第35話 タワー・オブ・バベル
ヴェルナーはベッドの上で半身を起こし、部下のゴブリンたちに魔法の講義を行っていた。
「まず初めにやるべきは自分の属性を知ることだ。こればっかりは生まれつきだから自分は炎がいいとか、風の魔法が使いたいとかそういう選択肢は無いと思ってくれ」
「その、属性とやらはどのように?」
「簡単な探知魔法でわかる。……うん、ゴブザブロウは火で、ゴブサエモンは土属性が得意なようだ」
ヴェルナーの指先が淡く光り、ゴブザブロウに向ければ赤く、ゴブサエモンに向ければ茶色になった。
属性がこうだと言われても、それが良いことなのか悪いことなのかもわからぬ二人はぽかんと口を開けていた。
「旦那、火属性というのは当たりなので……?」
「属性に当たり外れは無いよ。使いこなせばなんだって強い。……っていう話がしたいわけじゃないよね」
「へい。ここはひとつ、ぶっちゃけた所をお願いしやす」
属性に優劣を付けるなど魔術師としてあまりやって良いことではない。個人的に思う所は色々あるが、それはあくまで個人の考えであり、さらに言えば偏見だ。
同時に、これから魔法を学ぶ者が自分の力はどう役に立つのか知っておきたいという気持ちもわかる。お前のやっていることはクソの役にも立たないぞと言われればモチベーションも上がるまい。
ヴェルナーは慎重に言葉を選びながら口を開いた。
「火属性というのは当たりの部類だろう。とにかく便利だ、汎用性が高い。気軽に火を付けられるというのは生活の上でも使えるからね」
「つまり、飯の度に木を擦り合わせる必要が無いと」
「落ち葉や枯れ木を摘まんで、一瞬でボン、だよ」
「へええ、そいつは凄げえ!」
笑いながら、どうだと得意気な顔を相棒に向けるゴブザブロウ。対するゴブサエモンは冷ややかな眼を向けた。
「他の連中から頼まれることになるぞ。火を付けてくれって」
「頼られる、いいじゃねえか。それこそ俺の人生になかったものだ」
「こっちに火を付けろ、おい俺が先だ、さっきから呼んでいるだろうが何で来ないんだ使えない野郎め。……と、酷使された挙げ句に恨まれるのがオチだぞ」
「いやいや、そんなことは……、ねえ?」
眉を八の字にして主人に助けを求めるが、ヴェルナーは困り顔で首を横に振った。
「あまり見せびらかさないほうがいいかもね」
「そんなぁ! 俺は強くなってモテたいから魔法を学ぶんですよ! 見せびらかさないでどうするってんですか!?」
「能ある鷹は爪を隠すとも言うじゃないか」
「俺ってば本当は凄い力を持っているんだぜ、って一人でにやにや笑っているのは不健全でしょう!? 力は見せてなんぼですよ!」
不健全とまで言いきられてしまい、しばし返答に困るヴェルナーであった。
「そうだ、俺は旦那の直属だから他人の雑用に付き合う必要は無いよな」
「それと同族から恨みを買うとか買わないとかってのは別問題だけどな」
ゴブサエモンから鋭いツッコミが入った。嫉妬され恨みを買い、ゴブリン族から居場所がなくなることは十分にあり得ることだ。そうなればモテるどころの話ではない。
「旦那、俺の土属性はどうなんですかね……?」
不安げな表情を浮かべるゴブサエモン。ヴェルナーはまた、返答に困った。
「土はね、うん。大器晩成型というか、極めればもの凄く強いんだ」
「覚えたての頃は」
「石つぶてを飛ばすとか、そんな感じになるかなあ」
「それは石を拾って投げた方が早いのでは……?」
ゴブサエモンの顔に広がる絶望感。ヴェルナーは慌ててフォローに回った。
「土魔法は使いこなせれば本当に強いんだ。例えばアースヒールという大地の精気を生命力に変換する回復魔法がある。回復魔法の有効性はわかるよね」
