フリージング・コフィン~裏切られた魔術師、魔王軍に入隊し復讐する~
荻原 数馬
第1話 死に損ないの回顧録
神の奇跡を受けた勇者は死してまた復活し、戦場へ舞い戻る。それを祝福と呼ぶか呪いと呼ぶかは判断の分かれるところだろうが、敵対者にとって厄介極まりないことは間違いないだろう。
禍々しい瘴気漂う玉座の間。横たわる四人の男女。身に付けている武具はどれも長い旅路の中で手に入れた一級品だ。伝説の、と前置きされることもある。
四人を見下ろすのは緑色の肌、頭部に曲がりくねった角の生えた魔人だ。分厚い胸板に突き刺さった氷柱を力任せに引き抜くと青い血が吹き出すが、傷口が蠢きすぐに塞がった。しかし完全に元通りとはいかず、見るも無惨な傷痕は残ってしまった。
あとほんの少し押し込まれていたら、敵に魔力が残っていたら、そう思えば魔人エヘクトルの背に冷たい汗が流れるのであった。
勇者たちの死体がスゥ、と半透明になり消えていくのをエヘクトルは忌々しげに見送った。奴らは復活し、準備を整えるなり鍛え直すなりしてまた襲ってくるだろう。こちらが倒されるまで、何度でもだ。
ふと気が付くと、勇者一行の中で一人だけ消えていない者があった。聖騎士の末裔、氷の魔術師ヴェルナー。エヘクトルの胸に氷柱を撃ち込んだ相手でもある。
歩み寄り、頭を踏み潰してとどめを刺してやろうか。右足を浮かせたが、少し考え直してそのまま戻した。
武人として意識の無い相手を痛めつけるのは誇り高い行動と言えるだろうか。また、最後の力を振り絞って一撃を加えた戦士というのは尊敬に値する。厄介な敵ではあるが、こうした男は嫌いではない。
「誰ぞあるか!」
玉座の間が震えるほどの大声で呼ぶと、一匹のゴブリンがネズミのように現れ跪いた。戦闘に参加しなかったことを責められると思ったのか、醜悪な顔に卑屈な笑みを浮かべて主人の言葉を待った。
もとより、エヘクトルはそんなことで責めるつもりは無い。勇者一行との激戦に中途半端な強さの者が助太刀に来ても邪魔なだけである。
「こいつを治療して牢にブチ込んでおけ」
ヴェルナーに向けてクイと顎を動かしながら言うと、ゴブリンはきょとんと呆けた表情で首を傾げていた。
「この人間を、ですかい?」
「殺してもまた生き返るだけだ。捕らえておけば何らかの使い道はあるだろう」
ゴブリンは数秒の間を置いてから、
「おお、なるほど、なるほど! 流石は
と、見ている方が気まずくなるほど大袈裟に喜びながら仲間を呼び、ヴェルナーを運んでいった。
一人残されたエヘクトル。玉座の間にまた静寂が戻った。血の跡と破壊された壁や柱がなければ、つい数分前まで勇者一行と戦っていたことが信じられぬくらいだ。
玉座に座り疲労と安堵のため息をつく。ただ撃退するだけではダメだ、自分等が滅ぼされるまで続く殺しあいの連鎖をどこかで断ちきらねばならない。
あの魔術師が解決の糸口にならないだろうか。具体的な方策はまだ何も見えてはいない。
いつもは心地よい部屋の薄暗さが、今はただ不安を掻き立てるばかりであった。
頭痛と吐き気を抱えてヴェルナーは目を覚ました。
何が何だかわからない。死ぬことは初めてはない。いつもであれば全滅すれば教会で目を覚まし、その後王の前へ引きずり出されて勇者の自覚がどうの、蘇生費用は国民の血税がどうのと延々と嫌みを垂れ流されるのだが、どうやらここは教会ではないようだ。
薄暗さに段々と目が慣れてきた。湿った石畳、一方は鉄格子。窓は無い。地下牢だろうか。
上手く起き上がれず、今になってようやく手枷、足枷が付けられていることに気が付いた。正確な状況はまだ掴めないが、あまり愉快な話ではないようだ。
足音とぼんやりとした光が近づいて来た。鉄格子の向こうで松明を持ったゴブリンが首を傾げた。
「お目覚めかい、お姫様」
そう言って、ひっくひっくとしゃっくりのような声を上げた。何がおかしいのかわからないが、どうやら笑っているらしい。
そのまま奥へと引っ込み、五分と経たずに戻ってきた。手に皿のようなものを持っている。
「食え」
石畳に置かれ、松明に照らされたそれを覗き込むと、得体の知れぬ緑色の液体の中で芋虫やムカデが
「食えるわけないだろう、そんなもの」
「ほ? いらねえのかい?」
