第18話 歯車の矜持
「じゃあ俺、帰るから」
そう言って飛び立とうとするアクイラをヴェルナーは必死に呼び止めた。
「待て、待って！ こんな所に置いていかないでくれよ！ ものすごく気まずいんだ！」
仮面で正体を隠しているならばともかく、聖騎士の末裔ヴェルナーと知られてしまった今では支配する側として村に留まるのはあまりにも気まずい。
「そんなこと言われてもなあ……」
アクイラは頭を
「そんなに面倒なら全部始末しちゃえばあ？ それで当初の予定どおりだ。俺も大将も怒りゃしねえよ」
「出来るわけ無いだろう、そんなこと」
「出来ないとか殺したくないっていうのはお前さんの都合だ。わがままと言ってもいい。自分でやりたいと言っているんだから自分でなんとかせえよ」
人を救いたいと思うことがわがままなのか。ヴェルナーはムキになって反論しようとするが、それは寸前で思い止まった。
王都に侵攻しようとする魔族にとっては途中の村に住む人間など、それこそどうでもいい存在だろう。支配するという計画を受け入れてくれたのはエヘクトルの好意に他ならない。
わがまま、などという言われ方は心外であったが、よくよく考えれば納得をせざる得ないことだ。ヴェルナーの立場は既に魔族の側だ。あまり自分の都合ばかり言い募るのはエヘクトルの好意を裏切る行為ではないだろうか。
「……すまない、僕の心得違いだった」
素直に謝るヴェルナーを、アクイラは好意的な眼で見ながら頷いた。
「大将もお前さんほどの男をいつまでも村の目付役にしておくつもりはないだろう。そのうち気の効いた奴が派遣されて交代ってことになるだろうから、それまで辛抱してくんな」
「どれくらいかかるかな」
「長くても一ヶ月ってとこじゃねえかな。砦の攻略にお前さんが不参加ってことはねえだろ。いや、俺がそうならんよう進言する」
「ありがとう。君には本当に世話になっている」
「いいさ、俺はエヘクトル軍で一番親切な男だからな」
アクイラは笑って飛び去った。その姿が見えなくなるまで空を見上げていたヴェルナーが、隣で肩を落としているゴブリンに声をかけた。
「さっきも言ったが、君が悪い訳じゃない。僕の甘さで君には居心地の悪い思いをさせてしまった。申し訳ない」
手討ちにされるどころか、この上官はいきなり詫びてきた。信じられないものを見るようにゴブリンの眼が大きく見開かれた。
「ありがてえ、お許しくださるたぁ本当にありがてえよ旦那」
ゴブリンの顔がくしゃくしゃに歪められ、泣いているのか笑っているのかもわからなかった。
「許すもなにも、そこで怒るのは理不尽というか筋が通らないじゃないか」
ゴブリンは少し声を落として答えた。
「筋が通るの通らないのと、多くのお偉いさんにとってはどうでもいいことでござんすよ。上手く行かないから殴る、気に入らないから殺す、そんなのが日常茶飯事で」
「そういうものなのか……」
エヘクトル軍に入ることで魔族は本当は良い奴ばかりなのでは、人間よりもよほど上等ではないかという考えが心の片隅にあった。今、そんなものは表面的なものに過ぎないと思い知らされた。楽園など、どこにもない。少なくともねだるだけで得られるようなものではないらしい。
「実力主義なんて言えば聞こえはよろしいですがね、逆に言えば力の無い奴は上に逆らえません。奴隷ですよ」
ゴブリンが吐き捨てるように言った。
ヴェルナーはゴブザブロウと風呂場で話したことを思い出していた。強い奴の下に付くのが弱者の処世術である、彼はそう言っていた。どこか冗談めかした言い方だってのでヴェルナーも、
「別に良いけど」
と、流れで部下にすることを承諾したのだが、彼は彼で必死だったのではなかっただろうか。
エヘクトルの小間使いというのは正式な役職ではない。城主から離れた所で狂暴な魔物に捕まり、
「おい、ちょっと来い」
などと呼ばれてしまえば拒否することは出来ない。そのまま雑に扱われて命を落とすことも珍しくないのだ。
これがもしヴェルナーの部下であったなら、
「自分は氷魔将さま預りなもので……」
と、逃げることが出来る。後は上の者同士で話を付けてくれるだろうと。
