第39話 遅すぎた覚醒
第三の砦の攻略に取りかかった。
ヴェルナーのやるべきことは変わらない。まず初めに魔力を大量放出して城壁を越える氷の坂を作り、後は休むだけである。
人類も魔力集中するヴェルナーを狙おうと弓で狙うが、エヘクトルから貸し出されたミノタウロス十数体が大楯を持って囲むという鉄壁の布陣によって全て防がれた。
ヴェルナーはテントを張って簡易ベッドで休んでいた。レイチェルが甲斐甲斐しく世話をしており、ハーブティーを差し出した。
「何と言うか、一人だけ休んでいて申し訳ないな」
飲み終えたカップの底をじっと見ながらヴェルナーは呟いた。
「まだ皆、戦っているというのにさ」
「ヴェルナー様にしか出来ない役目というものがございます。それを果たした以上、文句を言われる筋合いはございません」
「そりゃあそうなんだけどさ……」
「ケチを付けられたら言い返してやればよいのです。正攻法で城門を破ってみせろ、と」
人類の生存圏を守るために作られた砦は恐ろしく強固だ。攻城兵器を使うにせよ、大型の魔物が体当たりを繰り返すにせよ、門を破ろうとする間に頭上から雨あられと矢と魔法を浴びせられることになる。当然、被害は甚大なものとなるだろう。
氷の坂で城壁を越えれば防御側の有利を大きく削ることが出来る。今さらヴェルナー無しで、とは誰も言いたくはないはずだ。
己の役目の重要性は理解しているが、それはそれとして戦場の喧騒が聞こえる所で一人だけ寝転がっているのは居心地が悪い。
「ヴェルナー様には今やるべき仕事があります」
「何だろうか?」
「休むことです。しっかり休んで、次に備えてください。それがエヘクトル軍全体の為になるのです」
「休むのも仕事、か。そうだな、ありがとうレイチェル。君の言うとおりだ、素直に従おう」
レイチェルは微笑み、ヴェルナーに毛布をかけ直した。
テントの天井を見ながらふと気になったことがある。レイチェルは次に備えろと言った、つまり今回の戦いは終わったようなものだと認識しているのだろうか。
「レイチェル、前線に聖騎士の末裔たちは出て来ていないのかな」
「侵攻は順調で、砦の陥落も時間の問題と聞いております」
「そうか、良かった」
単に厄介な敵だからというだけでなく、かつての仲間たちと戦わずに済むことに安堵していた。
やはりヘルミーネの失踪は事実であったのだろう。ラルフとマックスも勝ち目がないと諦めてくれたか。
「どこか見知らぬ土地で幸せに暮らして欲しいものだな。勝手な言い分だとは思うけど……」
もう彼らと戦わなくてもよい。安心すると眠気が襲ってきた。今夜はこのまま寝てしまおうかと、うとうとしていたところでゴブサエモンがひどく慌てた様子でテントに飛び込んできた。
彼は真新しい兜と胸当てを身に付けていた。占拠した村の鍛冶屋に作らせたものだ。人間から奪った防具ではどうしてもサイズが合わず隙間に布を詰めたり、ぶらぶらさせたままであったりするものだが、最初からゴブリン用に誂えた防具は身体にフィットして動きやすく、見た目もだらしない印象が消えてスッキリとしていた。
配下のゴブリンたちは非常に喜び気に入ってくれたようだが、日常生活でも着けたままなのは困りものだ。
「旦那、勇者ラルフが砦に現れやした!」
これを伝えようと必死に走ってきたのか、ゴブサエモンは息を切らせて叫んだ。
「なんてこった、他の二人は?」
「姿は確認できておりやせん」
「ラルフだけ?」
「へい」
わからない。彼らの身に何があったのか。たった一人で参加しなければならない理由とは何なのだろうか。
「また奇襲される可能性がある。レイチェルはエヘクトル様の本陣へ避難してくれ。ゴブサエモンはゴブザブロウと共にレイチェルの護衛を頼む」
ヴェルナーは指示を出してから魔力回復ポーションを三本開けて一気に喉へと流し込んだ。
「ヴェルナー様、お体は万全ではないのですから、どうか無理をなされぬよう」
不安げな顔をしながらレイチェルがヴェルナーにマントを着けた。
「わかっている。アクイラとプルポを探して合流し、僕は援護に徹するさ」
レイチェルの髪を撫でてからヴェルナーはテントを飛び出して行った。
氷の坂を駆け登り城壁に上がると、空中で旋回しながら戦場を見渡すアクイラの姿があった。ヴェルナーが杖を掲げて振り回すと、アクイラも気付いたようですぐに降りてきた。
「見ろよ、あれ」
アクイラが指差した先は訓練用の広場であった。そこでラルフは数十体の魔物に囲まれながら剣を振るっていた。
周囲に積み上げる斬殺死体。電撃によって黒こげになった魔物の死体。ラルフは血の入ったバケツを頭から被ったかのように返り血にまみれていた。
目は血走り、鮮やかな剣技は見るかげもなく、ただ剣を力任せに振り回していた。
「終わったな」
「ああ……」
アクイラの感想にヴェルナーも同意した。体力、魔力共にとっくに限界を迎えているだろう。ラルフを突き動かすものはただ気力のみだ。
こんな泥臭い戦い方をするような男だっただろうか。ヴェルナーと別れてから彼の身に何があったか、気になったがそれを問う資格などない。