ニタリと笑ったゴブリンは皿を掴むと、手を突っ込んで汁を撒き散らしながら芋虫を食らい始めた。ぐちゃぐちゃと音を立て、本当に旨そうに食っている。
皿を傾け汁まで飲み干し、ゴブリンは満足げにぷはぁと息を吐いた。なんとも形容しがたい口臭が漂う。
「いやあ、悪いなあ。全部食っちまった」
「いいさ。どうやら食生活が合わないようだ」
無理やり食わされそうになったら氷漬けにしてやろうかと指先に魔力を溜めていたのだが、やらずに済んだようだ。
「いくつか聞きたいことがあるのだが……」
「ひ、ひ、そういうのは俺の口からはね、何にも言えねえのよ」
不気味な含み笑いを浮かべながらゴブリンは去っていった。後に残されたのは薄闇と静寂、湿った空気のみである。
ヴェルナーはなんとか身を起こし壁を背にして考え込んだ。
どうやら自分は魔人との戦いで生き残り、囚われてしまったようだ。他の三人は無事に死んで、肉体と魂は王都へと転送されたことだろう。無事に死ぬ、という表現もおかしな話ではあるが。
いっそのこと自害すればここから抜け出すことが出来るだろうか。氷で針を作り出し喉を突けばよいだけのことだ。手枷と足枷には魔力を抑制する効果があるようだが、そのくらいは出来そうだ。
しかしここで疑問が残る。不死という神の祝福は魔物と勇敢に戦った結果として与えられるものだと聞いている。自害した場合にも適用されるかどうかわからないのだ。
(自害というのは、最後の手段だな……)
その結論に心の片隅で安堵してもいた。やはり自分で自分を殺すというのは恐ろしいものだ。
あの
疲れているが眠ることが出来ない。頭痛と吐き気はますます酷くなった。不安だけが際限なく広がっていく。敵地に囚われるとはこういうことかと妙な納得もしていた。
複数の足音にヴェルナーは顔を上げた。処刑人のものかもしれないが、状況が変わるならば何でもありがたいという気分だ。
ゴブリンは三体に増えた。もう一人、筋骨隆々の大男がいた。この城の主にして魔王軍四天王がひとり、魔人エヘクトルだ。
ゴブリンが左右から松明を掲げ、三人目がその場でよつんばいになった。当然だとばかりにエヘクトルがゴブリンの背に腰かける。
ずいぶんと部下に酷い扱いをしているものだなとヴェルナーは眉をひそめるが、よく見れば椅子になったゴブリンは顔を赤らめ荒く息をついている。興奮しているようだ。粗末な腰ミノを纏った股間が盛り上がっているようにも見えたが、きっと気のせいだ。そういうことにしておこう。
主人の椅子となって悦ぶゴブリンと、羨望の眼差しを向ける同僚二人。文化が違う、という言葉でヴェルナーは思考を打ち切った。
エヘクトルはゴブリンチェアの上で足を組み、囚われの魔術師へ楽しげな視線を向けた。
「元気そうで何よりだ、とでも言うべきかな?」
「おかげさまで、と言っておきましょう」
その答えが気に入ったか、エヘクトルは何度も頷いた。身動きする度にゴブリンから悩ましげな吐息が漏れる。
「それで、これから僕をどうするつもりですか?」
「さて、どうしたものかな」
ふざけているのかとヴェルナーは睨み付けるが、檻の中からではあまり迫力が無い。
「本当に何も決まっていないのだよ。殺してしまえば君は人間どもの国で復活するだけだ。生かして捕らえたのも何かの僥倖、使い道は無いかと考えたが何も思い浮かばなくてね。とりあえず話でもと、こうして足を運んだ訳だ」
勇者一行の力を削ぐという意味では捕らえているだけでも効果があり、無理に他の使い道を考える必要性はあまり無い。
それでも話をしようというのはダメでもともと、何か有用な情報でも引き出せれば儲けものといったところか。それはヴェルナーの立場からしても同様である。いかにしてこちらの手の内を見せず、相手の手札を覗き見るか、そうした勝負である。
「わかりました。何の話をしましょうか……」
お互いに強く警戒している。城の間取りがどうの、あいつの弱点がどうのと聞いて答えてもらえるはずもない。まずは軽い探り合いからだ。
エヘクトルも少し悩んだか、視線を宙に向け顎を撫で、足を組み替え、椅子ゴブリンが悶える。
「君たちの旅の話など聞かせてくれないかね。私は城の外に出ることがあまりなくてね、外の世界を面白おかしく話してもらえるとありがたい」
「それくらいでしたら……」
