第14話 壊れた日常

 村人たちの朝は早く、夜明けとともに起き出した。対して村に駐屯する兵士のひとりであるハンスは昼前になってようやく起き出した。別に彼が特別怠け者というわけではなく、夜通し見張りを行っていたからだ。


 人の眼は闇を見通すことが出来ず、魔物は夜目が効く者が多い。魔物が集団で襲ってくるとすれば夜だ。


「よう、早起きだな」


「なんたって俺は良い子だからな」


 仲間と笑い合い、ハンスは弱火にかけっぱなしの鍋から具が煮崩れたどろどろのスープをよそい、朝か昼かもわからぬ食事を始めた。


 さほど広くもない詰め所内を見回すと、自分を含めて九人しかいない。


「あれ、ジョンはどうした?」


 一番近くにいたカールが苦笑いを浮かべた。


「薪拾いに行っているよ。下の薪を振り回しているんじゃなければいいけどな」


 夜間の見張りのためには大量の薪が必要であり、これを集めるのは兵士たちの役目となっていた。外に出る役目を利用して、さぼって村娘とお楽しみというのもよくある話であった。


 夜は魔物が活発化するというのを、昼は安全だというように都合よく解釈してはいないだろうか。風紀の弛みに文句を言いたくなったが、ハンスは言葉を飲み込んだ。 


 みんなストレスが溜まっている。ここで正論を説けば仲間外れにされかねない。


「まあ、ジョンの奴なら大丈夫だろう」


 酸っぱくなったスープを飲み干してハンスは呟いた。


「あいつが真面目だからか?」


「モテないからだよ」


 カールは腹を抱えて笑いだしハンスも釣られて笑うが、すぐにその顔に陰鬱な影が刻まれた。


「なあカール、あの噂は知っているか? ヴェルナーとその家族が処刑されたって話……」


「ああ、魔王軍と通じていたって話だろう?」


「おかしいだろう? 内通していたならどうしてこの村で魔物退治なんかしてくれたんだ」


「金が欲しかっただけだろ。当てが外れてさっさと行っちまったけどな」


 吐き捨てるように言ったカールを、ハンスは信じられないといった眼で見ていた。周辺に住む凶悪な魔物を半分くらい減らしてくれたのだ、それがどれだけありがたいことか、彼にもわからないはずがない。


 だが、カールの感想は少し違うようだ。


「中途半端に残していきやがって。危険な奴を全滅させてくれりゃあ俺たちが苦労することもなかったんだ。英雄サマなんだから、それくらいちゃちゃっと出来ただろうによお」


 一人で魔物と戦い、傷つき疲労したヴェルナーの姿を皆も見ていたのではなかったのか。彼が帰還する度に涙も流さんばかりに喜んでいなかったか。


 村を立ち去る英雄に冷たい視線を投げかけ、内通者であったという噂を聞けば口汚く罵倒する。わからない、カールの言っていることが理解できなかった。


 周囲を見渡すと、他の兵士たちもカールの言い分に頷き同調していた。


 ハンスはヴェルナーの弁護をしてやりたかった。あいつはそんな奴じゃないと叫んでやりたかった。しかし、この雰囲気でそんなことを言えば異物であると思われる。村を守るために、兵士たちは一丸となって戦わねばならない。せめてもの抵抗として、無言を貫きヴェルナーを貶めることはしなかった。何の役にも立っていないが、それしか出来ることはなかった。


「見回りに行ってくる」


 そう言って詰め所を出るハンスの背に、怪訝な視線が注がれた。次の排除対象が決まったのか。ハンスは振り返ることが出来ず、自然と早足になった。




 村の周りは丸太と木の板で作られた壁に囲われている。囲える範囲には限界があるので住居だけを内に入れて、畑などは壁の外に出さざるを得なかった。


 簡易的ながら見張り台なども作り、ハンスはそこに昇って周囲を見渡していた。村人たちが畑仕事をしている。畑が壁の外にあるので野生動物にある程度荒らされることは仕方のないことと割りきらねばならなかった。


 兵士たちはストレスが溜まっている。村人たちは実りの少ない土地に縛られている。いつまでこんな生活が続くのか、先が見えないほど恐ろしいことはない。


 勇者一行が魔族の幹部を倒し、抵抗力を削いでから防衛ラインを広げていくのが人類側の基本的な戦略である。ヴェルナーたちがエヘクトルを倒していれば、村の先に新たな砦が築かれ安全地帯となり、ハンスたちも大手を振って王都へ戻ることが出来たはずだった。


 エヘクトルを一度で倒せなかったのは仕方がない、理解は出来る。死と復活を繰り返しながら戦い続けるのが彼らの使命だ。しかし、ヴェルナーが処刑され勇者一行の動きが止まってしまった。


 いつかは安全地帯になる。その希望があればこそ危険で貧しい暮らしにも耐えてこられた。いつか、という希望が潰えた今、何を頼りに生きていけばよいのだろうか。


 誰も言葉にはしないが、仲間たちはこの村を捨てることも視野に入れているだろう。一度は守ってみせると言いながら、状況が変われば捨てて逃げねばならない。なんと情けないことだろうか。では他に方法があるのか、そんなものは無い。


 独りになりたかったから見張り台に上がったのだが、そこでも気分は鬱々としたままで晴れることはなかった。気分の悪さに反して空はどこまでも青く美しく、太陽までが自分を馬鹿にしているのではないかと考えてしまうほどだ。


 ぼんやりと森を眺めていると、鳥が一斉に飛び立つのが見えた。兵法においてこれは集団が潜む証だと伝えられる。ハンスは急いで梯子を降りて詰め所に駆け込んだ。


「遠眼鏡を貸してくれ、早く!」


 怪訝な顔を向ける兵士たちを尻目に遠眼鏡をひったくるように持ち出して再び見張り台に昇った。


「おい、いったい何がどうしたんだよ?」


 カールが梯子を昇り顔だけを出して聞くが、ハンスに答える余裕はなかった。


 木々の揺れを追い、森の出口を凝視していると、そこに武装したゴブリンが続々と現れた。


「敵襲、敵襲だ!」


 ガァンガァンと激しく鐘を打ち鳴らす。畑に出ていた村人たちは恐怖と困惑、ほんの少し迷惑そうな表情を浮かべてから急いで壁の中へと避難し重い扉を閉じた。

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