第40話 英雄が壊れた日
ラルフが目覚めたのはいつもの教会ではなく、見知らぬ部屋の石畳の上であった。ここは何処だ、と考える間もなく激痛が襲う。肉体再生の後遺症だ。全身に雷撃の痛みだけが走り、死の瞬間が何度もリピートされる。
痛みで呼吸が出来ない。あまりの苦しみに石畳を引っ掻き爪が剥がれる。石畳に血の五本線がいくつも引かれた。
激痛で気絶し、激痛で目覚める。そんなことを何度も繰り返していた。
誰か俺を殺してくれ。そんな言葉も声にならなかった。
三日三晩のたうちまわり、ようやく静寂が訪れた。掻き
かび臭い空気を肺に取り込みながら周囲を見渡した。自分が今、牢とミイラに囲まれているのだとようやく気が付いた。
ヘルミーネの言ったとおりだ。自分は彼らの命を吸ってここに生きている。
石畳を叩く靴音。見上げるとそこには見たくもない顔があった。宮廷魔術師のユルゲンであった。あまりにもタイミングが良すぎる。恐らく弟子あたりがどこかで監視していたのだろう。
「陛下がお呼びだ。身なりを整えて玉座の間に来い」
それだけ言うとすぐに部屋を出て行ってしまった。
労いの言葉などあるはずがないと思っていたが、あまりにも予想通りで笑えてきた。自分に笑うだけの余裕があったのかと驚きもした。
(いや、違うな。これは……)
王家に対する失望が限界を超えた。もう、他人事なのだ。
頭から水を被り、軽く拭いただけの姿で玉座の間に向かった。あまりにも無造作な格好に王は顔をしかめたが、特に何も言いはしなかった。
「死んでしまうとは、情けない」
王は侮蔑の表情を隠そうともせずに言った。
「ヘルミーネから儀式の内容を聞いていなかったのか? 貴様らには自覚と覚悟が足りぬのだ。兵の命を吸って生きているのだという覚悟が……」
「陛下、あなたには本気で国を救おうというつもりがあるのですか?」
ラルフが王の言葉を遮り、王は露骨に不快感を示した。
「控えよラルフ。王の言葉を遮るとは無礼であろう」
ユルゲンが叱るが、ラルフは臆さず睨み返した。その瞳には殺気さえも籠っており、ユルゲンは気圧される形で言葉を失った。
「黙っていろ太鼓持ち、王と聖騎士の話に割り込んでくるな!」
白けた顔のユルゲンを無視して、王に向けて語り続けた。
「俺は確かに死にました。しかし、数百体の魔物を倒し、幹部らしき者を道連れにしました。これで敵は軍の再編に時間がかかるはずです。その間に何か対策を立てるようお願いいたします。また、成果を出している以上はぐだぐだとケチをつけるのも止めていただきたい。不愉快です」
「成果だと? 貴様の仕事は時間稼ぎではない、魔人を倒すことだ。己の無能を棚に上げて責任を余に押し付けるな。そういうところがワガママなガキだと言っているのだ、まだわからぬか!?」
王が唾を飛ばして罵った。以前はそれだけで委縮していたものだが、今はただ醜い生き物だとしか思えなかった。
「本気で言ってます、それ? 酒も飲まずに酔っておられる? 俺一人で出来るわけないでしょう、そんなもの」
ラルフには王に対する恐れも敬意も一片たりとも残っていなかった。
格下、あるいは奴隷だと思っていた相手から嘲笑されている。そうと気付いた王の顔は血の気が上り真っ赤になった。
まるで腐った野いちごだ、とラルフは頭の片隅で考えていた。
「出来ない、ではない! いかにしてやるかを考えるのが貴様の役目だ!」
「現場の人間が不可能だと言っているのです。それをやれ、やれと喚いているだけで責任を果たした気になれるのだから、王というのも気楽な商売ですなあ」
ふん、と鼻を鳴らしてラルフは王たちに背を向けた。もう顔を見ることすら耐えがたいほどに不快であった。
「安心しろ、俺は最後まで人類の為に戦う。だがテメェらに足を引っ張られるのはもう、うんざりだ」
「待てラルフ! 貴様わかっているのか、王家の力がなければ復活の儀式は出来んのだぞ!」
ラルフは振り向かなかった。表情から険しさが抜け、悲しみだけが残っていた。そんな顔を奴らに見られたくもなかった。
「生き返らせるさ、そうせざるを得ないはずだ。俺たちの力が必要だから生き返らせていたのだろう。王家と聖騎士は対等だ。そんなこともわからなかったから、俺たちは……」
それ以上は言葉にならず、玉座の間を出て行った。背後で王が何事かを喚いているが、もう知ったことではない。
王は玉座の上で呆然としていた。
エヘクトル軍はひとつひとつ砦を落とし王都へ迫っている。そんな中、唯一魔族に対抗できる聖騎士たちは全員が王に背を向けた。自分が安全圏にいるのではないと思い知らされた。
「どういうことだ、これはどういうことだユルゲン!」
「私が考える以上に奴らの精神が幼稚であったということでしょうな。王の深いお心も理解しようとせずに」
「もういい、そんな話が聞きたいのではない! この体たらくで民と王家を守れるのか。誰の責任だとか、そんなことを言っている場合ではないだろう!?」
ユルゲンは答えず、ただ王に冷たい視線を向けた。
王の背筋に悪寒が走った。ユルゲンの目は自分を見ていない。王の権威を認めていない。ただ、そこにあるものとしか考えていない。そういう目だ。
「全て、陛下がなされた結果です」
「何故だユルゲン。余は王家の権威を高めたかった。誰からも尊敬される王でありたかった。その為にお前の進言に従ってきたのだ。それが何故こんな結果になってしまったのだ!?」
