第46話 DoubleCross

 城門突破から数時間後。城の周囲に魔物が取りつき、残った兵士らと最後の戦いを繰り広げていた。


 そんな中、アクイラは空を飛び裏口から悠々と侵入した。荒れた城内を歩き、大広間の裏手に地下室への下り口を見つけた。


「これか……」


 いくつもの蝋燭に照らされ影が揺れる。長い階段を降りて意匠の凝った扉を開けると、目の前に小さいながらも威厳のある部屋が広がった。


 そこで待つのは二つの人影。いや、よく見ればそれは美しい女神像と怪しげな男であった。


「遅かったな、待ちくたびれたぞ 」


 宮廷魔術師のユルゲンであった。


「そいつは悪かった。男と待ち合わせなんて楽しくもなんともないからな」


「私は楽しみだよ、真の主に仕えられる日がな」


「ふン……」


 アクイラは女神像の頭をペチペチと叩いた。当然、そこに神への敬意など存在しない。これは長年魔族を苦しめてきた呪いの像だ。


「お前さんもよくやってくれたもんだよ。俺はただ王と聖騎士を分断しろと言っただけだが、いやホントえげつない真似をしてくれたな」


「王がよく踊ってくれたものでな。あいつの望みを知っているか。皆に好かれる優しい王様、だそうだ」


「あれだけ馬鹿やっておきながら? すげえな、好かれる要素が一ミリもねえぞ」


「多少の誘導はしたが、本気でそう思っての事らしい。この世に私の理解が及ばぬ事があるとすれば、馬鹿の精神構造くらいだ」


 暗い含み笑いを漏らすユルゲンをアクイラはどこか冷めた眼で見ていた。


「それではアクイラ、宮廷魔術師として宣言しよう。降伏する。王の首が必要とあらば勝手に持っていけ、玉座で呆けているからタンポポをむしるよりも楽な作業だ」


 アクイラは無言で頷いた。肯定というよりも、ただ相づちを打っているような、どこか曖昧なものであった。


「外で戦っている奴らに戦闘を止めさせてくれ。この国の統治は私に任せてもらおう。食料と武具の一大生産拠点としてエヘクトル様の覇業を助けようではないか」


「そうだな、王都を支配するのがお前さんの望みだったか」


「少し違うな」


 ユルゲンの顔から自惚れと嘲笑が消えた。そこにあるのはどこまでも真剣な、王家の家臣としての表情であった。


「平和と繁栄だ」


 愚かな王の下では人類を守ることは不可能である。


 頼りないリーダーも、教会の操り人形も、血統書付のチンピラも、魔力が高いだけの一般市民も、ユルゲンの眼にかなう者ではなかった。


 なればこそユルゲンは魔王軍四天王の中でも比較的話の通じそうなエヘクトルの、その幹部であるアクイラに接触した。


 アクイラはつまらなさそうな顔で女神像の胸を撫で回していた。柔らかくもなければ楽しくもないが、男の妄言を聞いているより遥かにマシだ。


 その不真面目きわまりない態度にユルゲンが不快感を示したとき、アクイラは振り返りもせずに言った。


「それな、やっぱ無し」


「……どういうことだ。それ、ではわからんぞ」


「お前さんを仲間に引き入れるとか、王サマにしてやるとかそういう話だ。ぶっちゃけ、お前のこと御大将に伝えていないんだよね」


「ふ、ごとはよせ。私なしでこの国をまとめることなど出来るものか」


「自分が有能だと信じている無能という意味ではあいつに似ているな」


「な……ッ」


 ユルゲンは怒りで言葉を失った。あいつ、が誰を指す言葉なのかすぐにわかった。誰よりも一番近くにいて、誰よりも軽蔑していたあの男と一緒にされるのは何よりの侮辱だ。


 ふざけるなと怒鳴るためにユルゲンが腹に力を入れた瞬間、アクイラは振り向きざまにレイピアを振るった。ユルゲンの腹に横一文字の赤線が引かれ、一拍置いて腸が飛び出した。ユルゲンは膝を突き、どす黒い血を大量に吐き出した。


「何故だ……、これから大きくなるエヘクトル軍に、私のような人材は必要のはずだ。それがわからぬ貴様ではあるまい……」


「何故と聞かれりゃ、そこで何故って顔をしているからだ。他人を道具として切り捨てるくせに自分が捨てられることを予想もしていない。そういう底の浅い策士気取りなんて居るだけ邪魔なんだよ」


 ユルゲンはアクイラを鋭く睨み付ける。逆に言えば、それだけしか出来なかった。


 アクイラはレイピアの柄で女神像の頭を殴り付けた。頭部は砕け周囲から神聖な空気が、魔族にとっては不愉快な雰囲気が薄れていった。


 これで聖騎士復活のシステムは破壊できただろう。戦いに一区切りが付いたことに満足げなアクイラであった。墓の中から響くような暗い笑いが背に向けられた。


「なんだよ死に損ない、気でも触れたか」


「ふ、ははは……。馬鹿が、やったな、やりおったな。女神像を破壊したな。それが貴様らの終わりの始まりだ……ッ」


 負け惜しみかよ、その一言が出て来なかった。ユルゲンの瞳は狂気にいろどられながらも何か確信のようなものがあり、アクイラは気圧された。


「捨てられる可能性だと? 考慮していたに決まっているだろう。だから私は女神像の情報を必要最低限しか渡さなかった。そして詳しい情報はあいつに流してやったぞ。このユルゲンの知略が貴様らを殺すのだ、ははは……」


 それだけ言い残してユルゲンはうつ伏せに倒れ、自ら流した血の海に沈んだ。


「おい、ちょっと待てコラ! 女神像が何だって? あいつって誰だよ!?」


 アクイラは慌ててユルゲンの肩を蹴飛ばすが何の反応も無い。死んだのだ。


 血と臓物の濃厚な臭いが充満する部屋でアクイラは立ち尽くした。


「何だってんだよ、一体……?」


 砕けた女神像へと目をやるが、彼女は何も答えてはくれなかった。

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