第33話 出口の無いディストピア

 崖の上から燃え盛る砦を見ていた。


 マックスは草むらに腰を下ろし、ヘルミーネはただぼんやりと立っていた。


 砦の中ではまだ戦っている兵士がいるかもしれない。助けを求めているかもしれない。だが、もうどうすることも出来なかった。


 心が死んでしまったかのように、何も感じなかった。


「なあ、お前らは一体何をしようとしていたんだ?」


 マックスが抑揚よくようの無い声で聞いた。ヘルミーネはマックスの方を見ようとせず、砦に顔を向けたまま答えた。


「エヘクトルの本陣に奇襲したの。結果はご覧の有り様だけど」


 マックスは呆れ果てていた。自分が必死に戦っている時にこいつらはそんな無駄なことをしていたのかと、怒りすら湧いてきた。


 四人で戦ってようやく互角であったエヘクトルに、二人で突っ込んで勝てると本気で考えていたのか。あまりにも都合が良すぎる。


「馬鹿かお前ら……」


 呪詛じゅそにも似た呟き。マックスの襟首えりくびが捕まれ、ぐいと引っ張られる。


 すぐ近くにヘルミーネの顔があった。彼女は泣いていた。気丈なヘルミーネの泣き顔など初めて見たかもしれない。


「ラルフをそこまで追いつめたのはあなたでしょう!?」


「俺が……?」


「エヘクトルを倒す以外にやつらを撤退させる方法があった? あるなら言ってよ、今さら遅くても構わないから教えてよ!」


 考えを巡らせるが、何も思い浮かばなかった。マックスは必死に戦っていたがそれは守っていただけだ。ラルフ、ヘルミーネと一緒に戦っていればまだ相当長持ちしただろうが、結局いつかは磨り潰されていただけだろう。勝つためにはどうすればよいかなど、思い付かなかった。


「無理だなんてこと、私たちが一番よくわかっていたわ。それでも奇跡にすがるしかなかった……」


 マックスは何も言えなかった。心臓にきりを刺し込まれるような痛みに、ただじっと耐えていた。


「三人いればまだ希望はあったかもしれない。差し出した手を払ったあなたが、ラルフを馬鹿だなんて言わないでよ!」


「……すまん、悪かった」


 ラルフの特攻は愚かであった。その選択に至るまでの彼の孤独と葛藤を思いやることが出来なかった。


(俺たちの心はそこまで離れてしまっていたのか……)


 いつまでも王と決別しようとしない彼らを、心のどこかで見下してはいなかったか。違う。逃げたのは自分の方であった。彼らは聖騎士と王家は協力しなければならないという、至極当然の事を守り抜こうとしていたのだ。


 ヘルミーネはその場にへたり込み、声を震わせていた。


「ねえ、ヴェルナーの家族が処刑された日の事、覚えている?」


「……毎晩夢に出やがるぜ」


 話したくもない、思い出したくもない。しかし拒否できるような雰囲気でもなかった。ここで聞きたくないと拒絶すれば、今度こそ彼らとの接点はなくなってしまうだろう。


「ヴェルナーの妹が処刑される前に叫んだわ、『お兄ちゃん助けて』って。助けるって、誰からだと思う?」


「そりゃあ、王と兵士どもからだろうよ」


「私たちを含めてよ。目の前で両親を無惨に殺されて、次は自分の番。それを兄の仲間で人類の守護者気取りの連中がぼんやり見ているだけなのよ。彼女の目には私たちが悪魔のように写っていたでしょうね」


