第50話 ミラー・プリズン

 ヴェルナーが杖を水平に振るうと、その軌跡から氷の矢が発射された。


 マックスは迫り来る矢をかわし、剣で叩き落とし、一気に距離を詰めて袈裟斬りに振るった。


 手応えあり、真っ二つの粉々。しかしそれは身代わりの氷柱であった。ヴェルナーは床を叩いて目の前に氷柱を出し、また後ろに跳んでいた。


 再度杖が振るわれる。マックスの足元目掛けて凄まじい冷気が吹き付けられた。まともに食らえば足を固められて身動きが取れなくなるだろう。


 これはヴェルナーの得意技だとマックスはよく知っていた。共に旅をしていた時、強敵を相手によく使っていた手だ。ヴェルナーが敵の動きを止めて、ヘルミーネが強化魔法をかけて、ラルフとマックスが斬りかかる。懐かしさが哀しみと一緒に湧き上がった。


「うおらぁ!」


 感傷を振り払うように叫び、マックスは飛び蹴りを仕掛けた。ヴェルナーは壁を平手で叩きその場を逃げ出す。紙一重の差でマックスの蹴りが壁に激突し、破壊した。


 石つぶてがヴェルナーの額に当たり一筋の血が流れる。


「どうしたヴェルナー! 逃げるだけじゃ勝てないぜ!」


「君こそいつまで素振りを続けるつもりだ?」


「ほざきやがれ!」


 マックスが距離を詰める、ヴェルナーは小細工を駆使して逃げる。それを何度か繰り返すが、徐々にヴェルナーは追い詰められて行った。


 氷柱を繰り出すが間合いが近すぎた。マックスの剣は氷柱ごと切り裂き、ヴェルナーの胸から血が吹き出た。


 内臓にまでは達していない。ヴェルナーは咄嗟に傷口を凍らせて止血するが、当然動きは鈍るだろう。なんとか距離を取るが、明らかに顔色が悪い。


 剣鬼マックスを相手に手負いで立ち向かう。それは死と同じような意味だ。


「勝負あったな、ヴェルナー」


 剣を突きつけるマックスに、ヴェルナーはにやりと笑って見せた。


「ああ、僕の勝ちだ」


 不審な顔を向けるマックス。負け惜しみにしてはあまりにも芸の無い台詞だ。


 ヴェルナーは杖の先端を床に叩きつけた。宝石が砕けると同時に部屋中の床が、壁が、天井が光り出した。


 ひとり、ふたり、無限に、ヴェルナーの姿が増えていった。マックスの姿も同様だ。磨かれた氷が部屋全体を覆い、合わせ鏡の迷宮を作り出したのだ。


 ヴェルナーは壁や床を叩いて魔力を注入し、それを一気に解放したのだった。


「つまらん手品を……ッ!」


 立っているだけで方向感覚が狂う。もはや自分が立っているのか寝ているのか、それすら定かではなくなってきた。


 こんな環境で命のやり取りをするなど、一般人ならばそこにいるだけで発狂していたかもしれない。ヴェルナーの姿を捉えて斬り付けることなど不可能であろう。


 しかし、マックスほどの手練れとなれば相手の気配を感じ取ることが出来る。深傷を負って息の荒くなった今のヴェルナーならば気配を探るのはさらに容易い。


「死ね、ヴェルナー!」


 マックスは剣を構え一直線に、迷いなくヴェルナーに向けて走り出した。


 剣先に怒りと失望があった。接近戦を得手とする戦士と、遠距離範囲攻撃を専門とする魔術師では圧倒的に前者が有利だ。小細工に走らなければならないというのはわかる。


 それを踏まえても、こんな子供だましで勝てると思っていたのか。マックスはこれを侮辱と捉えた。


 お前にとって俺はその程度の評価だったのか、と。


 ヴェルナーの全身からいくつもの光線が放たれた。それは床、壁、天井と縦横無尽に乱反射を繰り返す。鏡の迷宮に一瞬戸惑ってくれた、それだけで魔力の集中をするには十分であった。


