第47話 裏切りの代償
王城の門が開き、エヘクトルと護衛たちが進んだ。とても軍事行動とは思えぬゆっくりとした歩みで、観光でもするように周囲を見渡しながら歩いていた。
たまに矢が飛んできたり、剣を振りかぶって突撃する兵士もいたが、それらは全て護衛たちが処理してエヘクトル自身は指ひとつ動かすことはなかった。
よく手入れされた庭があった。見事なものだと感心していると
「意外に風情のある真似をするものだな」
「……ここに居れば、会えると思っていた」
その男、ラルフは聖剣を正眼に構えた。切っ先をエヘクトルの喉へと向けたその姿に、
誰よりも憎い敵のはずなのに、エヘクトルの胸中には懐かしさのようなものが浮かび上がった。
「ひとつ謝罪したいことがある」
エヘクトルが妙なことを言い出して、ラルフは眉をひそめた。
「以前奇襲を仕掛けてきた時、君を
「謝る必要はない。あの時にまだ甘さがあったのは事実だ」
そもそも敵同士なのでそんなことで謝る必要がない。本当におかしな奴だなと考えつつ、ラルフはエヘクトルの背後に視線を向けた。
「一人でいいのか。自惚れているわけではないが、万が一ということもあるだろう」
「王は定期的に民衆の前で虎を殺して見せねばならない。そういうことだ」
魔物たちがエヘクトルに従っているのは身分や恩義ではなく、結局の所エヘクトルが強いからだ。故に、王であり続けるために力を示してやらねばならない。
聖騎士の末裔、四家の中で最強の男。勇者の挑戦から逃げたとあってはその瞬間にエヘクトルは王たる資格を失ってしまう。
護衛たちの中には己がその地位に取って代わるためにエヘクトルの死を望んでいる者すらいるだろう。
「そっちはそっちで大変だな。そういう習慣はある意味で魔族の弱点だぜ」
「肝に銘じておこう」
「なんだよ、やけに素直じゃないか」
「死刑囚には誰だって優しくなるものさ」
エヘクトルがにやりと笑って見せた。ラルフも笑い返した。音もなく地を蹴り、一瞬で間合いを詰めて聖剣を振り下ろした。
エヘクトルは右手で剣を振り払い、風斬り音と共に左拳を突き出した。ラルフは咄嗟に身を屈めてこれを避ける。頭上を鉄塊のような拳が通り抜け、髪の毛数本が宙に舞った。
ラルフは下段から斬り上げる。エヘクトルはこれを拳で防ぐが、触れたと同時に空気が爆ぜる音がして激しい電撃が流された。
エヘクトルは歯を食いしばりこれを耐えた。剣に雷の魔法を纏わせる必殺剣だ。防御してもそこに雷が落とされる。知ってはいたが、やはり厄介であった。
距離を取り、息を整える。ダメージを受けたはずのエヘクトルはまだ余裕顔であり、触れれば即死するであろう鉄拳を
「どうした、これでは前と同じだぞ。魔力が尽きる前に私を倒せるかね?」
エヘクトルの挑発に応えず、ラルフは再び地を蹴った。剣を振り下ろし、凪ぎ払い、電撃を流して距離を取る。命を削るヒットアンドアウェイ。
鉄拳を避けることを第一としているため大きく踏み込むことは出来なかった。また、エヘクトルには自己再生能力があり電撃のダメージも時間が経てば元に戻ってしまう。今も皮膚の表面が泡立ち火傷を消そうとしていた。
全てを理解した上での猛攻である。やがて回復よりもダメージが上回ったか、エヘクトルの動きが少し、ほんの少し鈍くなった。
ここしかない。ラルフが剣を肩に担ぐと、右腕が金色に輝きだした。全てはこの一撃のためだ。ほんの少しでも動きを鈍らせれば、ラルフの斬撃の方が速いはずだ。疲労とダメージがエヘクトルの足枷となり、命取りとなる。
「雷光一閃!」
城壁すら切り裂く必殺の一撃が放たれた。美しい庭園は地面が抉れ、歴代の王が庭を眺めたであろう四阿は粉々に吹き飛んだ。いかに強靭なエヘクトルといえどこの技を食らえば真っ二つになっていただろう。
しかし、そこにエヘクトルの姿はなかった。
ラルフの奥義について幹部たちから聞いていた。アクイラが翼を痛めたのもこの技のせいだ。どこかで放ってくるだろうという心構えは出来ていた。
「ぐぅぅ!」
咄嗟に防御した右腕が粉砕骨折し、聖剣がその場に落ちる。ラルフの身体は数メートル弾き飛ばされ、その場に倒れた。身体の左側を下にして荒く息をついている。
聖剣は落とした。右腕は砕けた。もはや勇者に戦う術は残されていない。
ここで死ねば復活の儀式を行う者はもういない。アクイラも女神像を破壊しに行っている。止めを刺してやろうとエヘクトルが歩み寄ると、ラルフは突然飛び起きた。
ラルフは光輝く左手をエヘクトルの胸に目掛けて突き出した。左側を下にして倒れていたのは、砕けた右腕を庇うためでなく、魔力を集中した左手を隠すためであった。
文字通りの奥の手、雷光拳。
鋭い貫手はエヘクトルの胸の古傷へ深々と突き刺さった。肉を裂き、肋骨を通り、指先が脈打つ心臓へと触れた。
「見事だ……」
だが、それまでだった。ラルフの左腕はエヘクトルに掴まれ、それ以上は引くも進むも不可能であった。
輝きを失った左腕がエヘクトルによって握り潰された。腕を無惨に千切られ、ラルフはよろめきながら数歩下がった。血の気を失い、脂汗の滲む顔で睨み付けるが、もう本当に出来ることは何もない。
エヘクトルは胸に刺さったままの左腕を引き抜き、ラルフの足元へ投げ捨てた。傷痕から勢いよく血が吹き出すが、すぐに泡立ち修復を始めた。
「この傷、目立っただろう?」
エヘクトルはどこか誇らしげに言った。もうずっと前に聖騎士四人と戦った際にヴェルナーによって付けられた傷だ。エヘクトルの心臓がここにあるという目印にもなっていた。
「飛び起きたのは意外であった。奥義を素手で行うのにも驚いた。しかし、ここを狙ってくるだろうということはすぐにわかった。絶対に外せない一撃だからな、狙わない理由がない」
攻撃が読まれていた。ならば顔を狙っていれば良かったのかと言えば、そうでもない。首を少し捻るだけで狙いが外れてしまう頭部は意外に当て辛い。
また、剣を振るうならばともかくラルフとエヘクトルでは上背に差がありすぎて左手で殴り付けるには不自然な体勢になってしまうのだ。これで致命傷を与えることは出来なかったであろう。
実力に、勇気に、判断力に不足があっただろうか?
