第32話 孤独の防衛線

 マックスの突き進むところ、血風が舞い上がる。


 赤い血、青い血、緑の血。

 死んでしまえば皆同じ。


 周囲に転がる数百の魔物も、数百の兵士も。


 燃え盛る砦、訓練用の広場に立つものは一人と一体。


 マックスが強く大剣を握りしめる。見据えるはタコ型の魔物、エヘクトル軍幹部のプルポであった。


「てめえ、何で生きていやがる」


 聖騎士の末裔が四人揃っていた時にエヘクトル城でバラバラにしてやった相手だ。驚異的な再生力によって今ここに立っているが、マックスに細かい事情はわからない。


「ふ、ふ……。妙な事を言うものだ。不死身の化け物とは貴様らのことではないか」


 マックスの疑問に、プルポは嘲笑で答えた。


「オーケイ、わかった。要するに今度は刺身になりてえわけだな!」


 一気に距離を詰めて大剣を振り下ろす。プルポは八本の触手全てに武器を持っているがナイフ、レイピア、手斧など、どれも身軽で取り回しの利くものばかりであった。


 大剣を二本の武器を交差させるように受け止めて、残る腕で反撃するつもりであったが、


「なんとッ!?」


 衝撃を受け止めきれず、身体がぐらりと押し込まれた。


 追撃の剣を今度は三本で受けるが、これも弾き返すには至らず逆に武器を飛ばされてしまった。


「むむ、これはたまらん」


 漆黒の瞳がぎょろりと動き周囲を見渡す。ミノタウロスの死骸の側に巨大な斧が落ちているのを見つけて飛び付いた。


「馬鹿が……ッ!」


 マックスはプルポの軽率さをわらい、勝利を確信した。プルポを追って背後から斬りつける。


 重い武器はそうそう簡単に扱えるものではない。普段から触手同士で邪魔にならぬよう軽くて短い武器ばかり使っているプルポならばなおさらだ。マックスも大剣をまともに振れるようになるまで何度血反吐を吐き、何度疲労骨折したか数えきれないほどだ。


 しかし、相手は常識外れの魔物であった。三本の触手を捻って絡め、巨大な一本の腕としたのだ。


 斧を軽々と持ち上げ、振り向きざまに一撃。マックスはとっさに剣で受けるが、今度は彼がまりのように弾き飛ばされてしまった。


「ふぅむ、悪くない」


 プルポは腕をばらしてまた捻り直す。触手を左右で四本ずつ絡め、大斧の二刀流で構えた。じりじりと迫る重圧にマックスの足が後ろに退がる。


 おかしい。以前戦った時は鎧袖一触ワンパン、あっさりと倒せた相手ではなかったか。見た目の不気味さ意外に印象など残ってもいなかった。


 濁った思考の中でなんとか思い出した。あの時はヴェルナーの冷気で動きを鈍らせ、ラルフの牽制で意識を他に向けていたからこそ楽に両断出来たのだ。


(こんなもんかよ、俺一人じゃあ……ッ!)


 誰が一番強い、弱いの問題ではない。四人揃って勇者一行であったのだ。


 もう戻らぬ日々。それでも使命を投げ出すわけにはいかなかった。


 二本の豪腕から繰り出される暴風のような猛攻を前に、マックスは防戦一方となった。敵味方を問わず死体が巻き上げられ、潰された。マックスがその中の肉片となるのも時間の問題かと思われた。少なくとも、プルポはそう考えていた。


「まさかこんな、おもしろサーカス野郎に使うことになるとはなあ!」


 マックスが叫び、全身が赤黒く発光した。


 彼は魔法が使えないわけではなく、魔力の全てを肉体強化に使っているだけだ。ラルフやヴェルナーと同じく魔力を極限まで高める奥義を持っていた。


 フィールドに出されたジョーカー。神技、オーバードライブ。


 体内で魔力を暴走させて限界を超えて肉体を強化する荒業である。魔人エヘクトルさえも恐れさせた、人間を超えた人間。人間を辞めた人間の姿であった。


 全身の血管が絡むつたのように浮かび上がり、血涙を流すマックスが獣のような雄叫びをあげてプルポに襲いかかった。


 技も工夫もない、正面からの斬り下ろし。プルポは斧でこれを受けるが、斧が真っ二つに斬られ大剣の先端がプルポの胴体を大きく抉った。


 斧で防がれた分、浅い。人間ならば致命傷だろうがプルポの傷口は既に泡立ち再生を始めていた。


「逃げるな! 刺身にしてやるって約束しただろうが!」


 追撃。プルポは咄嗟とっさに触手を前に出すが、四本まとめて斬られてしまった。撒き散らされる青い鮮血がプルポとマックス両者の頭上に降り注ぐ。


 往生際の悪い。苛立ちながら突きを繰り出そうとするが、二人の間に突如として氷の壁が現れた。


 プルポの代わりに砕ける氷壁。その隙にプルポは後方へ飛び退さる。そこに立つ人影は懐かしき絶望。


 燃える砦で隣に居て欲しかった。目の前に敵として居て欲しくなどなかった。


「……しばらく見ないうちに趣味が悪くなったな」


「君たちほど面の皮が厚くないものでね」


 白い仮面に黒マントという怪しげな格好をしているが間違いない、かつての仲間であった氷の魔術師ヴェルナーだ。


(二対一だがタコ野郎は既に瀕死、ヴェルナーも魔力を放出しきって本調子ではないはずだ。オーバードライブの効力が残っている今ならばやれる……ッ)