「なにぃ!?」


 剣がヴェルナーに届くよりも速く、光線の一つがマックスの身体に当たり吹き飛ばした。床に叩きつけられるが跳ねるように起き上がりダメージを確認した。


 左肩が凍り付いている。


「これがお前の、本当の狙いか……ッ」


 頭上から、背後からも回避不能の光線が襲いかかる。


「ヴェルナー、ヴェルナーァァァァァ!」


 マックスの叫びは数十の光線が突き刺さる爆発音にかき消された。


 煙の代わりに霧が発生して視界を塞いだ。それが晴れると大きな氷の塊が見えた。マックスは凍り付けになって死んだ。そのはずなのだが、ヴェルナーは嫌な予感がして距離を取った。


 氷塊にヒビが入り、内側から氷片が弾き飛ばされた。出て来たのは全身から赤黒く禍々しい光りを放つマックスであった。


 肉体強化の奥義、オーバードライブ。光線が直撃する寸前に発動し耐えきったのだろう。本日二度目の奥義発動だ、疲労は著しく効果が切れた後で心臓が動いているかも疑わしい。眼、鼻、口、耳、あらゆるところから血が流れ出していた。


 それでもいい、ヴェルナーを倒すだけの猶予はある。


 マックスは鏡の床を蹴り、ヴェルナーに向けて剣を振り下ろした。ヴェルナーは身代わりの氷柱を立てる。


 こんなものヴェルナーごとぶった斬ってやる。剣は氷柱に食い込み、激しい金属音が鳴り響いた。


 静寂の中、カーンと剣が落ちる音だけが聞こえた。


 氷柱は斬れず、剣は中程で折れていた。


「なん、で……?」


 マックスの胸に氷の矢が突き刺さっていた。その場に膝を突き血を吐いた。光は消えて、もう指一本動かすことも出来なかった。


「その剣、代替品だいたいひんだろう?」


 ヴェルナーが聞いた。勝ったというのにその声に喜びは少しもない。油断すれば今すぐ泣いてしまいそうだった。


「ああ……、砦で失くしちまったんだよなあ」


 あの場で死んでいれば武具も一緒に転送されていたのだろうが、そうはならなかった。仲間ヘルミーネに助け出されたからだ。今使っていたものもそれなりの業物だが、さすがに伝説級の剣には及ばない。


「エヘクトル様に殴られたとき、剣で防いでいたな。それで傷が入らない訳がない。それと、僕がここへたどり着く前にもかなり酷使していたはずだ。相当ガタが来ていたのだろう」


「無理をさせていることくらいわかっていた。しかし、氷柱を斬るくらい余裕のはずだった……」


「最後の氷柱だけは壊される事を前提としたものではなく、残った魔力を注ぎ込んで思い切り硬くしたんだ」


「へっ、魔術師って奴は嫌な野郎だ。最初から最後まで予定通りってわけかよ」


「出来れば氷の反射で止めを刺したかった。最後の氷柱はハッキリ言って賭けだよ。あそこで剣が折れなければ、倒れていたのは僕の方だった」


 ヴェルナーも疲労困憊で立っているのもやっとという有り様であった。世辞で言っているわけではない、それがよくわかったのでマックスは頷いた。


「なあヴェルナー、俺は、強かったかい……?」


「ああ、最高の強敵ともだった」


「そうか、そう言ってくれるか。俺の人生、そう悪いものでもなかったのかもな……」


 マックスはゆっくりと顔を上げた。その眼に光は無く、もう何も見えていないのかもしれない。


「俺はもう満足だ。女神さんよ、俺を起こすな。ゆっくり寝かせてくれ……」


 そう呟いたきりマックスは動かなくなった。


 死んだのだ。マックスの身体が半透明になり女神像の間へと転送される、かと思いきやすぐに色が元に戻りマックスの遺体もそのままであった。


「何だったんだ?」


 ヴェルナーは首を傾げるがすぐに思い当たった。アクイラが女神像を破壊してくれたのだろう。


 マックスに別れを告げて玉座の間へと歩を進めたその時、激しい頭痛に襲われた。


「ぐ、がああああ!」


 冒険の中で痛みに慣れている聖騎士でさえ耐え難い痛みであった。痛みが少し落ち着いたところで額に手を当てると、ぬるりとした妙に粘つく手触りがあった。


 恐る恐る自分の手をじっと見る。手が腐って溶けていた。小指と薬指に至っては白い骨まで見えている。


 マックスの遺体に目をやると、その身体も崩れ始めて液状の肉が足下に溜まりつつあった。


「なんだよこれ、なんだよこれは……ッ!」


 言い知れぬ恐怖に叫び出すが、答えてくれる者などこの場にいない。ただ、虚しく響くのみであった。

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