「当てが外れてしまいましたなあ」
「なんだと……」
投げやり、他人事、興味なし。まるで輪投げが外れたのと同じような調子でユルゲンは言った。
「まあご心配なく、王都を救う手立ては考えておりますので。陛下はどうかお心を安らかにお休みくださいませ」
この男は忠臣などではない、得体の知れない悪魔だ。ようやく気付いたが手遅れである。もう既にユルゲンを頼る他はないほどに深みにはまっていた。
今さら別の人間を側近に据えたところでどうしようもない、混乱するだけだ。ならばユルゲンの言う手立てとやらに乗るしかないではないか。
「……よきにはからえ」
震える声でそう言うのが精一杯であった。
「……ただいま」
数ヶ月ぶりに実家に帰ったラルフを母が出迎えた。
「あらラルフ、お帰りなさい。少し痩せた? ちゃんとご飯食べてる?」
聖騎士の家系に嫁いで来たとは思えぬ、どこかのんびりとした母親であった。
「色々と忙しくてね」
「聖騎士は体力仕事なんだからちゃんと食べなきゃだめよ。そうだ、今夜はあなたの好きな物作ってあげる。お肉たっぷりゴロゴロシチューにしましょう」
「ああ、母さんちょっと待ってくれ。シチューはもちろん嬉しいんだけどさ……」
母のペースに乗せられ、なかなか話を進められないラルフであった。
「どうしたのよ。ひょっとして彼女が出来たから紹介したいとか?」
「そういう事じゃなくて……」
息子がひどく真剣な、そしてどこか哀しげな眼をしていることに気づき、母も静かに話を聞くことにした。
「母さん、この国から逃げて欲しい」
「王都からじゃなくて、国からなのね」
「ああ……」
「私が人質に取られるかもしれないって話?」
ラルフは驚いて顔を上げた。おっとりとした母親からそんな言葉が出てくるとは少々意外でもあった。
「何よその顔は。私が何も知らないとでも思ってた? ……まあ、実際何も知らないんだけど。わかっているのはヴェルナーくんの家族が酷いことをされたのと、あなたがそれで悩んでいるということくらいかな」
母親にはかなわぬものだな、とどこか嬉しく思いながらラルフは小さく頷いた。
「ごめん、母さん。俺は皆を守れなかった、この国はもうお終いだ。俺は最後まで無駄に足掻いてみようと思う。だけど母さんは……」
「まあまあまあ、あなたに迷惑をかけない方法は考えておくから。家に帰った時くらいゆっくりしなさいな。それで、夕飯は食べる?」
「いや、復活の後遺症とか王様と喧嘩したりとか色々あって、食欲がないんだ。今日はもう寝るよ」
「そう。朝ご飯はちゃんと食べるのよ」
適当に手を振りながらラルフは二階の自室に入った。ほとんど帰っていないにも関わらずきちんと掃除がされていた。
ラルフはベッドに倒れ込んだ。気が高ぶって眠れないだろうと思っていたが、太陽を浴びた布団の匂いに誘われすぐに眠りに落ちていった。
自覚できない疲れが溜まっていたのか、昼過ぎになってようやく目が覚めた。
母さんが起こしに来ないのも珍しい。それともいくら起こしても起きないので諦めたか。そんなことを考えながらドアを開けると、嗅ぎ慣れた不快な臭いが漂ってきた。生臭い、血の臭いだ。
ドクン、と大きく心臓が跳ねる。何故だ、どうしてだ、やめてくれ。祈りながら階段を一歩一歩と降りていく。
居間に降りるとますます血の臭いは濃くなってきた。母は食卓にうつ伏せになり、右手にナイフを握っていた。喉は切り裂かれ、食卓と足下が血に塗れていた。
血に濡れないよう食卓の隅に小さな羊皮紙の切れ端があった。
『あなたの信じる道を生きなさい』
と、母の字で書いてあった。
「ああ……」
何故だ、と言う気持ちと、やはり、という気持ちが混ざり合う。
先代聖騎士の妻として国を捨てることを良しとしなかったのか。あるいは息子が家族だけを逃がしたと後ろ指をさされることを心配したのか。
聖騎士筆頭、勇者の一族として立派な覚悟と言うべきなのだろうか。
「未練とか卑怯と言われても、俺は生きていて欲しかったよ、母さん……」
しばし呆然と立ち尽くしていたが、ふと気になって台所に行くと、鍋の中にスープが入っていた。野菜も肉も煮崩れていない。昨夜のうちに作ったものだろう。
「なんというか、こういう所が母さんらしいよな……」
ラルフは皿にスープをよそい、母の正面に座って食べ始めた。これが最後の家族の食事だ。
馬鹿なことをしているという自覚はある。朝ご飯はしっかり食べなさい、というのが母の言いつけで、遺言となってしまった。他にしてやれることが何もなかった。
「美味しいよ。やっぱり母さんの肉スープは最高だ」
食べながら泣いていた。泣きながら物言わぬ母に語りかけた。
食事を終えて、母の遺体は庭に埋めることにした。あのおぞましい復活の儀式に関わっていた教会に任せる気にはなれなかったのだ。
抱き上げた母の遺体からべったりと血が移されたが、特に気にもしなかった。これで家族と一緒に戦えるとすら思っていた。
荷物をまとめ、家に火を付けてその場を去った。
思い出の詰まった家が燃える。歴史ある聖騎士の家が崩れ落ちる。代々の勇者が残した記録なども、全てが灰になった。どうでもいい、国が滅べばどれもが無意味な物だ。
炎を背に、陰となったラルフの口元には薄笑いのようなものが浮かんでいた。
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