四十話 役者
朝起きた俺を出迎えたのは、妹のキス顔だった。目を覚ました瞬間、俺はそれを夢だと断定し、逃げることにした。なぜなら、こんなことが現実になっては困るからだ。
つまりは、現実逃避からそうすることにした。
だいたい、もしこれが夢でないのだとしたら、寝込みを襲おうとしていた妹は、この時点で起きていることを理解し、それなりの反応を見せると踏んだからだ。つまりは、全ての決定を他人に丸投げした。
かよわい女子に馬乗りにされているという事実が、妹に馬乗りにされていると言い換えるだけで、少しばかし普通になるのだから世の中不思議だ、なんて考えていると、唇にすこし柔らかな感触がする。そして、そのまま唇を舐め──
「おい、ちょっと待てや!」
「なんだ、起きてたんだにぃ。おはよう」
「えっ? あー、おはよう」
「朝ごはんもうできてるよ」
「ああ。すぐ行く、じゃなくて!」
「じゃなくて?」
妹は白々しさ全開で俺の言葉オウム返しする。わかった上での犯行である。
「なんで舌まで出してんだよ」
「そりゃ、我慢できなかったからだね」
「昨日は料理失敗するほど動揺してたくせに」
「妹の私はね、考えたわけですよ」
なにが始まったのか、妹は唐突に語りだす。
「いや、にぃが私のことを好きということは、両想いなわけだし、とりあえず受け入れることにしようと」
「それのどこに考える要素が? いや、
「で、受け入れたら恋人らしいことの一つや二つしてみるべきだと思ったわけです」
「それで、キスからの舌入れと」
「入れようとしたら止められたけどね」
「そりゃ止めるわな」
止めない選択肢などない。というか、本当に俺が起きてなかったら、妹はどこまでしていたのだろうか。それはそれで気になる。
「というのは冗談で、いつまでも起きないにぃに起きてもらうためにしただけなんだけどね」
「やりすぎだろ」
「それもこれも、起きないにぃが悪いんだからね」
「ヤンデレ風に言うな。背筋凍るわ」
曲がりなりにもプロである妹の声に、さすがに感じるものがある。
早朝からなにしているのかという話ではあるが、その後妹は俺の上から降りると、「朝ごはん出来てるから早く支度してね」とだけ声をかけて、行ってしまう。
俺は今日も学校か、なんて思いながら、重い身体を起こすことにするのだった。
学校に着くと、すぐに
つまり、俺は
それから何事もなく一日は過ぎていく。
放課後、先生の話からも解放され、どっと疲れが押し寄せてくる。ああ、終わったーという解放感。クラスメイトたちも、「今日放課後どこ行く?」などという話で持ち切りだ。
俺は男装している妹の元に行き、帰りたいアピールをする。妹もまた、帰り支度を終え、「帰ろっか」なんて言う。なんてことない普通の物語だ。
学校を出てから少しして、他愛のない話をしていた俺たちは話しかけられた。というか、男装した妹が告白された。
「す、好きです」
「えっ、あー、うん」
どうしていいのか妹も困惑している。そりゃ、なんてことな道でそんなこと言われたら誰だってそうなる。だいたい、誰? という話だ。
「そ、それでは、失礼します!」
元気よくそう言った彼女はその場から逃げるように立ち去ってしまう。一体なんだったのか。妹とも顔を見合わせてみたが、わからずじまいであった。
◆◆◆
「はい、カット。オッケー、完璧だよー」
そう言ったのはおっさんだった。ただのおっさんではない。ただのおっさんがそんなことを決めていたらさすがにおかしな話だ。ちゃんと偉いおっさんだ。
「終わったー。お疲れ、お兄ちゃん」
「お兄ちゃんはさすがにやめてくださいよ、先輩」
「作中ではお兄ちゃんって言う機会ないんだもーん」
「いいですよ、そんな機会なんてなくて」
さっきまでの張り詰めた空気感と違い、現場にゆっくりと緩んだ空気が流れ込んでくる。
「これって普通の物語というテーマなんですよね? こう見ると、やっぱり普通じゃないというか」
「これが普通だったら世界は崩壊まったなしといったところだね」
「ですよね」
「そこ、聞こえてるからな。だいたい、今のラブコメってのはこういうのが普通なんだよ」
「おっさんうるさーい」
「おっさん言わない。おっさんだってな、傷ついて泣きたくなる繊細な心を持ってるんだからな」
「おっさんよしよし」
ただよしよしされているだけなのに、おっさんが少し嬉しそうなのはどういうことなのか。まあ、おっさんはおっさんということか。
「す、すいません。カメラまだ止まってなかったみたいです」
「えっ、うそ。早く止めて止めて。ここ、ちゃんとカットしといてよ?」
「は、はい」
そうして、カメラは止まった。ぷつりと切れるように。
学校で美少女を演じる俺が男であることを男装してる妹だけが知っていて、なぜかそこにドMお嬢様が割り込んで来た アールケイ @barkbark
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