 覚悟を決めて進もうとしたマックスの背に流星が落ちる。否、それは鳥型の魔物であった。雲を突き抜けるほどの高々度からの突撃、鳥足による蹴りであった。


「ぐほぁ!」


 常人ならば背骨が砕けるほどの衝撃。マックスはそのまま地面に叩き付けられた。聖騎士の耐久力により致命傷にはならなかったが、身にまとった赤黒のオーラは消え失せてしまった。


 鳥人アクイラは華麗に飛び上がり、回転しながらヴェルナーたちの側に降り立った。


「ようプルポ、かすり傷みたいだな。いやあ、助かって良かった良かった」


 腕を組んで頷くアクイラ。


「……おかげさまでな」


 タコ足四本を失い、傷口を凍結処理されたプルポは言い返す気力も失せていた。


 アクイラは薄笑いを浮かべてマックスに近寄り、まず大剣を遠くに放り投げてから頭を踏みつけた。


「三人がかりってのは楽でいいな。立場が逆になった気分はどうだい、聖騎士サマよ」


 マックスは呻くことしか出来なかった。悔しさで握りしめたものは剣ではなく、土。アクイラはつまらなさそうに鼻を鳴らし、止めを刺すべくレイピアを逆手に持ち変えた。


「待てアクイラ、殺すな!」


「ああん?」


 ヴェルナーの制止にアクイラは殺気のこもった視線を向けた。


「殺しても王都に戻るだけだ。瀕死のまま拘束した方がいい」


 その説明にアクイラの表情から険しさが溶け、いつもの飄々ひょうひょうとしたものに戻った。


「悪い悪い、誤解してたわヴェルナーちゃん。今さら仲間を殺したくないとか頭の中でフラワーガーデン始めるつもりかと思っちまった」


「……彼らに対して情はある。でもそれは捕まえた後で拷問とかはしないでくださいとか、そういうものだ。やるべき事を見失ったつもりはない」


「ま、いいんじゃねえの。お前さんらしいよ。とりあえず手足はピン刺ししておくか、虫ケラみたいになあ!」


 レイピアが垂直にマックスの右手に突き立った。血が勢いよく噴き出すが、戦場で流された量に比べればごくわずかでしかない。


 酷薄こくはくな笑みを浮かべて引き抜き、次は左と構えたアクイラに向かって真空の刃が飛んで来た。


「なんとぉ!?」


 アクイラは横っ飛びでなんとか避けるが、羽の一部が削られてしまった。その隙にヘルミーネがマックスに駆け寄り、肩を貸して担ぎ上げた。


「逃げるわよ、走れる?」


「それくらいはな。ラルフはどうした?」


「死んだわ。もうこの砦はおしまいよ」


 淡々と語るヘルミーネ。マックスは撤退命令は出ているのかと聞こうとして、止めた。そんな余裕があるようには思えないし、上の人間にとっては兵が最後まで戦ってくれていた方が逃げるのに都合がいい。


(ここは、そういう国だ……)


 唇を噛んで叫びを飲み込むマックス。


 ヘルミーネは風の魔法を利用して飛んだ。長距離移動は出来ないが、砦の外に出るくらいならば可能であった。


「フラれちまったか……」


 聖騎士たちが消え去った空をぼんやりと眺めるアクイラであった。


「追わぬのか」


 プルポが聞くと、


「あの女というか、風の魔法みたいな鋭いもん飛ばしてくるの苦手なんだよなあ」


 アクイラは頭を掻きながら答えた。


「それとも俺に死んで欲しかったかい?」


「……今宵こよいばかりは、そういうのは止そう。ご両者には助けられた、礼を言う」


 プルポが素直に頭を下げ、アクイラは軽く口笛を吹く。ヴェルナーは仮面を外し、何とも複雑な表情を浮かべていた。


恋敵こいがたきを助けたくはなかったんだが、それはあくまで私事であって、軍の不利益になることをするわけにはいかないからね……」


 と、溜め息をつくヴェルナーにプルポは不思議そうな視線を向けていた。


「恋敵とは何の事だ?」


「え、いや、君はこの戦いで手柄を立てたら レイチェルを貰おうとしていたとか……」


「卵も産めず、海で一緒に生活出来ないような女に興味は無いぞ」


 沈黙。そして二人の顔が同時に鳥野郎へと向けられた。


「アクイラうじ……」


「説明してもらえるかい?」


「あれ、人違いだったかな? まあでもこれでヴェルナー君はやる気を出して、砦攻略も上手くいったわけだし、結果オーライってことでヨロシク」


 それだけ言うとアクイラはさっさと飛んで逃げてしまった。後には呆れ顔のタコと魔術師が残される。


「……僕らも行こうか。その傷を治療してもらわないとね」


 そう言ってプルポに肩を貸し、ヴェルナーは立ち上がった。


「貴殿には本当に世話になったな」


「いいさ。それと一方的に敵視してごめん」


「レイチェルに惚れたか」


「一目惚れした。それで今夜、惚れ直した」


「そうか、そうか。ふ、ふ……」


 怪我人を運ぶならば適当に身体の大きな魔物でも呼べばよいのではないかとも思ったが、プルポは指摘しなかった。


 もう少し、この変わった人間と一緒に歩きたい気分であった。

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