第38話 楽園なんてどこにもなかった
エヘクトル、ヴェルナー、プルポの視線が一斉にアクイラへと向けられた。ヴェルナーの後ろに控えるレイチェル、新たにエヘクトル付きとなったメイドも目を丸くしていた。
「おいおい、そんな熱い瞳で見つめられても皆の気持ちには応えられないぜ」
「悪趣味な冗談はどうでもいい。それよりもヘルミーネが失踪したってどういうことなんだ?」
ヴェルナーが詰め寄るとアクイラは困った顔をして答えた。
「初めに言っておくが、こいつはまだ
裏付けの取れていない、未処理の情報であると言った。間者が情報操作に引っ掛かった可能性だってある。
「現時点でハッキリしているのは二つだけだ。そういう情報が入って来たことと、砦に聖騎士どもが現れなかったこと。それだけは事実だ」
ふむ、と唸ってエヘクトルは指先でテーブルを叩く。考え事をする時の癖になっているのか、大理石のテーブルに一部へこみができていた。
「ヴェルナー、ヘルミーネというのは使命をそう簡単に放棄するような人間なのか?」
「ヘルミーネと失踪という言葉のイメージが合いません。彼女はラルフの次に聖騎士の使命に熱心でありました。何より彼女のバックには教会が付いています。立場や身分といった鎖でがんじがらめにされているという意味ではヘルミーネが一番です。よほどの事がない限り使命の放棄などはしない、いや、出来ないでしょう」
「するとこの情報は偽りか、次の作戦の布石か、あるいは……」
「何もかも嫌になるような、よほどの事が起こったか、だな」
エヘクトルの疑問をアクイラが引き継ぐように言った。
今まで黙って聞いていたプルポがどこにあるのかよくわからない口を開いた。
「失踪は事実ではないかな」
「なんでそう思うよ?」
アクイラに促され話を続ける。
「防衛戦に参加せぬ意味がない。それどころかデメリットが大きすぎる。たとえ砦を守れないにせよ、兵の撤退を助けることは出来るはずだ。顔を出すくらいはしなければ兵と民衆の支持を
皆が頷いた。罠や作戦と呼ぶにはあまりにも不自然過ぎる。やはり何かが起きたと考えるべきだろう。幼い頃から神のため、人類のために戦えと教え込まれていたヘルミーネの価値観を変えてしまうほどの何かが。
実際にそれが何かと聞かれれは、首を捻るしかないヴェルナーであった。
「ついでに言えば、魔族が一ヶ所に集まってくれているのは大量ぶっ殺しのチャンスなわけでもあるからな。戦力を削げばそれだけ侵攻も遅れるわけで、やらない理由はないよなあ」
アクイラが大雑把にまとめた。事実、一つ目の砦を落とした後で軍の再編に時間を取られた。今回の被害状況によっては王都まで一気に落とすという計画自体を見直さねばならなかったかもしれない。
「ヘルミーネは失踪した。だが他の二人がどう出るかまだわからぬ。油断だけはせぬようにな」
これで話は終わりだとエヘクトルが手を振った。
王都から離れた街の宿。その二階個室でヘルミーネはベッドに寝転びぼんやりと天井を見上げていた。何もしないでよい時間に、何をすればよいのかわからない。
武具は全て売り払ってしまった。どれも名のある逸品であり、出所がハッキリしすぎてまともな取引が出来ずかなり買い叩かれてしまったが、それでも数年は遊んで暮らせるだけの金が手元に残った。数年後まで国が残っていればの話だが。
ノックの音がする。ヘルミーネは視線をドアへ向けただけで返事はしなかった。
次に鍵を開ける音。個室の鍵はヘルミーネが持っているので、誰かが店主から予備の鍵を借りたということだろう。とうとう来たか、とヘルミーネは酷くうんざりとした気分になった。
「ここに居たか、探したぞ」
鍵を開けて入ってきたのはラルフであった。
「さあ、帰ろう」
「帰るって、何処へよ」
ベッドから動こうとしないヘルミーネにラルフは怪訝な目を向けた。
