二十六話 ドジっ子

 静かな教室に一人。

 静寂の中に響くのは雨の音と、ときどきページを開く紙の音だけ。

 俺は彼女を待っていた。夏織かおりがここに訪れるのを。

 別に彼女とそんな約束を交わしたわけではない。けど、彼女が来るだろうと考えた。あれで話は終わっていない。彼女は俺に協力するよう言っていた。なら、どこかのタイミングで接触する機会を伺ってるはず。

 だから、俺はあえてその機会を作った。

 今日は妹が学校に来ていない。予定では来るはずだったのだが、仕事でも長引いてしまったのだろう。

 正直、こんな絶好の日はない。彼女にとってもそうなのかはわからない。

 電話していた彼女の様子から、なにか要件がある様子ではあった。

 普通に来ないという可能性すらある。

 それなのに、愛莉珠ありすを先に帰らせ、俺は一人になった。いつでもどうぞと、そう言うかのように。

 それにしても、もう遅いか……。

 最終下校時間まではまだあるけど、夕焼け空が見え始めている。

 もう帰っちゃっただろう。

 そう思い、席を立とうとすると、急にガラッと教室の扉が開いた。


「なんで、なんで、この教室に、いるんですか……!」


 そこには見事に息を切らした夏織かおりがいた。なにがご不満なのかわからないが、絶対に怒っている。


「なんでって言われると困るけど、ここ自分のクラスだし」


「それは一個隣ですよ! ……ばか」


 そんな彼女の言葉に、思わずときめく。だって、可愛かったから。

 普段は絶対に言わないであろう言葉を、こうして俺と二人のときにだけ話してくれる。そこをだけを見れば、彼女の言葉はとってもよかった。

 けど、本質は違う。


「なんで私が学校中走り回ってる中、お兄さんはそんな俗世にまみれた本を読んでるんですか?」


「だって暇だったし」


「はぁ……。そもそもなんで教室を間違えてるんですか?」


「いや、それなんだけど、間違えてるのは花奈未さんの方じゃない?」


「なにを言って──」


 彼女がなにかを言いかけてる間に、俺は教室を出る。

 確認してみてもやっぱり、俺は間違えていない。


「やっぱり間違ってないじゃん。もしかして、転校前のクラスと勘違いしてない?」


「そんなこと──」


「ない? 放課後になるとすぐに教室出てったし、慣れてない学校なわけだし、ありえると思うよ」


 彼女は転校してきた。それを考えれば、クラスを勘違いしていてもおかしくない。

 学年が変わってすぐは前の学年や出席番号を書いちゃうなんてミスをするのと同じで、転校して慣れてなければ、クラスだって間違えてしまうだろ。

 しかも、放課後だ。クラスを間違えても、気付く要素なんてほとんどない。

 自分のクラスだと思い込んでいればなおさら、あいつが間違えてると思って確認なんてしない。


「どうだった? 転校前のクラスと間違えてたでしょ」


「…………そうですね。そのようです。私が勘違いしてました、ごめんなさい」


「それで、どうしよっか?」


 こんなことは今は本題ではない。

 時間をムダにするわけにもいかないし、話を進めよう。


「それでは、カラオケにでも行きませんか?」


「なんで? ここじゃダメ?」


「ダメです」


「えっと、なんで?」


 なんでカラオケに行かないといけないんだよと思いながら、手に持っていた本を思わず落とす。

 どういうことなんだ?


「今はちょっと言いにくいのですが、少し事情が変わりまして」


「いいから言って」


「別にカラオケでなくても、個室のあるお店であればどこでもいいので移動しませんか?」


 そう言ってはぐらかそうとする。そんなこと言われたって納得できるわけがない。


「いいから、今ここで事情を話して」


「なかなか強引ですね」


「早く」


 どうしたものかと悩み出す彼女であったが、最終的には諦めたのか話してくれた。


「その、お迎えが学校に来るので、その前にどこか避難しておきたいのです」


「普通にそう言ってくれればよかったのに」


「なんとなく言いたくなかったんです。むず痒いというか、なんだか恥ずかしくて」


 その言葉にウソはないのか、彼女は顔を真っ赤にしてそんなことを言っている。

 なんともかわいい。照れている女の子の表情とはいいものだ。そんなバカなことを思う。


「今のは忘れてください」


「いや、無理だけど」


「忘れてください」


「はい」


 とりあえず、彼女の事情はよくわかってはいないが、そうしなきゃいけないというのは伝わった。

 それならば仕方ない。


「とりあえず、カラオケに行こっか」


「はい」


 そういうわけで、俺たちは二人きりでカラオケに行くのだった。

 もし、隣に並んでいるのが、本来の俺の姿だったら、恋人にでも見えたのだろうか、なんてことを考えながら。

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