第45話 流血階段

 幅五メートルの道と言えばなかなかの広さであるが、進軍ルートと考えれば狭すぎる。さらにエヘクトル軍の先陣は巨大で屈強な魔物たちばかりで、大人の背丈ほどもある斧や棍棒を持った彼らが三人も並べばそれだけで窮屈であった。


 氷の坂に手すりなど付いているはずもなく、端にいるものは容赦なく押し出され落下することもあった。押したの押さないので殴り合いの喧嘩まで始まる始末である。


 城壁にはラルフが待ち構えて迎撃し、すり抜けて来た魔物は兵士たちが複数人で襲いかかるといった戦法を取ってきた。


 足場は悪く、幅は狭い。左右から矢が絶え間なく飛来する。強引に前に出て城壁に取りつけば雷神が現れる。城壁の攻略は遅々として進まず被害だけが増え続けた。


 エヘクトルは腕を組んでその様子を見ながらため息を吐いた。ヴェルナーがもう少し坂を大きく作っていればと考えてしまい、すぐに改めた。


「いかんな、贅沢に慣れてしまった」


 そもそも城壁を越える坂を作るというのが攻城戦における反則技のようなものである。五つの砦という絶対防壁を抜かれた王国側としては、ふざけるなと言いたくもなるだろう。


 ヴェルナーも必死にやっているのだということはわかっている。先ほども疲労困憊で倒れそうになったのを配下のゴブリンたちが引きずって後方へと下がらせた。そんな彼に大きな坂を作らないから犠牲が出たのだぞと責めるのはお門違いだろう。むしろ、そう言い出す者たちから彼を守るのが総大将としての役目だ。


 気持ちを切り替えてエヘクトルはアクイラを呼び出した。城壁を突破するまで彼の仕事はなく暇をもて余していたようで、すぐに飛んでやって来た。


「飛兵を城壁へ向かわせろ」


 エヘクトルがそう命じると、アクイラは主君の命令であることも忘れてものすごく嫌そうな顔をした。それはもう、ものすごくである。


「ジョーダンきついぜ。まだ城壁には弓兵がべったり張り付いているじゃねえか」


 戦場で犠牲が出るのは当然にしても、せめて犬死にだけはさせたくないというのがアクイラの方針であり美学であった。戦闘狂の筋肉馬鹿どもが勝手に突撃してミンチになるのは構わないが、自分の部下だけは大事である。


 そんな気性を理解しているからこそ、エヘクトルはアクイラを咎めずに笑って頷いていた。


「矢が届くか届かないかといった距離で飛び回っているだけで良い」


 そこでようやくアクイラはエヘクトルの意図に気付いて緊張を解いた。


「要するに嫌がらせをしようってことか」


「表現が露骨に過ぎるな。陽動作戦で友軍を援護しようというのだ」


 攻めるつもりがあるのかないのかよくわからない飛兵が目の前をうろちょろしている、それだけで敵の弓兵は気が散るし、警戒に人員を配置しなければならなくなる。


 防備に穴があればそれこそ城壁を越えて侵入してしまってもいいのだ。


「いいともさ。何にせよ俺好みの戦い方ってのはそういうことだ」


 やると決めれば仕事の早いアクイラである、すぐに飛んで仲間の下へと行った。エヘクトルはアクイラの姿が豆粒になるまで見送った。




 ラルフはミノタウロスを斬った、ギガンテスを突いた、ゴーレムを叩き壊した。片っ端から殺して、殺しまくった。


 敵の死骸を土嚢どのう代わりに使い進路を妨害した。血で濡れた氷の坂に雷を落として一網打尽にしてやった。


 それでも敵の勢いは止まらない。


 一体、また一体と脇をすり抜けていく。そうして抜けた者は兵士たちが対処してくれているのだが、数が増えれば処理しきれなくなってきた。どういう訳か弓兵の援護も薄くなっていた。


 ここで負ければ王都は終わる。ラルフの鬼神のごとき戦いぶりを間近で見た兵士たちの士気は高い。同時に、もうどうしようもないという諦めや脆さのようなものが彼らの頭の片隅にあった。


 援軍の当てがない籠城ほど辛いものはない。王都を取り囲む無数の魔物たちを独力で撃退しなければならないのだ。出来るわけがない、と考えてしまうのも無理からぬ事であった。


 一度押し込まれてしまえば驚くほどに崩れるのは早かった。ラルフはその光景を見て舌打ちする。それは兵士たちに対してであり、自身に向けられた苛立ちでもあった。


(諦めの早い仲間がいるというのはこういうことか……)


 以前、マックスから不信感を口にされたことがある。敵であるエヘクトルからも評価していないとハッキリ言われたことがある。その意味がようやく理解できた。


(俺の人生、いつだってそうだ。気付くのが遅すぎるんだ……)


 次の事など考えず、全身全霊を賭けて戦っていればエヘクトルを討ち取る事が出来ていたかもしれない。


 聖騎士の末裔たちと王は、戦う者とそれを援助する者という対等の関係であると気付くのも遅すぎた。それを知っていればヴェルナーの家族が処刑されそうになった時に王に萎縮することなく止める事が出来たはずだ。


 いや、たとえ知らずとも止めるべき場面であった。まさか本当にやるとは思わなかった、というのは己の怠惰と臆病さへの言い訳に過ぎない。あの時、ラルフたちの頭を占めていたのは責任を取りたくない、面倒事を起こしたくないという一心ではなかったか。


 もしも処刑を止めていればヴェルナーはエヘクトルに対して一定の敬意を持ちつつも、今も人類の守護者として共に戦ってくれていただろう。


 見過ごした結果、ラルフたちに共犯者の首枷が付けられ王に逆らうことが出来なくなった。王に従っていればこそ、処刑も王の命令であり仕方のないことであったと思い込む事が出来た。


 王は自由に聖騎士を処断することが出来て、聖騎士たち自身がそれを認めた。そんな前例が出来てしまったのも不味かった。


 何もかもがラルフ一人の責任というわけではないだろう。世界の命運を握っているなどと自惚れてもいない。それでもいくつかのターニングポイントにいた事は間違いない。悔やみきれぬ後悔がいつまでも残っていた。


 王の鎖を引き千切ったとき、罪悪感という傷が心に深く刻まれた。それは今でも時々痛み出す。


「死ね、死ねえッ!」


 泣き出したかった。泣く代わりに叫んだ。顔を覆う代わりに剣を振るった。いくら斬り殺しても無駄だと耳元で囁く声を無視して戦い続けた。


 やがて足元から、どぉんと凄まじい破壊音が響いた。城壁を越えた魔物たちが内側からかんぬきを壊して城門を開いたのだった。


 魔物たちの歓びと咆哮に迎えられ、エヘクトルは城主のような堂々とした態度で城門を潜り抜けた。


「まだ終わりじゃない、終わってなるものかよ……ッ!」


 ラルフは身をひるがえし、城壁から屋根伝いに城へと走った。そこで体勢を整えて最後の一戦に挑むつもりだ。


 途中でちらりとエヘクトルを睨む。殺気に気付いたエヘクトルが見上げ、視線が交錯した。


 必ズ、オ前ヲ殺シテヤルカラナ。


 約定を交わした、そんな気がした。

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