38.マジカル・サクラノハナ
こうして本部での生活が始まったわけだが、またしても私の予想は初日から裏切られることになる。
「なっちゃん、一緒にご飯食べましょ」
「まあいいけど」
「なっちゃん、今日は同じお部屋で寝たいです!」
「ええ? まあいいけど……」
「なっちゃん、一緒にお風呂——」
「いやいやいや!」
……そんなこんなで、なんというか少し疲れた。五月は必要以上に距離を詰めてこようとはしなかったし、理沙もその辺はなんとなく察して適度な距離感を保ってくれていた。私が今までかなり恵まれた環境にいたんだということを今になって思い知らされる。夢のことも決して嫌いなわけではないが、やはり私という人間にはある程度一人の時間が必要なようだ。
そういうわけで私は今、一人で落ち着ける静かな場所を探して本部の中をさ迷っている。広島支部ならあの浜辺に行けばそれで事足りたが、当然本部にはそんなものはない。人気のない方へとあてもなく歩いて行くうちに、ふと何かを感じる。これは——外からの風だろうか。好奇心に突き動かされその風をたどっていくと、不意に開けた場所へと出た。
そこは中庭とでも言うべき場所だった。その場所だけが吹き抜けになっており、頭上から陽の光が降り注いでいる。その中心には一本の木が生えている。あれは多分桜の木だろう。しかしどうしてこんな場所に……? そこに近づいてみてハッとした。その木のすぐそばに小さな石碑が建てられている。これは——
「おや、先客がいるとは珍しい」
振り返るとそこには総司令がいた。私がなんと言おうか迷っているうちに、総司令は私のすぐそばに来て、近くにあったベンチに腰掛ける。
「たまにここでお茶をするんだ。よければ一緒にどうかな」
「え? あ、はい、じゃあお言葉に甘えて……」
私が隣に腰掛けると、総司令はカップ付きの水筒と、手提げ袋からティーカップを一つ取り出す。そのティーカップを私に手渡し、そこに水筒の中身を注ぐ。そして水筒のカップに自分の分を注いだ。しかしそこに妙に違和感を覚える。総司令は一人で来たのに、なぜカップが二つあるんだろう。
「ここのことは知っているのか?」
「あ、いえ……歩いていたら偶然見つけて……」
「そうか。……不思議な縁というのはあるものだな」
まだ花のついていない桜を前に、二人静かにお茶を飲む。紅茶のことはよくわからないが、なんだか柔らかい味がした。
「魔法少女のシンボルが桜である理由は知っているか?」
「えっと……十代の間しかなれない魔法少女を、時が来れば儚く散っていく桜の花に重ねているから……」
「うん、そうだ。教本にはそう書いてある。勤勉なことだ。……だが、本当の理由はもう一つある」
「本当の理由……?」
「……ここには魔法少女一号・フロウが眠っている。私が親御さんに無理を言ってここに墓を作ってもらった。そして彼女の本名は氷川桜子……私の親友だ。だから彼女の遺志を残すために、皆で桜をシンボルにしようと決めたんだ。そのことを知る者も、もう魔法技術局にはほとんど残っていないが」
魔法少女フロウ。初代の一人で、最初で最後の殉職者。その存在は今もなお全国の魔法少女たちに語り継がれている。だが本名を聞いたのは初めてだ。
「じゃあこのカップは……」
「ああ、桜子の物だ。なに、気にすることはない。かわいい後輩に使ってもらえるのなら、あの子も喜ぶだろう」
そう言って総司令はほほ笑む。指令室で会った時とは違う、穏やかでどこか寂しげな表情だった。
「……その、どんな人だったんですか? 桜子さんって」
「明るくて正義感が強くて……そして他者を思いやる優しさを持っていた。まさに魔法少女になるべくこの世に生を受けたような、そんな女だった。ただ少し抜けているところもあったりして……そういうところは夢に似ているかもしれないな」
「ああ……確かにそうかもしれませんね」
「……彼女に誓ったんだ。もうこの戦いで誰も死なせはしないと。この三十年、ずっとそのことだけを考えてきた。そしてこれからも」
心の中で何かが少し痛むのを感じた。この人は自分の人生を捧げてまで、私たちを守り支えてきたんだ。それなのに私は、一度だけ、一瞬だけとはいえ、魔法少女として死を迎えることに憧れを感じてしまった。それがどれほど愚かで浅ましいことだったか。
「美月から君は意外と無茶をする人間だから気を付けて欲しいと言われたよ。私も桜子との約束を破るわけにはいかない。戦いに勝つことも大事だが、自分を大切にしてくれ。いいね?」
「あ……はい、気を付けます……」
「それと夢が君のことを探しているようだ。一度指令室まで訪ねてきた。……もしかして避けているのか?」
「あー……避けているというほどでもないんですけど、ちょっと一人の時間が欲しいというか」
「おや、だったら私もお邪魔だったかな」
「あ、いや、すみません、そういう意味では……!」
「夢はああ見えて聞き分けのいい子だ。ちゃんと話せばわかってくれる。……それに表には出さないが、今はあの子も不安なんだろう。あまり無下にしないでやってくれ」
「……そうですね、後でちゃんと話しときます」
「……君たちを見ていると昔のことを思い出す。辛いことも多かったが、私にとっては大切な思い出だ。まあ、とにかく後悔のないようにな」
魔法少女でいられるのはあと五ヶ月ほど、その時までに私に何ができるだろうか。今、改めてそう問われているように思う。私の夢はまだ潰えていない。今度こそ魔法少女を、この戦いを終わらせてみせる。そのために私は魔法少女になったのだから。
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