「王都に決まっているだろう。知っているか、二つ目の砦が落とされた。これ以上、奴らの侵略を許すわけにはいかない。それを止められるのは俺たちだけだ」
「どうでもいいわ、そんなこと」
「ヘルミーネ……」
ヘルミーネ自身、意外なほど感情が動かなかった。そんなヘルミーネの姿にショックを受けてラルフは固まっていた。
「ねえラルフ、貴方は復活の儀式がどんな内容だか知っている?」
ヘルミーネは身を起こし、ベッドに腰かける形で聞いた。
「内容って、死んだら教会に送られてそのまま復活するんだろう?」
「本気で言ってる? 何かがおかしいって感じたことくらいあるでしょう?」
「神の奇跡を疑うなんて……」
こんな話をしたくないと渋るラルフであったが、ヘルミーネは構わず続けた。女神像の間に転送され、そこで見せられた儀式の内容を淡々と語る。
ラルフは自分の頭に手を置いたまま何も言えなくなっていた。エヘクトルによって潰された頭は他人の血肉によって再生した。守るべき民、兵たちの命を搾り取るおぞましい儀式によって自分は今ここにいる。
復活の際に地獄の苦しみを味わうことが代償だと思っていたが、そんなものはただの副作用であり、何の関係もなかったのだ。
「私たちは英雄なんかじゃない。呪われた、戦争の道具よ」
嘘だ、と叫びたかった。理性が悲鳴を上げるが、その一方で納得もしていた。ヘルミーネの説明通りなら全ての辻褄が合う。
「それでも……」
「何?」
「ここで投げ出してしまうのは、今までの犠牲が無駄になるってことじゃないのか」
「皆が喜んで命を差し出したというのであればそうでしょうね。でも違うの、誰もが捕らえられ苦しんで死んでいった。もう嫌なのよ、必死に戦えば戦うほど怨嗟の声が耳から離れなくなるのは!」
ヘルミーネは叫ぶように言って、頭を激しく掻きむしる。力を入れすぎて頭部の皮膚が破け、指先が血塗れになった。
「落ち着けヘルミーネ、ここで君が血を流したって何の意味もない!」
ラルフはヘルミーネの腕を掴んで引き剥がした。同じ罪を抱えた者同士、どうしようもない不安の中で見つめ合い、そうするのが自然なことであったかのように抱き寄せた。
互いの体温と息づかいを感じることで、ようやく気が静まってきた。
「ねえラルフ、このまま二人で逃げちゃおうよ」
ラルフの肩に
「知ってた? 私、貴方のこと好きだよ。貴方と一緒なら何処へ行ってもいい。何もかも忘れて幸せになれるよ」
聖騎士だの英雄だの、そんなもの誰も知らない土地へ行って二人で暮らす。彼女によく似た赤ん坊を抱いて微笑む光景が目に浮かんだ。生活に苦労するだろう、たまにはケンカもするだろう。それでも何とか支えあって、子供の成長を見守りながら共に老いて死んでいく。それはきっと素晴らしいことなのだろう。
それでも、だ。
ラルフは意を決したようにヘルミーネの肩を掴み、その身を離した。
「ごめん、俺は勇者ラルフだ。この国で戦い続ける人々がいる限り、見捨てることはできない」
乾いた音と共に頬へと衝撃が走る。ヘルミーネに平手打ちをされたのだ。英雄の肉体にはどうということもないはずなのに、いつまでも痛みが引かなかった。
ヘルミーネは泣いていた。その瞳は優しく笑っていた。ラルフは彼女を深く愛していたのだと、ようやく気付かされた。
「さよなら、ラルフ。もう出て行って」
「ああ。君も、その、元気で」
最後まで気の利いたことを言えない男だと自嘲しながら踵を返し、後ろ手にドアを閉めた。
この国はもう滅ぶ。そんなことはラルフにも痛いほどにわかっていた。それでも供をするのが一人もいないのでは悲しいではないか。
聖騎士の家に生まれたからではない、聖騎士として生きて来たからだ。
「ヘルミーネ、君はそんなことに付き合う必要はない。使命も、国も、俺のことも忘れて幸せになって欲しい」
男は寂しげに呟き、胸を張って歩き出した。
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