十七話 決意と罪

 夕食の時間、俺は散々妹にいじられ続けていた。

 もちろん、それがイヤだったわけじゃない。妹と長年過ごしてきたのだから、それこそ日常の一幕と言って差し支えない状況だった。

 けど、そこになぜか俺は久しぶりという感情を持っていた。なんでなのかはわからない。けど、そんなことを感じた。

 そして、俺は嫌いな食べ物をイヤイヤながらも食べ終え、食卓につくと改めて妹と向き合うことにする。

 妹はどこかご満悦な様子で、俺のことを見守っている。


「叔母夫婦と仲直──」


「イヤ」


 食い気味のそう言われる。

 妹はそんなことじゃないでしょ? とでも言いたげにこちらを見る。

 たしかにその通りで、俺がここでする話として正しいのはきっと学校での、転校生との間であった出来事なのだろう。

 けど、話すべきことなのだろうか? いや、きっと本当に解決したいのなら話すべきなのだろう。妹に話して、どうするかを二人で考えて、解決を目指す。その方がいいし、結果としてはよりよいものが望める。

 でも、俺はそれを望んでいない。

 この問題は自分で解決すべきことだと思ってる。

 今の俺はただのクズだ。妹の足枷になってるだけで、なにもしない。だからって、そのままでいいわけがない。

 俺だって変わらなくてはならない。

 新しい自分に、目指すべき人間に。

 だけど、すぐに変わるなんてことは無理だ。変わろうと思うことは簡単であったとしても。

 だからその決意の一つとして、俺はこの問題を自分一人で解決しようと思ってる。妹を頼らずに。妹がいなくても俺は自分でなにかできるんだって思いたいから。

 そうすることで少しでも自立して、いつまでも妹の隣にいたいと思うから。

 そのためにも、ここで妹に学校でのことを話すわけにはいかない。たとえ、それが間違っていて、失敗することになったとしても、自分でなにかしらの結果を得ようとも。


「にぃ?」


「わるい。やっぱり、なんでもない」


「なんでもない、ね。そっか。そうだね。にぃ」


「なんだ?」


「どんなことがあっても私はにぃの味方だよ。たとえ、どんなに落ちぶれてたとしても」


「わかってる」


 妹からの優しい言葉に、俺は無性に恥ずかしくなる。妹もその自覚はあるのか、顔を真っ赤にしている。

 思わず熱いと、そう言いたくなるほどに。


「だから、にぃがそう決めたなら私はにぃを信じます。頑張ってね」


「ああ」


 慈愛に満ちた妹の目に、俺は改めて頑張ろうと決意する。まだ大きな問題が起きたわけではない。

 でも、きっと起きることになるのだろう。そんな予感がしてる。今だって小さな問題は山積みだ。

 だけども、俺は妹には頼らない。頼らないで頑張る。

 いつまでも妹の後ろをついていくだけよ兄だなんてのは、ちょっとかっこ悪いからな。


「それで、にぃ。私からも話があるんだよ」


「ほう。なんだ? 叔母夫婦と仲直り──」


「しない」


「子役に復帰するってこと──」


「でもない」


 特に当てにしてたわけではないが、なんとなく浮かぶことといえばこれぐらいだ。

 他に話があるというのであれば、なにがあるのだろうか?

 正直、わからない。

 未だ着っぱなしになっていたエプロンを脱ぎ、ダボっとした服があらわになった妹は、俺の隣に座る。

 この食卓はもともと四人で使っていたものだ。

 だから、未だ椅子は四脚あって、それを俺と妹は向かい合う形で普段は座っている。

 けど、妹は俺の隣に来た。

 なんだか不穏な気配を感じる。これから俺にとって嫌なことが起きる、そんな気がした。


「ねぇ、にぃ?」


「なんだ?」


 満面の笑みでそう話しかける妹が怖い。これからなにが起きるかわからないからこそ、不気味でより怖い。


「声の練習は、ちゃんとしてる?」


「してるしてる」


 俺の答えに、妹は俺の目をじっと見つめてくる。それから「ウソはついてなさそうだね」なんてことをボソっと吐き捨てる。

 今もあのメニューは欠かさずこなしている。腹式呼吸、メラニー法、ハミングにエトセトラ……。メラニー法というのはトランスジェンダーの方が編み出した発声法だ。

 最初こそ辛く、練習するのもイヤだった声の練習も、今ではできるようになってきたこともあり、毎日の日課として楽しくやっている。

 それから妹はよしよしという感じで、俺の頭を撫でてくれる。隣に座ってる妹と向き合う形で座り直したため、立った妹の胸元がちょうど俺の視線と相なった。つまりなにが言いたいのかと言えば、よしよしする妹の胸の谷間が目の前にあるということだ。

 よりにもよってダボっとした服を着てたことが幸い、もとい災いした。妹は俺の視線に気づいてるのか気付いてないのか、立っていて顔が見えないこともあり、全くわからない。

 でも、今はそれでいい。気づかれてるんだとすれば、確実にまた弄られるのは目に見えている。

 それから妹は気が済んだのか、よしよししてる手をやめて座ると、俺にまた質問を投げかけてくる


「それで、にぃ」


「なんだ?」


「メイクする練習、ちゃんとしてる?」


 それはまるで死神の鎌でも持ってるかのような笑顔だった。なにかを確信、いや全てを知っているかのような表情。

 無駄な言い訳や、余計なことを言えばどうなるのかわかってるよね? とでも言いたげだ。

 それでも俺はこう言うしかない。


「ちゃんと、やってるよ」


「ふーん、そっか。それじゃ、これからは自分でメイクしよっか?」


「そ、そこまではまだできないんだよね」


「へぇー。それならにぃができるところまでやってくれる?」


「そ、それは……」


 く、苦しい。自分でもそれは自覚している。

 けど、けど、そうしないと……。


「ねぇ、にぃ? 私、練習するよう言ってたよね? にぃもそれはわかってるよね?」


「はい」


「それじゃ、にぃはわかっててなにもしてなかったってことでいいよね?」


「はい」


「なんでやらないの?」


 やってない理由など、めんどくさいからだっていう簡単なことだ。もちろん、そんなことを言うわけにはいかない。


「いや、ほんとすまんせん。マジすんません。お小遣いなしだけはマジ勘弁してください。なんでもしますから」


「なんでも?」


「えっ?」


「今、にぃなんでもするって言ったよね?」


「い、言ってない」


 不穏な気配を察知し、どうにか逃げようと試みる。


「お小遣いなし──」


「言いました! なんでもするって言いました!」


「だよね」


 妹は不敵な笑みを浮かべている。

 俺は顔を引き攣らせることしかできなかった。

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