四話 ギャンブル(後編)

 俺はメモにスラスラと丁寧な字を書き込んでいく。

 彼女はそれを見ると一瞬の間のあと応える。


「盗み聞きとは人聞きが悪いです。私は、あくまで聞き耳を立てていただけですから」


 心外とばかりにそう言う彼女を、俺はジト目で見つめる。

 そこを追求しても意味はないし、過去のことだから仕方ないと、そう思うしかない。


「それよりも、お声を聞かせて頂けませんか? この部屋には、私と佐倉さくらさんしかいませんし、ダメでしょうか?」


 ダメです。それより、俺を早くお家に帰せや貴様! 俺が声出せない縛りしてるからって調子に乗りやがって……!

 それと、俺にそういった、縛られて興奮する系統の趣味とかないからな!

 と、心の中だけでも言いたいことを言っておく。

 というか、心の中でしか言いたいこも言えないって。ストレス過多だよ。

 いい加減妹にも怒られかねないし、お家に帰りたいことをメモに書いて伝えることにする。


「なるほどなるほど、もう帰らなくてはいけないのですね。そ、それじゃ、その、帰る前に声を聞かせて頂けませんか? 今日はそれで我慢しますから」


 し、しつこい。しつこいし、聞くまで帰さないという意志を感じる。

 とりあえず、横に首を振っておく。


「どうしてですか? 他の人に声を聞かれるのはまだ恥ずかしいからですか?」


 首を縦に振って肯定する俺。それが理由ではないけど、彼女がそれで納得するならそれでいい。今は家に帰りたい。妹の待つ家に。


「そうですか。少しずつ、ですね。仲良くなればチャンスもあるはずですよね……」


 ぶつぶつと一人で喋り出してしまった彼女を尻目に、俺は帰り支度を済ませることにする。

 そんなときに扉をノックする音のあと、メイドさんが部屋に入ってくる。


「お嬢様、そして佐倉さくら様。ご主人様のご意向により、本日のご夕食はお赤飯を炊く予定ですので、どうぞ佐倉さくら様にお召し上がりになっていただきたいと申しつけられまして。佐倉さくら様、お時間大丈夫でしょうか?」


「どうしてお赤飯をお炊きになられたのですか?」


「お嬢様が初めてお友達をお連れになられたので、それを祝してとのことです」


 お嬢様って、みんなそういうもんなの? 初めてお友達が遊びにくると、赤飯炊いちゃうもんなの? 俺は庶民なのでわからん。

 けど、そこにはなんだが不本意そうな顔があった。親バカか。


「一応お聞きするのですが、佐倉さくらさん。どうされますか?」


 俺はメモを取ると帰りたい旨を伝えるとともに謝罪もしておく。

 好意による行為だったわけだし、相手に悪気がないのであればそれでいい。


「そうですよね」


「かしこまりました。私はこれで失礼します」


 そう言うと、使用人は部屋を出て行く。はぁ。全く。最悪だよ。

 そこで俺がため息を吐くと、彼女もまたため息が出る。

 そりゃそうか。そう思わずにはいられない状況だ。彼女からしてみれば、意を決して家に誘い、そして声を聞こうと思ったら声は聞けない。ため息も当然といえる。


「その、いつでしたら、お声は聞かせていただけますか?」


 俺は少し考える素振りを見せてから、メモにペンを走らせる。

 そして、そこに書かれてたのは、


「もう少し仲良くなってから、ですか。それでは、来週! 来週もまたお誘いするので、家に来ていただけますか?」


 俺は俺にできる限りの笑顔を作ってから首を縦に振る。

 正直、今は声を出すわけにはいかない。彼女が聞きたいという声を上手く出せるようになるためにも、俺は決心することにする。

 どうしてそこまでのことをしようと思うのかはわからない。でも、彼女には少しでも笑って欲しいと、素直にそう思った。

 帰り支度を整えていると、小さなノックをする音が微かに聞こえる。

 それから入って来たのは、愛莉珠ありすにそっくりな顔立ちの子だった。


「お姉様、失礼します。お姉様がご学友をお連れしたと聞きました」


 彼女は俺に敵意むき出しもいいような顔で俺を見ている。正直、怖い。


「紹介しますね。妹の愛莉沙ありさです」


 スカートの裾をつまむとご丁寧なお辞儀をする。かわいらしい子だ。俺に敵意がなければ。


「こちらが私のご学友の佐倉川和さくらかわわさんです」


 俺は一旦作業の手を止めて、彼女に挨拶する。正直、作法なんてものは知らないから、それであってるのかはわからないけど、それっぽいことをしてみた。

 愛莉沙ありさの方から「かわいい方、ですね」という声がぽつりと漏れた。

 中身が男だなんて誰も思わないことだろう。ただ、妹のその言葉に愛莉珠ありすはなぜかどこか得意気だった。楽しそうでなにより。


「それでは、すぐに車を手配させるので少々お待ちください」


 それからほどなくして、「ご用意が整いました」と言う声が聞こえてくる。

 愛莉珠ありすに連れられるままに玄関にたどり着くと、外には行きと同じ車がそこにあった。

 愛莉珠ありすとそこで別れると、俺はそこに止まってる車に乗る。


「次来るときはぜひ声を聞かせてください」


 彼女にそう言われ、俺は頷きながら改めて決心する。

 声を本気で練習しようって。

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