 あの時はまだ王と決別するなど夢にも思わなかった。眼前で起きた惨劇が、どこか現実離れしていた。処刑を止める、止めない以前に思考停止していたのだ。


 ヴェルナーを捕らえろという命令にも逆らうことは出来なかった。何故なら、自分たちは既に共犯者であったからだ。


「今から王の首をねてヴェルナーに詫びをいれたら、元通りの仲間になれないもんかな……」


「出来るわけないでしょう? それが出来たタイミングは処刑の直前だけ。その貴重な時間を、私たちはただ見ているだけで終わらせたのよ」


 ヘルミーネは俯いて泣き出した。熱い涙がアゴや鼻を伝って垂れ落ちる。


「ごめんね、リリィちゃんごめんね。許してなんて言えないよね……」


 ヴェルナーの妹の名を呼びながら泣き続けた。


 マックスは思わずヘルミーネの肩を抱き寄せようと手を伸ばすが、その動きを察知したようにヘルミーネは立ち上がった。


「ごめん、もう行かなくちゃ」


「王都に戻るのか。戻って、どうするつもりだ」


「わからない。とにかくラルフの復活を見届けて、それからね」


 ヘルミーネは袖で顔を拭い、身体に風をまとわせ空高く舞い上がった。彼女が王都方面へと飛び去るのを見届けてからマックスは草の上に仰向けに寝転んだ。


「何をやっているんだ、俺は……」


 人類を救うという使命に揺らぎはない。

 仲間を愛し、信じる気持ちも変わらない。


 ならば何故、自分たちはこうも変わってしまったのだろうか。


「なあ、どうしてだい……?」


 月に問うが、何も答えは得られなかった。




 王都に戻ったヘルミーネは玉座ではなく、女神像の間に呼び出された。王の姿はなく宮廷魔術師のユルゲンが出迎えた。


 一人で王の嫌味を聞かずに済むのはありがたいが、ユルゲンはユルゲンで苦手な相手であった。とにかく何を考えているのかわからない。


「ついて来い」


 そう言ってユルゲンは女神像の間のさらに奥へと入って行った。女神像の間には旅立ちの日に祝福を受けるために入ったきりであり、奥に部屋があるなどとは知らなかった。


 薄暗い部屋の中に家具などは無くがらんとしている。中央に大きな魔方陣があり、さらにその中心に首なし死体が横たえられていた。


 ラルフだ。どうやら不死の祝福を受けた聖騎士の末裔は死後、ここに転送されるらしい。ラルフが無事に送られてきたことに安堵しつつ、周囲を見渡すと不安が膨らんできた。


 ユルゲンの弟子である、ローブを目深に被って顔もわからない魔術師が五人ほど。立ったまま入るしかない鳥籠とりかごのような牢が二十ほど並べられ、その全てに鎧を着た兵士が入っている。その表情はどれもが衰弱し、恐怖に引き吊っていた。


「ユルゲン殿、これは一体……?」


「復活の儀式だ。己らがいつもどのように生を得ているのか、見ておくがいい」


 ユルゲンの合図で弟子たちが呪文の詠唱を始めた。それは聞いたこともないような言語であり、肺を掴まれるような不快感と息苦しさを覚えた。


 詠唱が進むにつれ、魔方陣が赤黒く明滅する。それはまるで心臓に血が送られるような光景であった。


 牢の兵たちが苦しみだした。水分が抜けて皮膚がカラカラに渇き、目玉が飛び出て、喉を掻きむしり血を吐いた。


「なんですかこれは!? 今すぐ止めさせてください!」


「ラルフが甦らずとも良いと言うのか。いや、貴様の価値観などどうでもいい。人類が生き延びるために勇者の力が必要なのだ。その為の些細な犠牲だ」


 ヘルミーネの抗議をユルゲンはあっさりと流し、感情の無い眼で儀式を見続けていた。


 兵たちが今になってヘルミーネの存在に気付き、


「聖女さま、助けて……、お助けを!」


 と叫ぶが、ヘルミーネは立場とラルフの復活を盾にされ動くことが出来なかった。


 耳を塞いでうずくまりたかったが、ユルゲンに腕を掴まれ許されなかった。


「耳を塞ぐな、眼を逸らすな。貴様らの愚かさ故に、奴らは死なねばならぬのだ。見ろ」


 ユルゲンが指差した先、ラルフの死体の頭部がうごめいていた。肉が盛り上がり、次第に頭部を形作っていく。


 詠唱が終わった。ラルフの身体は完全に修復し、顔には赤身が差していた。


 生け贄となった牢の兵たちは皆、ミイラのように干からびて死んでいた。


「教会に運び出せ」


 ユルゲンの指示で弟子たちがラルフの身体を運び出した。


「私たちの命が、あんな風に……」


 呆然とするヘルミーネをユルゲンが見下ろしながら言った。


「王から何度も言われていただろう、貴様らには覚悟も自覚もまるで足りぬと。国民の命を背負って戦っているのだと少しは理解してもらいたいものだな」


 ヘルミーネは生気の無い眼を向けて、機械的に頷いた。


「貴様らには人類のために全てを捧げて戦う義務がある。個人の権利など何も無い。今すぐヴェルナーの馬鹿を連れ戻せ。家族が処刑された程度でくだらん癇癪かんしゃくを起こすな、とな」


 言い捨ててユルゲンも部屋を後にした。


 残されたヘルミーネと、二十体のミイラ。沈黙と静寂。物音ひとつしていないはずだが、呻き声がいつまでも耳から離れない。


「私の身体も、ああやって……」


 自分は何度死んで、甦っただろうか。その度に多くの兵が犠牲になってきたのか。当然、彼らにだって家族も仲間もいただろう。そんな幸せを奪い、何も知らずに過ごしていたのだ。


 己の身体を抱くように腕を交差して掴んだ。爪が腕に食い込み、いくつもの血の筋が流れ落ちる。


 この血だって、元々は誰のものだかわかったものではない。

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