第41話 家族の肖像

 会議室にて、エヘクトルはつまらなさそうに書状を眺めていた。


「大将、そりゃあなんだい」


 アクイラが聞くと、エヘクトルは書状を差し出した。


「四天王筆頭と名乗る不届き者からだ」


「大将は本当にイグニスのこと嫌いだよな」


「なんだ、君は好きなのか」


「冗談じゃねえや、あんな暑苦しい奴」


 アクイラは書状にざっと眼を通し、ふんと鼻を鳴らした。聖騎士など飼っていてはいつか災いを呼ぶだろう、即刻処分するべきである、との内容であった。


「それをどう見るね」


「ヴェルナーが炎の魔術師だったり風属性が得意だったりすりゃあ、こんなもん寄越よこしたりはしなかっただろうな」


「だろうな」


 エヘクトルは苦笑いをしてみせた。


 イグニスは炎の魔人であり、氷属性とはとにかく相性が悪い。ライバルが自分を殺せる力を抱えているというのは心穏やかではないのだろう。


「愚かなことだ。警戒しています、と言っているようなものだな。ますます手放せん」


「王都を落とした後も、か」


「そういうことだ」


 残る砦はあと二つ。そこを抜ければ王都は目の前だ。




「妊娠しました」


 レイチェルの突然の告白に、ヴェルナーは眼を丸くして固まっていた。その様子にレイチェルは呆れたようにため息を吐く。


「なぜ殿方というのは子作り行為を散々やっておきながら、いざ出来たと言われると意外そうな顔をするのでしょうか。着床したと思われる日の内容をこと細かく語ってもよろしゅうございますが?」


「いや、そんな羞恥プレイは勘弁してくれ。嬉しいよ、とても嬉しいとも。ありがとうレイチェル」


「戸惑う理由をお聞きしても?」


 ベッドの上に並んで座り、レイチェルは真っ直ぐな瞳を向けて来る。こんな時でも、綺麗だなと感じてしまうヴェルナーであった。


「……僕の家族がどうなったかは知っているだろう?」


「はい」


「僕は今まで復讐のために生きて、多くの人々を殺してきた。これからもそうするつもりだ。そんな僕が新たに家庭を築こうというのは許されることなのかと、そんな風に考えてしまったんだ」


「ヴェルナー様のご家族が復讐を望んでいるか、それはわかりかねます。ですが、ヴェルナー様の不幸を望んでいるとは思えません」


「それは、まあ、そうだが……」


「復讐は果たす、血筋も残す。両方やってこそ親孝行となるのではないでしょうか」


「うん、そうだな……」


 自分に都合の良すぎる考え方だ。少なくとも王都に住む人々は自分を許しはしないだろう。


(でも、それも仕方のないことだよな……)


 人と魔族が争う時代、誰からも愛される生き方など出来はしない。人間の代わりに魔族が殺され絶滅していれば満足なのかと問われれば、決してそんなことはない。どちらかを選ばねばならないのだ。


 ならば、愛し愛された女の優しさに従いたい。


 ヴェルナーはそっとレイチェルの肩に触れた。力など入れていないが、羽毛が落ちるようにふわりとレイチェルの身体がベッドに横たわる。


「産んでくれ、暖かい家庭を作ろう。生涯、僕にとっての女は君一人だ」


「はい、嬉しゅうございます。ヴェルナー様……」


 ヴェルナーの手がレイチェルの、情欲に張り詰めるものを掴んだ。そこに触れることに、何の躊躇ためらいもない。




 ある日、ヴェルナーはアクイラの部屋で本を読んでいた。


「特に用は無いけど、だらだらしようぜ」


 と、誘われたからであった。


 本当に何の用事もなかったようで、アクイラはヴェルナーを招き入れた後でも寝転んだまま、


「よう」


 と言ったきり、無言でドングリを食べ続けていた。


 アクイラの奇行にも慣れてきたもので、そんなこともあるだろうとヴェルナーは本を持ち込んでいた。


 机と椅子を借りて、エヘクトルから借りた古文書を読み解く。部屋の中にはページをめくる音と、ドングリをぽりぽりとかじる音だけが聞こえていた。


 不思議と居心地の悪さは感じなかった。こんな風に友人と何もない時間を楽しむというのも良いだろう。


 友人、という言葉がさらりと出て来たことにヴェルナーは薄く笑った。


 一時間ほどしてからアクイラは思い出したように言った。


「ドングリ食う?」


「人間はドングリを生で食ったりしない。加工すればドングリパンとかにもなるのだろうが……。いや、やっぱりあまり食わないな」


「マジかよ。生ドングリを食わないなんて人生の半分損しているぜ」


「ミミズの踊り食いをしているときも似たようなことを言っていたな。おい、君の人生がミミズとドングリで埋まってしまったぞ」


「俺は人生を他人の十倍は楽しんでいるからな。夢を詰め込むスペースはまだまだあるんだよ」


「一生のお願いを何度も使うタイプか」


「一日で三回言ったことがある」


 アクイラはゲラゲラと笑いだし、ヴェルナーも釣られて笑った。こんな時、以前はあいつがここに居たのに、などと思い出すこともなくなっていた。


「そういや子供が出来たんだってな。おめでと」


「ありがとう。改めてそう言われると照れ臭いね」


「四分の一がサキュバスで、聖騎士の魔力を持った子供か。妖しい色気の漂う魔術師になりそうで楽しみだな」


「気が早すぎる。まだ産まれてもいないんだぞ。それに親の特性を子供が全て受け継ぐとは限らないだろう」


「まあな、英雄の子供が英雄だっていうなら、お前らの所の王サマは聖騎士を導く名君のはずだからな。どっかで託卵でもされたんじゃねえの?」


 愉快なジョークのつもりだったが、ヴェルナーは真面目に頷いた。


「あり得るね。王都を占拠したら資料を読み漁ってみよう」


「浮気の証拠なんか残っているもんなのか?」


「さすがにそこまでハッキリしたものはないだろうけど、当時の評判とか家系図とかを眺めていれば流れみたいなのは見えるものだよ。ああ、こいつがやったんだな、みたいな」


「研究屋というのは悪趣味なものだな」


「歴史上の人物なんて後世のおもちゃに過ぎないということさ」


「言ってて悲しくならねえか」


「少しね」


 王都を占拠出来るにせよ失敗するにせよ、ヴェルナーの存在は人と魔族の関係におけるターニングポイントである。間違いなく歴史研究の対象となるだろう。


 ふと顔を上げると、窓の外では日が沈みかけていた。


「僕はそろそろ戻るよ。楽しかった、また誘ってくれ」


「なんだよ、そんなに嫁が怖いか」


「綺麗な尻なら敷かれるのも悪くないものさ」


 ひらひらと手を振りながらヴェルナーは去っていった。アクイラは彼らしからぬ暗い顔で友の去ったドアを眺めていた。


「王都の資料か。あんまり調べて欲しくねえなあ……」


 証拠が残っているはずがない。だが、彼ならば情報の断片を集めて糸を手繰って来ることくらいはするだろう。


「すまねえヴェルナー。お前の家族が殺された責任は、俺にもある……」

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