二章 妹がアイドル声優で怖がりなことを兄でありクズニートの俺だけが知っている

六話 お化け屋敷(前編)

「…………マカロン」


「? ……なんだ? 急に」


 夜ごはんを食べ、一段落ついた頃、妹からそう言われた。

 なんでかなんて、どうしてそんなことを言うかなんて、わかっている。

 わかりきっていっていて、俺はそう聞いた。『……なんだ?』と聞いた。

 そこに、意味などないという意味があるから。

 意味がない行動に意味があるから。


「なにしてたとか、なんで遅れたとか、そんなのはどうでもいい。どうでもいいから、マカロン食べたい」


「どうでもいいならマカロンいらなくね?」


「はっ? マカロンは世界を救い、この世を統べる最高権力たから。とにかく、どうでもいいからマカロン食べたい」


 どうでもいいと、妹は言った。川和かわわはそう言った。

 それなのにマカロンを所望する。

 それは、口ではどうでもいいと言っても、それがバツだからだ。

 妹を心配させた兄へのバツ。

 償いとしての、贖罪しょくざいとしての代償。

 それが、マカロン。

 これは昔からそうだった。

 妹と喧嘩したときも、なにか問題が起きて悲しく、辛かったときも、俺は妹にマカロンを買ってあげた。

 特にそれに意味なんてない。

 ただ、妹がおいしいと喜んでくれたものの記憶が、俺にはそれしかなかったから。

 いつしか、マカロンは俺達の特別になっていた。


「わかった。今度買ってくるから」


「今」


「はっ? いやいや、マカロンってその辺のコンビニとかで売ってたか? てか、こんな時間から行くコンビニとか行く必要もないだろ」


「今じゃなきゃ許さない」


「いや、なんで? まあ、どうしても今だって言うなら行くけど……」


「どうしても、今。だからにぃ、早く買ってきて」


「わかったわかった。準備するからちょっと待っててくれ」


「にぃ、一人で行ってきて」


「? お前は行かないのか? まあ、いいけどさ。それで、なんのマカロンがいいんだ?」


「いつもの」


 いや、お前のいつものなんて知らねぇよ! 思わずそう言いそうになってやめる。

 頭の中で、なんとなくこれというのが浮かんできたから。

 たぶん、妹が今食べたいと思ってるのはこれだろうというのが。

 それがいつものなのかなんてわからない。

 けど、今はそんなことも聞いちゃいけない気がした。

 ただただそんな気がした。


「それじゃ、行ってくるよ」


 そう言って俺は家を出る。

 それから少しの間玄関の前で立っていると、誰かの泣く声が聞こえてきた。

 さっきまでいた家の中から。

 俺は罪悪感に心を支配されながらも、コンビニへ向かった。


 ❀❀❀❀❀


 誰もが喜ぶはずの遊園地。

 クズニートは今にも逃げ出すような遊園地。

 コンビニでマカロンを買った週の週末、そんな場所に俺はいた。あの日、マカロンをほおばり、ご機嫌だったそんな妹に呼び出されたのだ。

 理由? そんなの俺が知りたい。

 でも、今の俺は女装なんてものはしてない。

 いつもの服装で、いつものように出掛け、今は遊園地にいる。

 時間はまさに一番暑いと言われる時間帯を少し過ぎたところ。

 まだ春とはいえ、暑いものは暑い。暑いったら暑い。

 それなのにも関わらず、俺は日にさらされ、俺を知る人間が通れば俺だと気づくぐらいには目立つ場所で待たされていた。

 待ち続けていた。

 時間にしてみれば、どうてことない時間だ。

 それでも、待つというのはやはり苦痛なのである。

 よって、時間に関係なく、人を待たせてはならない。待たせることなんてしてはならない。

 もう一度言ってやろう。人を待たせることは決していけない。

 そんなこんなで、俺を待たせた悪魔、周りからしたら天使のヤツが来た。


「にぃ、来てくれてよかったよ」


「おせぇんだよ! 暑い中、どんだけ待ったと思ってんだ。しかも、休日だぞ? オタクの休日なめとるんとちゃうぞ?」


「いや、オタクはなめてないよ。汚いし。てか、むしろ感謝してるよ。もっと貢いでくれると助かる。あっ、これ。にぃにあげる」


 そう言って俺が渡されたのは、カルピスだった。

 そう、どこにでもカラダにピースのカルピス。カラダのどこにカル要素あるんだよと思いたくなる、あのカルピス。

 ときどきカルピスの似た商品にホワイトウォーターというのがあるが、あれはカルピスではない。

 あくまで、ホワイトウォーターなのである。


「これ、どうしたんだ?」


「もらったの。私は飲まないからあげる」


「はぁ、そうすか……」


「なんでちょっとガッカリしてるの?」


「気にするな」


 ちっ。妹の飲みかけじゃないのかよ。

 なんて、決して思っていない。

 そんなことを思うような兄なんてキモいだろ? 俺はキモくないので、そんなことは思わない。Q.E.D.


「それで、休日の忙しいオタクになんの用だ」


「休日なのに暇に呆けてるにぃにお願いがあるんだけど、カルピスあげたんだから聞いてくれるよね?」


 そのカルピスが対価になると思ってるんなら大間違いだぞ。

 そんな、新品のカルピスなんて、価値すらないわ。

 妹の唾液入りだからこそ、妹と間接であってもキスできるからこそ、意味があるというのに、どうしてたかがカルピスなんかに価値を見いだせるというのだ!

 まあ、兄である俺、佐倉穣さくらみのるであれば、妹が持ってきてくれたカルピスというだけで十分楽しめるがな。

 翻訳:妹のためなら兄はなんでもしてあげられるものなのだ。

 そんなわけで、俺は至って健全である。Q.E.D.


「聞くだけな? 聞くだけなら、聞こう」


「実は、この遊園地には、日本一怖いと言われる絶叫の館があるんだけどね」


「お化け屋敷のことか」


「おばけなんていないから!」


「あ、そう。それで?」


「ああ、うん。それで、マネージャーさんが、お仕事持ってきてくれたんだよね」


「ほう」


 すでに、なんとなく理解した。

 なるほど、そういうことね、と。

 実は、というか、なんというか、我が妹はお化けが苦手なのだ。

 苦手というか、まあ、苦手なのだ。

 そんなわけで、お化け屋敷なんてものは持ってのほか。日本一怖いお化け屋敷なんてものに行きたくない。

 いや、ちょっとまて。

 理解したと思ってたが、待て。それなら、なぜ俺が呼ばれた?

 まさか……。


「それで、お願いなんだけど、恐怖の館に行くときだけ、変わってくれない? その、どこで言ったのかも覚えてないんだけど、私、怖いのとか平気ってことになってるっぽいんだよね」


「なるほど、帰る」


「お願いお願いお願いお願いお願いっ! お願いだから帰らないで、私と変わって! ね? 私のためだと思ってお願いします!」


 こんな人前で俺は妹に泣きつかれる。

 傍から見たらこんなの、別れると言い出した彼氏に泣きつく彼女の図である。しらんけど。

 それでも、俺はとりあえず断るのだった。涙目の妹を見ながら。

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