「ああ、愚痴みたいになってすいやせん。あっしが言いたいのはですね、旦那がどれだけ素晴らしいお人かということで……」
上目使いでちらちらと見てくるゴブリンに、ヴェルナーはぎこちなく笑いかけた。
「もしよければ、君も正式に僕の部下となってくれないか？」
「へぇ、よろしいので！？」
「よろしいもなにも、そのつもりで話したのだろう？」
「へ、へへ……。いやあ、お見通しでしたか」
鈍いヴェルナーにも流石にそれくらいはわかる。茶番といえば茶番だが、本人にして見れば必死なのだろう。上官の人間性は身の安全に直結する。
「では改めまして、あっしの名前はゴブサエモンと申します。ザエモン、ではなく、サエモン。ここがポイントです。よろしくお見知りおきを」
名前が紛らわしい。最初に仲間になった奴がゴブザブロウ、次の仲間がゴブサエモン。せめて両方とも『ザ』か『サ』で統一してくれればよかったのだが。これでは名を呼ぶ前にいちいちどっちだったろうかと考えることになりそうだ。
とはいえ、他人の名前に苦情をいれていけばキリがないし、紛らわしいから改名しろというのも失礼な話だ。こればかりはヴェルナーの方で慣れていくしかあるまい。
「よろしくゴブ、サエモン。さて、知っての通り僕はずっと人類側に所属していたので魔族の習慣や礼儀というものに疎いんだ。僕が何かおかしなことをしでかしたら指摘して欲しい。君にはそういう役割も期待している」
「へい旦那、お任せください」
「早速聞きたいのだが、ゴブリンは自分の名前にこだわりがあるようだが、ひょっとして名前を間違えたらそのまま殺し合いに発展するくらい重要な話だったりするのかい？」
そうだとすれば慣れるまで部下を増やさない方がいいだろうかと
「いえ、全然そんなこたぁないですね」
「んん？」
あっさりと言ってのけるゴブサエモンに、ヴェルナーは怪訝な顔を向けた。
「お偉いさんから用事を申し付けられる時は基本的に『おい』とか『そこのお前』ですから。名前を間違える間違えない以前の問題ですよ」
「ああ……」
「ゴブリンの中に名前にこだわる奴が多いのはその反動っていうんですかね。自分は大多数のうちのひとりではなく、意思を持った魔族なのだと言いたい訳ですよ。まあ、これもお偉いさんが聞けば鼻で笑われるのでしょうが」
酷い話だとは思うが、ヴェルナーはその場で非難することは出来なかった。勇者一行として旅をしていた時はゴブリンなどうじゃうじゃと沸いてくる雑魚くらいにしか思わず、ひとりひとりに意思や個性があるなどと気にもしなかった。
誰だって興味のない相手にはいくらでも残酷になれるものだと思い知らされた。しかも、そう扱うことに疑問すら覚えないのだ。
今までそうであったことは仕方がない、敵であったのだ。悔やむことに何の意味も無い。
（だが、これからは僕が彼らの主人だ……）
彼らの意思を尊重し、その命と名誉を守る。信頼を得るためには名前が覚えづらいなどと言っている場合ではない、そこは努力するべきだ。
やるべき課題がはっきりと見えたのはむしろ良いことだと、ヴェルナーは心中で頷いた。
「ゴブサエモン、皆を集めてくれ。これからの話をしたい」
「へい！」
名を呼んだことでゴブサエモンは嬉しそうに返事をした。これで良かったのだと、ヴェルナーも少し嬉しくなってきた。
「ゴブザブロウにも声をかけるといい。僕からだと言えば手伝ってくれるだろう」
するとゴブサエモンは首を捻って言った。
「あの、ゴブザブロウってえのは……、誰ですかい？」
「え。ああ、知らないか。いつも鉄兜を被った奴なんだけど」
「あ、はいはい。あいつですかい。いやあ、話したことはありますが名前は知らなかったもんで。では、行ってまいりやす」
「んん……？」
ヴェルナーはゴブサエモンの姿が見えなくなるまで腕を組んで唸っていた。
この日、ゴブリン族の習性について学んだことがふたつある。
ひとつ、彼らはひとりの魔族として認められたいと願っていること。
ふたつ、あいつらはかなり適当である。
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