42.マジカル・キキニハツ

 歪んだ空間の中でふと違和感を覚える。それは本部へ近づくほどにどんどん強くなっていく。私に抱えられたままの美月も何かを感じ取ったようだ。


「瀬戸さん、これ……」


「うん。間違いなく深度十は超えてる」


 この亜空間の中からでも感じることができるほど強烈な魔力。すでに敵は本部近くまで迫っている。一刻も早く本部に行かなければ……! その時、前方で何かがひらひらと舞っているのが見えた。その妖しい青い煌めきには見覚えがある。まさか、これは——


「こんなことが……」


 私たちはただ絶句するしかなかった。あの蝶型の訪問者ビジターが、東京の空を覆いつくすようにひしめき舞い踊っている。その数は数十体にも及ぶだろう。これではたとえ本部にたどり着けたとしても、外海ダイブを解いた瞬間に変身が解けてしまう。だがこの数が相手では遠距離攻撃を持たない私たちはどうすることもできない。蝶たちはまるで私たちをあざ笑うようにその青い羽を揺らし我が物顔で空を舞い続けている。


 やっぱり私は無力だ。夢には遠く及ばない。今はただ彼女が来るのを待つことしかできない。


「……瀬戸さん、降ろしてください。戦います」


「でも、あいつらは……!」


「知っています。変身を解除する鱗粉をばらまく特殊型の訪問者ビジター。近接戦闘がメインの私たちとは絶望的に相性が悪い。……ですが、ちゃんと対策は考えてきました」


「本当に!? でもいったいどうやって……」


「すぐにわかります。なので外海ダイブを解いてください」


「……うん、わかった」


 今は美月の言葉を信じるしかない。元の世界に戻ったとたん、体中に強い違和感を覚える。すでに大気の中にかなりの量の鱗粉が混ざっているようだ。これ以上少しでも近づけばいつ変身が解けてもおかしくない。


「瀬戸さんは何もしないでください。かえって危険ですから」


 そう言うと美月は腰に差した短剣をゆっくりと引き抜き、あろうことかそれを自らの手首に押し当て素早く切り裂いた。


「美月!? いったい何を……!?」


「……侵蝕ポイズンを自分自身に使うことで、毒性を持った血液を生み出すことができます。そしてその血液は水谷さんの浸透レインのように私の意思で操れる。さらにその血液は他の物体に混ざりながら侵蝕し、毒性を伝染させていく」


 すると美月の手首から赤黒い血があふれ出し、やがて霧状になって空気に溶けていく。しばらくすると一番近くを飛んでいた蝶が不意にバタバタと苦しそうにもがき始める。美月がそっと唱えるのが聞こえた。


術式コード侵蝕ポイズン——伝染パンデミック


 その瞬間、蝶の体が爆散しあたりに赤黒い飛沫が広がる。それを浴びた他の蝶も数秒後には同じように爆散しさらに飛沫は広がっていく。一度始まったこの連鎖は留まるところを知らず、蝶たちは飛沫から逃れるように次々と飛び去っていく。


「これで通れるはずです。本部へ急ぎましょう」


「でも、敵はどうして本部を襲ったんだろう……。私たちを倒したかったならわざわざ別の場所におびき寄せる必要はなかったはずだし」


「おそらく本部のメインコンピューターに侵入して提供者プロバイダーの場所を割り出すつもりなんでしょう。そして本部の最下層にはゼロ番ゲート……提供者プロバイダーのいる場所に直結するゲートがあります。その存在が露見してしまったらおしまいです」


 提供者プロバイダーの持つ魔法技術が敵の手に渡れば、いよいよ人類にはなす術がない。異世界の連中がどんなことを企んでいるかなんて私にはわからないが、今までのやり方を見ている限り、暗黒の未来が待っていることは間違いないだろう。


 その時、不意に頭上から強い気配を感じた。とっさに体を右に逸らすと、その直後私のすぐ横を巨大な槍が掠める。上空にいたのはあの首なしの訪問者ビジターだ。


「こいつ、まだいたのか……!」


「……瀬戸さん、ここは私が引き受けます。先に行ってください」


「でも……!」


「私は大丈夫です。……今、一秒の遅れが人類の滅亡に繋がるかもしれないんです。ためらっている暇はありません」


 だが本当に美月一人でこいつを倒せるのか? そして、私一人でこの先に待ち構えるであろう敵に立ち向かえるのか?

 こちらへと急接近してきた首なしを美月が迎え撃つ。すでに二回も戦闘をこなした後だ。その疲労は相当なものだろう。だが美月は敵に食らいつくように戦い続ける。


「あなたなら、セブンスならきっとどうにかできる! だから早く!」


 魔法少女セブンス。五分くらいで適当に考えた名前だ。周りからどう見られているかなんてどうでもよかった。だけど今ならわかる。

 その名をずっと見守ってくれている人がいた。その名を称えてくれる人がいた。その名を信じてくれる人がいた。その名を、セブンスを最高の魔法少女だと言ってくれる人がいた。皆が与えてくれたもので今の私はできている。


 美月、信じてくれてありがとう。だから、私もあなたを信じる。


 私は美月に背を向け本部へと急いだ。




 やっとたどり着いた本部だったが、その中はすでにもぬけの殻だ。きっと職員たちはどこかに避難しているんだろう。そして所々に壁や扉を強引に破壊してこじ開けたような痕跡がある。おそらく敵はもうこの中にいる。美月の言っていた言葉を思い出す。敵の狙いはここのメインコンピューターのデータ、つまり指令室にいる可能性が高い。


術式コード外海ダイブ!」


 亜空間に潜って壁や床をすり抜け、一直線に指令室を目指す。そしてついにそれを見つけた。


 漆黒の外殻を纏ったそれは、まさに騎士とでも言うべき風貌だった。首なしたちより少し小柄だが、放たれる威圧感は遥かに強い。間違いない、こいつが——


「三十年ぶりだな、略奪者プランドラー。……私を覚えているか?」


 そう言って姿を見せたのは総司令だった。

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