「へい。回復が使えればモテモテだという程度には」
その認識で間違っていない、だろうか。疑問を抱えつつヴェルナーは話を進めた。
「聖属性でないというのが重要だ。魔族の中には聖属性の回復魔法で逆にダメージを食らう奴もいるだろう。でも土属性ならそんな心配はない。土魔法使いは魔族にこそ求められる人材だよ」
「おお、見える見える。俺以上にこき使われて干からびている未来が」
「うるせえ、ほっとけ!」
ゴブザブロウが茶化し、ゴブサエモンが怒って見せる。ゴブサエモンの顔から不安の色は薄れたようでヴェルナーは安心していた。
「肉体強化の魔法なんかも大体は土属性だよ。ちなみに、聖騎士のマックスも土属性で強化魔法を使いまくっているんだ」
「あいつただの脳筋じゃなかったんですかい」
「魔法も使える筋肉もりもりマッチョマンの変態だ」
軽く笑いが起きるなか、ヴェルナーは手を叩いてまとめに入った。
「とにかくだ、どんな属性にも長所がある。そして自分の使えない魔法は羨ましく思えるものさ」
「旦那ほどの魔術師でも、ですかい」
「そうだよ。氷の魔法じゃ火は起こせない、回復も出来ない、空も飛べない。肉の冷凍保存は出来るが解凍出来ない。不便を感じる度に嫉妬しているよ」
「砦にあれだけ好き放題しておいて」
「隣の芝は青いという考えに理屈も限度もないものさ」
そう言ってからヴェルナーは少し表情を引き締めた。
「どれだけ努力しようが高みに登ろうが、魔術師は一人では完璧な存在になんかなれないのさ。誰かに頼り、頼られて初めて力を発揮できる。それを踏まえてなお、君たちは魔法を学びたいと思うかい?」
「俺が旦那の食料を解凍します」
「怪我をしたら、あっしが治しやす」
二人の眼は力強く、まっすぐであった。僕たちは良いチームになれるかもしれない、ヴェルナーは満足げに頷いた。
一段落したところでノックの音が聞こえた。
「はい、どうぞ」
わざわざノックをして入るような礼儀があるのはエヘクトルとメイドたちくらいだ。エヘクトルがノックをすれば軽く叩いたつもりでも殴ったような音がするはずなのでこれはメイドの誰かだろう。
「失礼します」
建て付けが悪いはずのドアを軋ませもせず入ってきたのはレイチェルであった。
続きは明日にしよう、と言う前にゴブリン二名は出て行った。気を使ってくれたらしい。
狭い部屋に少女の甘い体臭が香り、ヴェルナーは己の理性がやすりで削られているようなイメージを抱いた。
「ヴェルナー様、御大将の指示により本日付けで私はヴェルナー様の専属メイドとなりました。
「専属メイドって、何……?」
「煮ようが焼こうがヴェルナー様の自由ということです」
「しないよ、そんなこと!」
「失礼、たとえが悪すぎましたね。私はヴェルナー様に与えられた褒美であり、所有物となりました。何をされようとも構いません」
「何でも?」
「はい、何でも」
ヴェルナーの視線がレイチェルの胸の前で固定された。何をしても良いらしい。つまりは少し手を伸ばして、たわわに実ったベリーメロンを揉みしだこうが何ら問題ないということか。
理解はしたがなかなか行動に移せなかった。間抜けヅラを晒して固まったままだ。
やがてレイチェルは羞恥と不安が混ざりあった表情で、
「ヴェルナー様に見ていただきたいものがあります」
と言って、スカートの端を摘まんでスルスルとまくり上げた。
(おいおいおいおい、魔族の女性は大胆だな!)
嬉しそうに困るヴェルナー。視線は昇る境界線から離せない。
徐々に露になる靴下、すらりと伸びた足、むっちりとした太もも、純白のショーツに見慣れた膨らみ。
(……うん?)
