十九話 マカロンとトイレと妹と

 頭のネジ数本飛んでる妹にはもう、俺の言葉なんて聞こえない。理性なんてものは存在していない。たぶん。

 こうなってしまうと、なにを言っても仕方がないのだろう。

 でも、だとしても、妹の椅子になるなんてこと、阻止せねばなるまい。


「なあ? マカロン買ってくるけど、いるか?」


「どうでもいい」


「そ、そうか。どうでもいいけど、マカロン食べたいとかは?」


「ないけど? それより、にぃ。早く、椅子になって?」


 なにか、なにか回避する方法はないか? 妹の椅子になるだなんてこと、さすがに俺の残されたプライドが許さない。

 すでにあってないようなものではあるのだが、せめて無機物に成り下ることだけは避けたい。俺は妹の犬であっても、ヒモにはなりたくない。

 まあ、ただのニートにプライドがとか言っても、ただの都合のいいものでしかない気もするけど。

 それでも、妹の椅子に、ヒモにだけは成り下るつもりはない。

 どうせなるなら、妹にとって都合のいいペットでありたいから。

 と、そうじゃない。妹を正気に戻すにはどうするかだ。

 今の妹は正気じゃない。だからといって、ここでどんな言葉をかけても意味があるとは思えない。

 だったら、どうすればいい?

 一旦、妹の頭を冷やす必要がある。それは間違いない。

 もし妹の頭を冷やせたら、さっきまでの言動とかを思い出して顔を真っ赤にして恥ずかしがるはず。

 恥ずかしがってる妹、いい。

 だから、そうじゃない。

 妹の頭を冷やすには、どうしたらいい?

 なにかないかと考えてると、一つだけ頭に浮かんでくる。

 とりあえず、これを試してみるしかない。


「あー、そうだ。ちょっと、トイレに行きたいんだけど」


「ふーん。……一緒についてく」


「なんで!?」


「だって、にぃちょっと怪しいし」


 す、鋭い。けど、ここで引き下がるわけにはいかない。

 ここで諦めてしまっては、妹と一緒にトイレ、そして椅子になることになってしまう。

 そうなることだけは絶対に避けなくてはいけない。


「普通にトイレ行くだけだから」


「それじゃ、妹がにぃのトイレに一緒にいくのもおかしくないでしょ」


「いや、おかしいよ?」


「むぅー。じゃ、別に妹がトイレに一緒にいっても別にいいでしょ」


「よくないよ?」


 さっきからおかしい。やっぱり今の妹は普通ではない。

 とりあえず、正気に戻す必要がある。

 だから、妹の頭を冷やさなければならない。そのためにも、妹に一緒に来られては困る。


「とにかく、一緒にいく。ついてく」


「さすがに、俺も妹にトイレの音聞かれるのは恥ずかしいし」


「にぃに恥ずかしいとかそういうのあるの?」


「あるよ!」


 正直、妹に対してそんなことを思うことなんてないんだけど、ここはあるということにしておく。その方が話は早い。


「うぅ……。にぃ、私が一緒じゃ、いや?」


 妹はどうやら攻め方を変えたらしく、甘ったるい声と上目使いでそう言ってくる。さすが、声優。声のプロ。

 そのたった一言ですら、大抵の男がイチコロ、もとい萌死するほどのものである。


「とにかく、一人で行かせてくれ」


「にぃ、お願い。一緒にトイレ、いかせて?」


 もしこれがトイレに一緒行きたいということでなければ、即刻OKしてるというのに。

 いや、内容によるな。奴隷だとかならまだしも、椅子になれなら断るし。

 とにかく、今の妹はそれだけかわいいということだ。

 目をうるうるさせこっちを見上げる様なんて、様になりすぎていて、思わず抱きしめたくなる。


「だいたい一緒にトイレ行くなんておかしいだろ?」


「ぐぅー。にぃのくせに正論」


「それじゃ、行ってくるから」


 そんなわけで、俺は一人でトイレに行くのだった。



「おい」


 トイレについた俺を阻んだのは、もちろん妹。この家には俺と妹と、なくなった両親の遺影しかいない。

 つまりは、妹以外が俺のトイレを阻むことはできない。

 別に、トイレに行きたいわけじゃないが、でないわけではない。


「ちゃんと部屋に戻るから。だから、戻ってろよ」


「にぃ、別にトイレいきたいわけじゃないでしょ」


「そんなわけないだろ。トイレ行くのにトイレ行く以外の目的なんかあるわけないだろ」


「ふーん。それじゃ、にぃがトイレしてるところ、見せてよ」


「はっ?」


 なにを言ってるのか一瞬わからなくなるが、理解してもなにを言ってるのかわからない。


「ほら、学校でトイレに行きたくなったときに、不自然なことしてバレたらやだし。それに──」


「それに?」


「それに、見たところで減るものでもないでしょ」


「なる、ほど……?」


 そんなことを言われても、正直よくはわからない。だいたい、そんなことでバレるはずかないとも思う。

 ただ、もしそんな些細なことでバレたら?

 確実だとか、絶対だとかこの世にはない。

 両親が死ぬだなんてこと、想像だってしてなかった。

 けど、それが現実となった。

 だから、もしそれが原因なりうるなら、その種は摘まなければならない。


「わかった」


 渋々ながら、仕方なく了承せざるを得なかった。

 そんなわけで、トイレという狭い個室、それも家にあるやつに二人で入ることに。

 しかも男女。

 これだけを聞けばエロゲかなんかでよく見る二次元お得意の展開でしかないが、実際はその男女とは兄妹であり、ただ俺がトイレするところを妹が見てるだけといういたって健全健常たる行動である。

 いや、健常ではないが、健常なのである。

 とまあ、俺がトイレしてるところを妹が見てるわけなのだが、いつも通りにしようとしたところ、「女の子らしい格好してるんだし、女の子らしくトイレしてよ」と妹に言われた。

 そんなわけで、女の子らしくとはなんなのかよくわからないが、とりあえずひらひらをたくしあげて便座に座ることに。


「ほら、出して?」


「いや、さ。その……」


「やっぱり、トイレはウソ?」


「そうじゃなくて、その見られてると、出ない」


 人に見られてるからと断言できるわけじゃないが、現状いつもと違う点があるとすればそれぐらい。

 ただ、ほんとに出ないというわけでもなかったりする。

 というのも、恥ずかしい。いや、恥ずかしいというか、うん、恥ずかしい。

 妹に見られてるという状況がなんとなくこそばゆいというか、なんか背徳感がすごい。


「にぃ、そういうのいいから」


「いや、マジなんだって」


「ほら、早くだして。それが終わったらにぃは私の椅子になるんだから」


 まだどうにかなることを信じ、俺は頭を回転させるのだった。

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