話の糸口としては悪くないのだろうが、まだヴェルナーには懸念があった。
「しかし、よろしいのでしょうか?」
「何がかね?」
「僕たちの旅というのはつまり、魔物退治の旅ということになるわけですが……」
椅子を含めた三匹のゴブリンがヴェルナーを睨み付ける。エヘクトルはしばし、きょとんとした表情を浮かべていたがやがて大きく笑いだした。
「問題ない。君たちの立場は理解しているつもりだ」
「四天王の一人、魔人ガイウスも倒してしまったわけですが……」
幹部を殺してしまったのだ。ものすごく気まずい。だがこれもエヘクトルは笑い飛ばした。
「それも問題ない。私はあいつが嫌いだからだ。嫌いだった、と過去形で語れることが本当に喜ばしいよ」
「今さらっと凄いこと言いましたね。魔王軍幹部の不仲説とか話してしまっていいのですか。考えようによっては機密情報ですよ」
「あいつが嫌われているのは魔王軍の中では割りと有名な話だ。もう死んでしまったのだから買収も寝返りもさせようがないだろう」
有名な話、しかしヴェルナーたちは知らない話だ。ひょっとすると王はその情報を掴んでいたがあえて伝えなかったのではなかろうか。情報の秘匿こそ力になると考え、本当に必要なことまで伝えないような人間だ。その可能性は十分にある。
ヴェルナーは慌ててその考えを打ち消した。こんな状況だから疑い深くなっているのだ。身内同士で疑い合うような真似をしてはならない。
エヘクトルは重要だが用済みとなった情報を流した。これくらいなら話てもいいじゃないかというメッセージか、話してもよいラインを決めて情報を引き出しやすくするテクニックか。いずれにせよ、ヴェルナーから無視をしようとか嘘をつこうという気は失われていた。ここまで話されたからには、こちらからも何か言わねばならないという謎の義務感が沸いてきたのだった。
「では、ガイウス討伐までを話させていただきます」
と、前置きをしてから語り始めた。旅立ちの日のこと、仲間のこと、初めて全滅したときのこと。これは話しても大丈夫だろうかと悩むので時々唇が止まるが、エヘクトルは無理に急かそうとはせず、笑って頷くばかりであった。
エヘクトルはなかなかの聞き上手であった。微笑みを浮かべて頷き、話の邪魔にならぬタイミングでちょっとした質問をし、答えにくい話に突っ込んだりはしなかった。
こんな風に腰を落ち着けて誰かと語り合うなど何年ぶりだろうか。王都を出てからなかったように思う。仲間たちと仲が悪いわけではない、雑談くらいはするし冗談も言う。ただ、話の中心はいつも魔物退治のことばかりであった。
小一時間ほど話し込んだあたりで、また新たな足音が聞こえた。頭には羊のような丸っこい角、青い肌をしたメイド服を着た少女だ。魔族なればこそか、どこか神秘的な美しさがあった。メイド服は胸元が大きく開いたデザインであり、ヴェルナーは顔を背けるが目だけで追ってしまった。
「御大将、お食事の用意が調いました」
聞く者を魅了する透き通った声、と感じたのはヴェルナーだけであったか、エヘクトルは面倒くさそうに手をひらひらと振って見せた。
「今とても良いところなんだ。ここに運んでもらうわけにはいかないかね?」
「シェフが腕によりをかけて作った料理を、このような汚い所で食べるおつもりで?」
エヘクトルの権力は厨房にまでは及ばぬようだ。メイドに睨まれ何か言い返そうとするも、気の効いた台詞は思い付かなかったらしい。
「そういうことだ、ヴェルナー。また明日、訪ねても構わんかね」
「お待ちしております、と言ったら問題発言になりますかね」
「問題かって? そりゃあ問題だとも。聖騎士の末裔が、魔人に会えなくて寂しいなどと」
苦笑いを向けあってから、エヘクトルは石畳を鳴らして去って行った。美しいメイドも、剽軽なゴブリンたちも居なくなり、ヴェルナーは薄暗く湿った牢獄に取り残された。
聞こえるものは水滴の垂れる音のみ。エヘクトルに語ったことは冗談なのか本気だったのか、自分でもよくわからなくなっていた。
気を使ってくれたのか、その後運ばれた食事はパンと水など普通に人間が食べられるものに変えてくれた。
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