頭の中で二度、鳴らされる金属音。
レイチェルはスカートの端から手を離し、ふわりと落ちて元通りになった。青い肌がこれ以上ないというくらい赤く染まり、顔を逸らしている。
「ええと、レイチェルさんは男だったと……?」
「いえ、両性具有です。ご覧の通りベースは女であり、子も産めます。私のようなハーフサキュバスにはよくあることで……」
震える声でレイチェルは答えた。
「お気に召さなければ、今からでも他のメイドを専属とすることも出来ますが……」
恥ずかしい。軽蔑されるかもしれない。捨てられるかもしれない。レイチェルは今にも泣き出したいような気分であった。そしてその感情はヴェルナーにも伝わってきた。
惚れた女を不安にさせてしまった。男として不甲斐ない限りだ。少々驚きはしたが、自分の気持ちに変わりはない。
彼女を安心させるために、ヴェルナーは出来る限りの優しい声で語りかけた。
「改めて僕から言おう。レイチェル、僕の専属メイドとなってくれ」
「ヴェルナー様……」
「美少女のちんちんならしゃぶれる自信がある」
レイチェルの表情からスゥと感情が消え去った。サイドテーブルの魔導書を掴み、ヴェルナーの脳天に叩き落とす。
ゴン、と頭から出してはいけない大きな音が出た。悶絶するヴェルナーを置いてレイチェルは無言で部屋を出た。
勢いで殴ってしまったがどうしようかと悩んでいると、廊下でアクイラと鉢合わせした。このタイミングで合うのは偶然とは思えない。恐らく様子を見に来たのだろう。
「あれ、ヴェルナーの部屋に行かなかったのか?」
「……行きました」
「じゃあフラレちまったのか。意外につまらん男だな」
「いえ、全てを知った上で私を専属メイドとして迎えると言ってくださいました」
「うん? ますますもってわからん。何でお前さんはこんな所にいるんだ。即座にチョメチョメしろとまでは言わんが、積もる話くらいはあるだろう」
あなたには関係ないことだ、とは言えなかった。レイチェルはヴェルナーに好意を抱いているがそれとは別に、エヘクトルたちからはヴェルナーの心を繋ぎ止めておく事と、聖騎士の子を産むことを期待されている。この繋がりは私的であり公的でもあるのだ。
アクイラの眼が細くなり、表情が険しくなる。いい加減なように見えて職務放棄などは許さぬ男だ。
隠し通すわけにはいかないと、レイチェルは恥を忍んで話しだした。
「実は……」
両性具有であることを明かした後のやりとりを話すと、アクイラは腹を抱えて笑いだした。
「ぶはっ、ぶっふぉ! ぶへへへへ!」
もはや笑いというより奇声である。どうしたのかと周囲から魔物たちが集まってきた。
「アクイラ殿、どうなさった?」
「た、たしゅけて、レイチェルに殺される。笑い死にさせられぶふぉ!」
またいつもの奇行か、と魔物たちは呆れ顔で散っていった。
なんとか息を落ち着けるアクイラ。油断すればまた思い出して笑ってしまいそうだった。
「以前から頭の良い馬鹿だと思っていたが、想像以上にクレイジーだった」
「これから私はどうすればよいのでしょうか……」
しゅんと落ち込むレイチェル。専属メイドが主人に暴力を振るうなど論外である。しかし彼女を罰する権利はヴェルナーにしかなく、アクイラが口出しするような問題でもなかった。
「考えようによっては、あいつはお前さんの全てを受け入れてくれたわけだろう。言い方が斜め上だっただけで」
「それは、まあ……」
「晩飯運ぶ時についでに話し合えよ。多分、向こうから謝ってくるぜ。変な言い方をして悪かったって。そういう奴さ」
「アクイラ様、ありがとうございます。私、もう一度話し合ってみます!」
レイチェルは深々と頭を下げてから小走りで台所へと向かった。
「ま、これは一応上手くいったってことでいいのかね。大将にも報告せにゃあならん。しかし、どう切り出したもんかな……」
アクイラはエヘクトルの私室に向かったが、途中で思い出し笑いを五回もやって、なかなか前に進めなかった。
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