聖騎士の末裔、筆頭の家を継ぐ者として恥ずべき行いがあっただろうか?
ラルフは空を見上げた。雲ひとつ無い、爽やかな蒼さが広がっている。
「ああ、やはり……、罪なき者の処刑に目をつぶった時から、俺は勇者の資格を失っていたんだな……」
戦う前から詰んでいた。運が悪かった。しかし、それらは初めから繋がっていた。
「ラルフ、私に仕えよ」
「……え?」
エヘクトルの突然の誘いにラルフは目を丸くしていた。
「君はもう十分に国と人類に尽くした。そんな君に王家が、民衆が何をしてくれた。寝転がりながら、お前には努力が足りないと唾を飛ばして偉そうなことを抜かすだけだろう」
ラルフは何も言えなかった。肯定も、否定も。
「英雄が何も報われぬままに死なねばならぬことが私には我慢ならん。もういいだろう、君は君自身の人生を取り戻したまえ」
正直なところ、少し迷っていた。エヘクトルの言葉には単に聖騎士の末裔を利用してやろうというだけでなく、本当に心配してくれているのだろうということが伝わってきた。利と情、どちらも持った男なのだろう。
ヴェルナーが惚れ込むのは無理もないと妙な納得もしていた。そして友は彼らの下で大事にされているのだろうと、少し安心した。
「降伏するならばすぐに血止めをしてやろう。回復魔法が使える者も多くいる。千切れた左腕はどうにもならないにせよ、右腕は動くようにしてみせよう。残った人間が心配ならばこの国の統治を任せても良い。限定的だが楽園を作りたまえ」
「エヘクトル……、俺は……」
「一言、仕えると言ってくれ! 死ぬな、ラルフ!」
「ありがとう。でも、ダメなんだ……」
「ラルフ……」
「クソみたいな国だけど、決して悪いことばかりじゃなかった。俺を信じて応援してくれた人もいた、一緒に戦ってくれた兵士たちがいた。俺は二度と人を裏切りたくはない。もう、二度と……」
ラルフの身体がふらふらと揺れ出した。彼はもう死ぬ、それは誰の眼にも明らかであった。
「ひとつ頼みがある」
「何だろうか」
「王都を占拠して少し落ち着いたら、この庭園を修復してくれないだろうか。こんな綺麗な庭をぼろぼろにしてしまったことだけが心残りだ」
「約束しよう。たまにここへ来て、君との戦いを思い出す」
「ああ、それは良いな。とても良い……」
ラルフは庭を愛おしげにじっと見つめていた。エヘクトルも何も言わず同じ方向を見ていた。
「ぐっ……がああああッ!」
突如、ラルフが身を捩りながら苦しみ出した。両腕を失った事や血を流しすぎた事とは別の異常な苦しみ方だ。
「ラルフ!?」
エヘクトルはラルフの様子に驚愕した。ラルフの両腕の肉が溶けて液状になって垂れ落ちた。俯いたラルフの足元にぽとりと落ちた、それは眼球であった。
肉体が崩壊している。
あまりにも突然、そして凄惨な光景にエヘクトルも護衛たちも動くことが出来なかった。
空からフードを目深に被った女が庭園へと降ってきた。つま先からキレイに着地し、叫ぶ体力すら失ったラルフを抱きかかえると、また風の魔法によって天高く舞い上がり、消えた。
「何だ、あれは……?」
ラルフの身体が突然崩れ出した。
ラルフを連れ去った女が顔を隠していた理由は何か。
女神像を破壊しに行ったアクイラはどうしているだろうか。
全てが繋がっているのであれば、他にも残酷な女神の手から逃れられぬ者がいる。
「ヴェルナー……」
城を見上げるエヘクトルの目が、不安で揺れていた。
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