三十七話 ドMお嬢様

愛莉珠ありす……」


 思わずそう呼びかけていた。なんてことない、そんな言葉。

 けれど、今はその言葉だけでも彼女には俺の思いが伝わっているのだとわかる。


「あまり時間稼ぎができず申し訳ないですわ。そこそこは頑張れるつもりでしたのに」


「いや、充分だったよ。充分すぎるぐらいにもうもらったよ」


「?」


 なんのことなのか理解できないのだろう、彼女はあまりピンときてない様子。

 それでもいい。なにもかもをさらけ出すのは最後でいい。今は、このまま。俺は美少女として彼女と接していればいい。彼女の理想を演じるんだよ。


川和かわわさんが充分と言って頂けるのなら別に気にする必要ないですわね」


「そうだよ」


 二人して学校から出る。

 沈黙が場を制す。それでも、見えないなにかが確かにそこにあることを感じる。感じるだけで言葉はそこにいらないのだと思う。

 目の前に広がる夕陽が眩しく、俺は思わず目を背ける。その先には愛莉珠ありすがいて、彼女も同じように眩しそうだ。俺は目を背けたことで、視界がわりとクリアになっている。

 夏の兆しを感じる気温に、少し不快感を感じながら彼女のことを見ると、なぜか彼女は喜んでいるようだった。

 どうやら、言葉がいらないのは俺だけの方で、彼女からの言葉はないとわからなかったらしい。

 しかし、そんなときに風が吹く。

 心地よい風にその場での足踏みを続けていると、目の前では彼女のスカートが、スースーする感触が一層ましたと思えば、自分のスカートも舞い上がっていたことに気づく。


「「あっ」」


 その言葉は同時だった。違ったのは動作だけで、俺は思わずスカートを抑えるようにしたのにも関わらず、彼女はそんなことどうでもいいと言わんばかりにスマホを取り出したかと思うと、ポンっという軽快な音がすぐに響いた。

 そして彼女がなにをしているのかなんて、俺もすぐに気づいた。


愛莉珠ありす?」


「これは、なんでもないですわよ」


「ちょっとそれ貸して」


 そう言って俺が指差すのは言うまでもない。スマホである。逆に言えば、他になにがあるという話だ。というか、スカートが舞い上がった瞬間にするのがそれなのかと、少し悲しくなる。まあ、俺も彼女が隠さなかったことをいいことにまじまじと見てはいたのでお互い様なところはあるのかもしれない。

 ただ、それはそれ、これはこれだ。記録するのと記憶するのとではまるで違う。違うというか、記録するのは犯罪臭しかしない。


「い、イヤですわっ!」


「イヤじゃないの」


「なら、絶対に映像を消さないと約束してくれたら渡しますわ」


「いいよ、ってうん?」


「今、いいよって言いましたわね?」


「いや、言って──」


「今、絶対言いましたわ! 川和かわわさんがそう言うのですから絶対ですわよね」


「言ってない! ていうか、そこは普通怒らないとかじゃないの? ねぇ!」


 俺は全身全霊の講義を申し立てるも、彼女はそんなことお構いなしの様子である。なんならお構いなくとかいう意味不明な言葉が聞こえてくるほどだ。なにもお構いなくではないし、全く関係ない言葉である。


「いえ、川和かわわさんに怒られるなら本望ですもの。なんなら怒られたいまでありますわ」


「きもい」


「その表情も素晴らしいですわ」


「きもいよっ!」


 いきいきとした表情で愛莉珠ありすはそう宣う。今にも襲ってくるんじゃないかという恐怖はありながらも、そんなやり取りに日常を感じてしまう自分もいる。日常、普通、代わり映えのない毎日。なんてことない日が続くだけの物語。


「どうしましたの? 映像でしたら消しませんわよ?」


「写真じゃなくて動画なの!?」


「いえ、やっぱりなんでもないですわ」


 そう言いながら、なんてことないように俺の写真を収める。


「ほ、ほらぁ。これ見てくださいな」


 そう言うと、さっき撮ったばかりだろという写真を表示したスマホをこちらに見せつける。

 ついでに言うことがあるとすれば、愛莉珠ありすがとても嫌そうな顔をしているぐらいだろうか。なにをそんな嫌そうな顔をすることがあるのかと言ってやりたい気持ちもあるが、それ以上にその顔をしたいのはこっちの方である。

 もしかしなくても、俺は今そんな顔をしているだろうが。


「ほら、消しましたわよ!」


「なんでそんな泣きそうなのっ!?」


 彼女は写真を消すという操作をしただけというのに、今にも泣きそうな顔をしている。

 写真を消しただけ、というか写真を消すだけなのにこんなにも泣きそうになってる人間、世界広しといえど俺の目の前にいる愛莉珠ありすだけだろう。


「だ、だってぇ~。こんなにもかわいい川和かわわさんの写真を消すだなんて、私は大悪を犯してしまったのですわよそりゃ泣きたくもなりますわ」


「そんな大悪じゃないよ?」


「それに、消してしまったことが残念でしかたないのですわ」


「そっち本音じゃん!」


 まあ、写真を消しただけじゃなんの意味もないんだけど。

 そんなわけで、彼女からスマホを奪い取ることにする。愛莉珠ありすにしてもそれは予想外だったようで、すんなりと取ることに成功する。


川和かわわ、さん? お辞めくださいね?」


 懇願するような、慈悲を求めるような視線に、少しばかりの純情さを感じるも、今こそお構いなくである。というか、クズである俺でも、さすがに罪悪感というものは抱く。

 つまりはそういうことだ。


「ごめん、愛莉珠ありす


 俺はスマホの写真フォルダーを開き、中を確認し例の動画を探す。それはすぐに見つかった。

 一番左上、そこにお目当ての動画ファイルがあった。

 そして、その他にはまるで盗撮されたかのような俺の写真や動画の数々も見つかる。

 ああなるほど。

 そう思いながら、件の動画を確認し、やはり写り込んでいた例のブツを見て動画を削除する。

 俺はおもむろに全件選択の操作を遂行すると、彼女にそれを見せる。


「帰りにとんでもないものを見つけちゃった」


川和かわわさん、お話いたしません? 私たち友達ですわよね」


「黙って、愛莉珠ありす


 その一言だけで彼女は恍惚こうこつとした表情を浮かべる。まあ、わかってたことなんだけどさ。


「とりあえず、言うことあるよね?」


「ごめんなさいですわ~っ!」


 彼女のその声からは、たしかに謝罪の意と、嬉々とした感情を読み取れた。

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