「勝てはするだろうが、放っておけばまだまだ被害は出るだろう。僕らが行って止めを刺してやろう」
「そうだな。プルポの野郎がいれば楽なんだが」
「きっと何処かで見ているさ。僕らが出るのを見たら援護に来てくれるよ」
頷き合い、アクイラは空高く舞い上がった。
ヴェルナーは氷の矢を数十本生成し、ラルフに向けて一斉に放った。
「貴様かヴェルナー!」
ラルフはその魔力に懐かしき友の波長を感じ取った。咆哮し、剣を振るって矢を打ち落とす。普段ならば矢を全て真っ二つにすることも可能であっただろう。しかし疲労した身体では矢を捉え損ね、肩と足に突き刺さった。
刺さった矢は消え去ったが傷口を凍らせた。出血させるのではなく、血流を止めて相手を殺す恐るべき技であった。
「ふんッ!」
ラルフは体内で魔力を燃焼させ、氷を強引に溶かした。腕も足も動くようになったが、魔力を消費した代償は大きい。
「邪魔をするならば貴様とて!」
手負いの獣が城壁へと走る。魔力切れはお互い様だ、ならば
両者の間に流星が飛び込んだ。遥か上空からレイピアを構えて急降下するアクイラであった。
「
姿を捉えることすら困難な高速移動。ラルフの心臓は貫かれ地面に縫い合わさせる、はずであった。ラルフの瞳が漆黒の光を湛え、剣を肩に担ぐような構えを取った。右手に強烈な光が集まる。
アクイラの背に悪寒が走る。やばい、なんだかよくわからないがこれはまずい。強引に進路を変えた結果、二階建ての宿舎に激突し、壁を破壊し中へと転がり込んだ。
片翼が折れ、全身埃まみれだ。頭にはクモの巣が絡んでいる。
アクイラが通るはずだったコースの空間が切り裂かれ、途中にある建物もその先にある城壁も全て切断されていた。レンガ造りの見張り塔が音を立てて崩れ落ちる。
これぞ
城壁に立つヴェルナーは身動きが取れなかった。死を超越したはずの聖騎士の末裔が今、死の恐怖に怯えていた。その相手がまさか、かつての仲間であろうとは。
(僕はラルフの何を知っていたというのだろうか……?)
聖騎士最強の男だが諦めが早すぎる、そういう評価をしていた。ならば彼が本気で死に物狂いになればどうなるか、その答えが目の前にある。
「殺してやるぞヴェルナー、鳥野郎、エヘクトル!」
ラルフの口から肉食獣のような熱い吐息が漏れた。その目は既に正気を失っていた。背を丸め、聖剣を引きずりゆっくりと歩き出すラルフ。あれは勇者ではない、死神だ。
固唾を飲んで見ているしか出来ないヴェルナー。魔物たちもラルフに飛び掛かろうとはしなかった。いや、出来なかった。
ラルフの歩みは無人の広野を行くがごとし、である。
「ぐふぅ!」
突如としてラルフの動きが止まった。口から血を吐き出し、胸や腹から白刃が飛び出ていた。背後から忍び寄ったタコ型魔族のプルポが四本の剣を一気に突き立てたのであった。
「如何におぞましい殺気を振り撒こうとも所詮は手負いの獣よ。手順さえ守れば討ち取るのは容易いことよのう。ぐふふ」
不気味に囁くプルポ。ラルフは憎しみを込めた眼で振り返ろうとしたが、身体は刃で固定されてそれも叶わなかった。
「おっと、殺しはせぬよ。手足をもぎ取って壺にでも入れてやろうかい。慣れればなかなか快適だぞ」
「道連れにするには小物だな……」
「なんだと?」
闇夜に閃光が走り、耳をつんざく破裂音と共に極太の雷がラルフの頭上に落ちた。背後を取っていたプルポも巻き込まれる。
炭化した殺戮者がその場に崩れ落ち、半透明になり消えていった。
ヴェルナーは呪縛から解けたように階段を降りてプルポへと駆け寄った。翼の折れたアクイラも走って来た。
落雷の跡を見てアクイラが言った。
「お前って本当に気持ち悪い生き物だよな」
「……功労者に対してなんたる言いぐさか」
プルポの身体は半分以上が火傷を負っていたが、それでも生きていた。不死身の魔族という肩書きに偽りなしだなとヴェルナーは感心し、安心していた。
その後、プルポは部下たちの手によって後方へ運ばれて行った。アクイラは飛んで帰ろうとしたが、痛みに顔をしかめて諦め歩いた。
ヴェルナーは黙って周囲を見渡した。
燃え盛る砦、立ち昇る黒煙。
苦悶の呻きをあげる人と魔物。
何も言えなくなった人と魔物。
勝利と呼ぶにはあまりにも凄惨な光景であった。
「自殺でも神の奇跡は発動するんだな。それともプルポを巻き添えにしたから自殺だと判定されなかったのか……?」
もしもエヘクトルに捕らえられた時にさっさと自殺していれば。エヘクトルと戦った時にラルフがあれだけのやる気を出していれば。今とはまた違った未来があったはずだ。
誰も彼もが選択肢を間違え続けた結果が、この光景である。
「考えても仕方ないよな。時間は戻らないし、戻したい訳でもない」
望んだ結果では無い。だが、選んだ結果であることだけは確かである。
ヴェルナーは踵を返し、戦場を後にした。
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