第17話 ナイフとテーブル

 薄暗い部屋を進むと、初老の男が座ったまま睨み付けていた。この男が村長であり、ヴェルナーにとってはこんな形で再会するとは思ってもみなかった相手だ。


 村長はバン、と強くテーブルを叩いた。


「そこに座れ」


「はい?」


「人の身で魔族に与するなどと、恥を知れ恥を!」


 怒鳴る村長を無視してアクイラが滑るように近付き、村長の右手をナイフで刺し貫いた。ナイフ、右手、テーブル。それらが一つに固定された。


「ぎゃああああ!」


「ダメだよ村長ちゃん。ダメダメ。大声出して相手を萎縮させようっていうのはさ、立場が上の時だけ通じるやり方だ。今まではそれで他人を押さえつけられたんだろうけどさ、占領された身でそれは無理だろ。それとも、自分には特別な権威があるって勘違いしちゃったか?」


 問答無用で刺す。そのやり方にヴェルナーは唖然としつつも、なるほどと納得していた。魔族が人間に対して頭を低くして状況を説明して差し上げる義理など無い。立場をわからせる為に、暴力は時として最も有効な手段だ。


 村長が左手でナイフを引き抜こうとするが、アクイラはナイフの柄をさらに押し込んでそれを許さなかった。再度、絶叫が響き渡る。


「んん、ダメダメ。村長ちゃんは話が終わるまでナイフを抜くな。お前みたいな奴は痛みを忘れるとすぐに調子に乗りやがる」


 薄闇の中でもハッキリとわかるくらいに村長の顔色が悪くなった。早く話を終えてやるのが情けであろう、ヴェルナーはわざとらしく咳払いをしてから口を開いた。


「我々はあなた方を殺すために来たのではない。逃げたり逆らったりしない限り危害を加えないつもりだ」


「危害を加えないだとぉ……?」


 脂汗を流しながら村長がヴェルナーを睨み付けるが、アクイラが村長の背後に回り肩を揉んでやるとすぐに俯いて大人しくなった。


「よほどナイフが気に入ったみたいだなあ。そのままテーブルと結婚するか?」


「止しなよアクイラ。それじゃあ重婚になってしまう。奥さんと子供が居るみたいだしさ」


 ヴェルナーとしては冗談のつもりだったのだが、家族の話を持ち出されたのを脅しと解釈した村長は、


「止めてくれ、家族には手を出さないでくれ……」


 と、青くなって震え出した。


 なんだか申し訳ないことをしてしまった、冗談も時と場所を選ぶべきだと反省しつつ、ヴェルナーは話を進めることにした。


「これからあなた方には、収穫物の六割を我々に納めてもらおう」


「六割ですって? それじゃあ食っていけません、せめてもう少し割合を……」


「三つだ」


「え?」


 村長の抗議を遮って、ヴェルナーは三本指を立てた。


「まず一つ。あなた方はもう王都に税を納める必要は無い。農作物を王都に運んで、売って現金に替えて税を納めるという手間をかけずに済む」


「むう……」


 村長は唸った。村にとって納税道中とでも呼ぶべきものはかなりの負担であった。多くの人手を取られ、途中で魔物や山賊に襲われる危険もあり、王都に着いたら着いたで国家の方針に従わぬ村の農作物は安く買い叩かれた。現地、現物で納税出来るのであれば多少の税率の高さなど問題にならないくらいのメリットがあった。


「二つ。魔族に支配されたということは、魔族の庇護下に入ったということだ。これからは魔族の襲撃に怯えることは無く、農地を大きく拡げることも出来る」


 安全こそこの時代において最も貴重なものである。村長の心は揺れた。身の安全が確保できる、村の安全を確保する交渉をまとめたことで尊敬を集めることが出来る。悪くない話なのではないかと思い始めたところで、ヴェルナーが続けた。


「三つめ、そもそもあなた方に選択権は無い」


「あ、はい……」


 冷たい声で釘を刺され、わずかに浮かれた気分は霧散してしまった。


「以上の話を村人たちに伝えて安心させ、いつもの仕事に戻ってくれたまえ」


 ヴェルナーは立ち上がり、村長の耳元で囁いた。


「受け入れてくれ。さもなくば、君たちを皆殺しにしなけりゃならない」


 今のヴェルナーの立場で村人たちを殺さないようにするには、その利用価値を示すしかない。村長がヴェルナーの真意を理解できたかどうかはわからないが、真剣さだけは伝わったようで、村長はもう反抗心を失って何も言わなかった。


 このやり取りは小声ではあるが、アクイラの耳にしっかり入っていた。だが、彼は特に咎め立てしようとはしなかった。


(こいつが何を考えていようが結果として俺たちの利になればそれでいい。魔族の側についたからといっていきなり、『人間どもを皆殺しにしまあす!』なんて言われた方がよほど信用できねえ)


 アクイラが無造作にナイフを引き抜き、軽く振って血を飛ばす。苦痛と解放されたという安堵で呻く村長。その声を合図にヴェルナーは村長宅を出ようとした。その背中に声がかけられる。


「あの、お待ちを!」


「……なんだろうか?」


「仮面の魔術師どののことは、なんとお呼びすれば……?」


 血の滴る右手を押さえながら村長が聞いた。彼にしてみればいきなりナイフを突き立てる鳥人間よりも、人間に同情しているような素振りを見せる男に担当者となってもらいたかった。村が占領されたのはどうしようもない事実とすれば、少しでもマシな相手と付き合いたい。


 ヴェルナーとアクイラは顔を見合わせた。正体が知られていないのであれば隠したままの方がいい。氷の魔術師ヴェルナーであると名乗って支配を続けるのは、正直なところかなり気まずい。


 アクイラがにやりと、いたずらっぽく笑った。何か考えがあるのか、任せるという意味でヴェルナーは頷いて見せた。


「控えよ、人間!」


「ははあ!」


 アクイラの迫力に、村長は右手の痛みも忘れてテーブルに手をつき頭を下げた。


「我々はエヘクトル軍最高幹部である。俺は鳥人アクイラ、こちらは魔氷将アブソリュート殿だ。見知りおけい!」


 その場のノリで大仰な名前を付けられてしまった。


(悪くない。いや、むしろ格好いいか……?)


 ヴェルナーとしては嬉しいやら気恥ずかしいやらといった気分であった。


「……いいじゃないか」


「だろう? 俺はエヘクトル軍で一番センスのいい男だからな」


 笑って家を出ようとする二人の前に、一匹のゴブリンが駆け寄ってきた。


「ヴェルナーの旦那、ちょいといいですかい?」


 その場に何とも言えない微妙な空気が流れた。


 なにもかも台無しである。


「あの、俺なんかやっちゃいましたか……?」


 何だかよくわからないが何かやらかしてしまったことは確かなようだと恐縮するゴブリン。ヴェルナーとしては胸ぐらを掴んでこの野郎と言いたいところであったが、仮面を押さえて数度深呼吸し怒りを静めた。


 改名したからこれからはこう呼んでくれ、と告知する前である。報告か相談をしに来た者に非があるわけでは無い。理不尽な怒り方をするのは今まで自分が嫌ってきた連中と同じではないか、自分は絶対にそうはならないぞと己に言い聞かせていた。


「いや、何でもない。外に出てお話をしようか。ははは……」


 ぎこちない声で返すヴェルナー。仮面の下ではすでに泣きそうであった。

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