五話 女声

 自宅近くの交差点で車を降りた俺は一人、家路につく。

 思うのは声をどうするかということについて。今までのじゃきっと、そんなにすぐには上達もしないだろう。

 そんなことを悩んでるうちに、家に着いた。

 玄関の取っ手に手を伸ばして時間を確認する。なんてことない、普通の帰宅時間。

 少しほっとして胸をなで下ろしてから、俺はそのまま取っ手を掴みドアを開いた。

 ちょうど夜ごはんでも作っていたのか良い匂いが玄関まで漂ってくる。そして、エプロン姿の妹が「おかえり」なんて声を飛ばしてきた。

 夜ごはんももうすぐできるらしく、俺は急いで手洗いうがい、着替えなんかを済ませて食卓につく。


「にぃ、その、どうだった?」


「どうとは?」


 俺はわかっていながら一旦そう惚けてみせる。

 今はそんなことよりも夜ごはんを普通に食べたい。せっかく妹が作ってくれたのだから温かいうちに。


「にぃ」


 どうやら妹はそれを許してくれないらしい。俺はさっきまでに起きたことを頭の中で整理する。やはり、あのお嬢様に声を聞かれたというのが衝撃が強い。

 そうしてまとまった思考を妹に伝える。

 一通り聞き終えた妹はたった一言こう告げた。


「声、ね」


 少し含みのある言い方だけに、どういうことなのか気にはなる。しかし、それ以上は今話すつもりがないらしく、沈黙が場を支配する。

 二人して黙々と食べ進めていく。そうしてある程度の料理が片付いたところで妹から話しかけられた。


「あのさ、声なんだけど」


「うん」


「素質はあると思うよ。そもそも基礎はできてるし、もともともってる声質もいいから」


 久しぶりに妹に素直に褒められた。これは素直に嬉しい。

 最近の俺が酷かったというのはあるかもしれないが……。


「それで、練習なんだけど、今はなにやってる?」


「声出しとか、子役のときにやってたこと中心に」


「そっか。それなら腹式呼吸とかは軽くでいいかな」


 妹は一人でぶつぶつ言いながらなにかを考えている。

 とりあえず、俺の女声に協力してくれるらしい。


「とりあえず、メラニー法を中心にやっていこう」


「なにそれ?」


 わけのわからないことを言われたせいで即効で聞き返すことに。

 妹は「とりあえず、夜ごはんの後片付けが先」と言ってそっちを優先する。仕方ないので、俺も手伝うことにする。

 そして一通り後片付けが終わってから妹が口を開く。


「まずは軽く腹式呼吸とかからやっとこうか」


「了解」


 お腹に手を当て鼻から息を吸い込み、へその下が膨らむのを意識する。空気をたっぷり吸い、そしてゆっくりと吐き出す。これを何度も繰り返していると、汗も出てくる。


「うんうん。それじゃ次はハミング」


「はみんぐ」


「んーんーって感じのやつ。ほら、鼻歌みたいな感じのさ」


「ああ」


 試しんーんーと何度か繰り返す。音程は今出せる一番高い音。喋るときよりも上手く高音が出せてる気がする。

 一通りやると、妹はまた口を開く。


「それじゃ、本題のメラニー法をやろっか」


「さっきも聞いたけど、なにそれ?」


「女声を出すための練習方法」


 声優なだけある。練習なんかもよく熟知している。

 しかし、メラニー法とやらはなかなかに難関だった。「鼻に響かせるように出すんだよ」と言われても、初めてやるとさすがに難しい。

 コツは喉仏を使わないって言われたけども、わけがわからない。

 三十分やって十分の休憩を挟むというのを何度か繰り返す。

 合計四回もやったころには喉も痛なっていた。


「うっ、痛い」


「女声は負担掛がかるからね」


「これを毎日やるの?」


「しっかり休めたうえでね」


 つらい。

 けど、これも彼女のためだ。頑張ると決心したのだからやるしかない。

 それから練習を終えると妹に、練習が終わったら喉のケアすること、乾燥は大敵だから口を開けて寝ないこと、のど飴を常用すること、外から帰ってきたら、うがいも必ずするように、ということを言われた。

 男性が女性の声を出すのは、女性が少年のような声を出すよりも遥かに難易度が高い。声変わりをする前の男子の声は、ほぼ女子と変わりがないからとのこと。

 そんなわけで、俺は妹の指導のもと、女声を出す練習をすることになった。

 学校に居る間は声を出さない代わりに腹式呼吸とかハミングをやることに。

 真面目に取り組むのなんて、思い返すと子役時代に必死で演技していたとき以来だ。両親に褒められるのが嬉しくて、もっともっとと頑張っていたあの頃。

 けど、俺が中学生のとき、両親は事故で死んでしまった。俺を迎えに来るときのことだった。

 最初はそれでも頑張っていたけど、やっぱりダメだった。どんだけ上手い演技をしても、両親の笑顔を見ることは叶わない。

 結局、俺は演技することに虚しさを感じた。一番は努力じゃ埋まらない才能の壁に。

 才能が無い奴は落ちぶれるだけ。だったら働かずに生きていきたい。

 極端だとは思うけど、行き着いたのがニートだった。

 なにをするにしても空しいならなにもしない。

 けど、今はちゃんと女声の練習をしたいと思ってる。喜んでくれる人がいるから。

 学校を終えて家に帰ると練習。


「にぃ、もっと頑張ってよ。時間ないよ」


「いや、でも」


「そんなこと言わない。頑張りなはれ」


 頑張るしかない、か。いや、違う。やるしかないのだ。


「今日はささやき法をやろうかな。わりとできてはきてるしね」


「ささやくの?」


「そう。ささやくように声を出すと、アニメ声も出せるようになるんだよ」


「マジ?」


 いわゆるロリ声。甘ったるいあんな声を出す、そのための練習法。

 ただ、やっぱり俺にとっては難しい。


「喉仏頼ると男の声になるから、気を付けて」


 無理。

 音程を上下させつつ徐々に声量を増やすとか、ほんと無理!

 そんなこんなで一週間はあっと言う間に過ぎ去る。

 俺はまた彼女、愛莉珠ありすに誘われ家に行くのだった。

 妹には「やっぱりイメージと違うんだよね。聞かれてるから仕方ないけど。でも、不用意に声は出さないでね」なんて言われた声を手に。

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