それでも、充実していた。十分なほど、楽しい暮らしを送っていた。
日曜日には叔母夫婦と会い妹の様子なんかを報告する。元気にやってる様子に、叔母夫婦も一安心というようであった。
そんな俺も、役者は続けていて、亡くなった両親との約束でもあった夢を目指して、頑張っていた。きっと、そばで見守ってくれているはずだから。
そんなことを妹との寝る前の何気ないやり取りで思い出す。
「いい加減、一人で寝たらどうなんだ?」
「いいじゃん、別に。それとも、年ごろのにぃとしては一緒に寝るとまずいことでもあるのかな~?」
「ねぇよ。年ごろの女の子が兄とベタベタしてていいのかね。浮ついた話の一つや二つ、聞いてみたいものだよ、兄としては」
「えぇー。いいよ、そういうの。ワタシソウイウノキョウミアリマセーン」
なんでカタコトなんだよ、とは思いながらも気にしないことにする。なに、どうせどうでもいいことだ。
「それに、私にはにぃがいるからね」
「俺はお前の兄であって、浮ついた相手ではないのだけども?」
「でも、頑張ってるにぃかっこいいし、私がサボったときに食べた料理、美味しかったり、妹としては手放したくないものですよ」
「まず、サボるなよ。そして、手放せよ」
「イヤでーす」
調子にのりながらも、コロコロと笑い、楽しそうな妹を見て、なんとなく安心する。今はこれで十分だと、ほんとにそう思える。
「まったく、これだから学校で重度のブラコン妹とか呼ばれるんだよ」
「ブラコンなのは事実だからいいのですよ。なんなら、そのおかげでにぃは告られにくくなってるのだから、もっと妹ちゃんを愛でるべきなのです。とくに、公然でっ!」
「はっ? えっ、ちょ、待って」
「……?」
なにか疑問に思うことでもあるの? という顔でこっちに顔を向ける妹。なんだその顔と個人的には思いながらも、聞き過ごせない箇所を妹に問い詰めることにする。
「告られにくくってなんだよ。今までそんな話聞いたこともないけど」
「そりゃ、ブラコンの妹が見てる前でそんな話する子なんていやしませんとも。してたら牙を向けるからね」
「向けるな。そして、原因お前かよ」
「原因ではなく、かわいい妹ちゃんと過ごせる時間が増えて嬉しいと思いなさい」
「思えねぇよ。数少ないモテ期ガン減りだよ」
なんという悪質な害悪行為。やめて欲しいまである。
「いいじゃん。にぃ女の子から結構人気で、妹としては複雑ですよ」
「素直に喜んでよ。兄離れしなさいよ。てか、同い年でしょ? 双子だよね、
「個人差があってもいいよね」
どうやらお兄ちゃんラブの気持ちを隠すつもりはないらしい。傍迷惑な話ではあるが、それで妹が幸せならとは、少しだけ思う。兄としては、兄離れしてくれるのが、一番ではあるのだけど。実際、兄離れされたら、ちょびっとだけ複雑な気持ちになったりするのかな? なんて、ことも考えたりする。
「ねぇ、にぃ」
「まだ寝ないのか?」
「もう少しだけ」
ちょっとだけ眠そうな声で、妹は甘えるようにそう言う。
「にぃが主演の舞台、次はいつなの?」
「まだ一度も主演なんてやってないけども」
「じゃあ、主演じゃなくてもいいや。にぃが舞台上で輝いてる姿が見られたらそれで」
「当分はないと思うけど」
「そうなの? それはちょっと残念」
「まあでも、いつになるかはわからないけど、主演に抜擢されてみたいな。一度でいいから」
「一度じゃなくて、二度三度やってよ」
「できたらな」
役者なんてものがそんな甘い世界じゃないことは、きっと妹にもわかってるのだろう。それでも、そうなって欲しいという思いもまた事実で、妹は心からそう祈ってるのだと感じた。
「あと、もう一つ」
「まだなにかあるのか? 明日は学校あるんだし、早く寝たほうが──」
「にぃさ、ときどき私のパンツ嗅いでるよね?」
「ん? 急になんの話?」
これまでの空気と一変、妹は捕まえた犯人を逃さないという感じに問い詰める気満々のご様子。
俺もまた、唐突な話の流れに、脳が思考停止しながらも、言葉の意味だけを理解する。
「いや、にぃって今、洗濯でしょ?」
「そうだな」
「そんとき、にぃって私のパンツを洗濯機に入れる前に匂いを嗅いだりしてるよね?」
「してないけども?」
「そこはしてるところでしょ!」
どうやら満足いく回答を得られなかった妹はご立腹のようで、そのまま拗ねたように反対側を向いてしまう。
そんな様子を微笑ましく見ながら、俺もまた眠りについたのだった。一時の不幸なんて感じられない、そんな幸せな充実した日々。前と同じとか、取り戻せたとかは思わないけど、それでも前に近しい日々を送れてるという充足感だけは、たしかにそこにあった。
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