第52話 蒼穹へ

 誰かが呼ぶ声がする。ヴェルナーは鉛のように重たい目蓋をなんとか開いた。目の前に泣いている女の顔があった。どうやら膝枕をされているらしい。


 レイチェル。


 名を呼んだつもりだが、上手く言葉にならなかった。顔半分の肉が削げ落ちて、言葉はただの空気になって漏れ出すだけだった。


 眼だけを動かすとエヘクトルの姿があった。アクイラが居た、ゴブリンたちも居た。皆、自分の死を悲しんでくれる。それだけで死の恐怖も悲しみも霞のように消え去った。


「お、おうは……?」


 声を絞り出すように聞くとアクイラが進み出た。


「虫みてえに串刺しになって死んでいるぜ。苦悶、ってタイトルで飾っておきたいくらいだ」


 相変わらずの酷い物言いである。


 ひとつの戦いが終わった。悔いがないと言えば嘘になるが、それなりに悪くない人生だった。


 レイチェル、君を独り残してしまうことを謝りたい。

 エヘクトル様、もっと貴方のお役に立ちたかった。

 アクイラ、いつも支えてくれて助かっていた。プルポにもよろしく。

 ゴブザブロウ、ゴブサエモン、君たちの成長を見届けたかった。


「あり、が、とう……」


 それだけを言い残すとヴェルナーの腐敗は一気に進んで崩れ落ち、白骨となった。


 レイチェルは頭蓋骨を抱き締めて涙を堪えていた。彼は必死に戦い、敵の王を倒した。ならば魔術師の妻として泣くべきところではないと考えていた。


「お見事でした、ヴェルナー様……」


 こうして王都攻略戦は終わり、残った兵たちに降服勧告がなされた。


 ヴェルナーの骨は廊下に飾ってあった壺を持って来てそこに入れられた。


 エヘクトル自ら骨壺を持ち城門を出た。レイチェルがマントを、ゴブリンたちが杖やローブをといったようにそれぞれが遺品を持って後に続いた。


「道を開けよ、英雄の凱旋である!」


 エヘクトルの叫びに、魔物たちは左右に散って道を作った。一部の人間も武器を収めその列に加わった。


 ヴェルナーとマックスの骨は美しい庭のすみに墓が作られ葬られた。王の遺体はアクイラの手により城壁から吊るされた。


 その後、エヘクトルは抵抗する者は容赦なく処断していったが、投降した者たちへは寛大な処置を取った。


 市民たちは保護され、兵士たちはエヘクトル軍に編入された。聖騎士たちの戦いぶりを称え、ヴェルナーの働きに報いるにはそれしか思い付かなかった。


 無論、何もかもがスムーズに進んだわけではない。人類と魔族の間にある偏見と対立はすぐに消え去るわけではなく、エヘクトルの目の届かない所で住民は虐げられ、それは激しい抵抗活動へと繋がった。


「腰を据えてまつりごとに専念するしかないな」


 玉座の間にてエヘクトル用に新しく作られた椅子に座って言った。


「ユルゲンの奴を生かしておいた方が良かったかい?」


 アクイラが聞くと、二人は顔を見合わせて苦笑した。


「それは無いな」


「おう、自分で言ってて思ったぜ。無いな」


 飼っていた内通者のことは全て話した。ヴェルナーたちの身体が崩れていったのは女神像を破壊した結果であろうと悔いながら語った。そんなアクイラをエヘクトルは責めることなく、その働きを労った。


 これからの方針について語る二人。慌てて玉座の間に飛び込んで来たゴブザブロウによって話は中断させられた。


「敵が、軍勢が王都に向かっておりやす!」


「なんだと、どこの軍だ!?」


 人類がそこまで組織だった行動を取れるはずがない。海の向こうに魔王軍に抵抗を続ける国があるというが、わざわざ渡って来たとも思えない。


 返答に詰まるゴブザブロウ。そこへゴブサエモンが転がるように入室し第二報をもたらした。


「敵は魔王軍、四天王イグニスです!」


「火事場泥棒が……ッ!」


 アクイラが怒りに頬を歪めた。


 ユルゲンは死にぎわで女神像の秘密を教えた相手がいると言った。それがイグニスだったのだろう。


 エヘクトル軍が疲弊し、懸念材料であった氷の魔術師も死んだ。今ならば楽に王都を取れると判断しての行軍だ。


 ユルゲンの策は多大な影響を及ぼした。しかしそれは人類を救うでもなく、己の立身に繋がるでもなく、本当にただの嫌がらせに過ぎない。


「ただ引っ掻き回すだけで策士ヅラをしやがる。そういう所だぞユルゲン!」


 アクイラの瞳は怒りに燃えていた。今までのありとあらゆる戦いを侮辱する行為だ。イグニスを撃退しユルゲンの策を潰してやらねば気が済まない。


「大将、まさか尻尾を巻いて逃げ出すってことはないよな?」


「これまで聞いた中でも最低のジョークだな」


 エヘクトルは立ち上がり腕を振った。


「全軍に通達、イグニスを迎え撃つぞ!」


 こうしてエヘクトル軍とイグニス軍、魔族同士の戦いが始まった。


 エヘクトル軍は数が少なく疲弊もしていたが、士気だけは高かった。城壁を活用し数倍の戦力を相手によく戦った。


 対するイグニス軍にはおごりがあった。策によって王都を掠め取るだけの楽な作業であるはずだった。それが頑強な抵抗に会い、犠牲ばかりが増えていくことに動揺が走った。


「今さらだけどさあ」


「何だ?」


 城壁の上でアクイラとプルポが並んで戦場を見渡していた。


「城壁に坂を作って越えるのはズルいよな」


「まあ、やられた方はたまったものではないだろうな」


 城壁の恩恵、籠城側の有利を実感しながら二人は頷いた。


 戦いは一進一退、三日三晩続いた。最後はエヘクトルが本陣を強襲し、イグニスとの一騎討ちの末に共に深傷を負った。


 イグニス軍は撤退したが、エヘクトル軍にも追撃するだけの余裕は無かった。


 こうして魔王軍の大幹部二人が本格的な敵対状態となり、人類を滅ぼすどころではなくなってしまった。




 海を越えた砂漠の国で、美しい女神像が献上された。


 王都からの避難民で溢れ王に謁見を望むものが列をなす中での事であり、献上した商人がどこへ行ったのか、どんな姿をしていて何という名前だったか、誰も思い出すことが出来なかった。


 砂漠の王と側近たちは女神像の不思議な力に魅せられ、地下深くの部屋へと飾られる事となった。




 十数年後。


 玉座に座るエヘクトルには右腕が無い。顔の右半分は火傷で覆われていた。これでもかなり再生した方であり、イグニスとの戦い直後は半身が消し炭となっていたのだった。


 溺れた犬は棒で叩け、というのが魔族の価値観である。弱ったエヘクトルを倒して成り代わろうという者はいくらか出て来たが、全てアクイラとプルポによって阻まれた。


 幹部候補として名も挙がらなかった何故か自信だけは過剰な連中など、激戦を潜り抜けた二人の敵ではなかった。


「君たちは王になりたいと思わないのか」


 立ち上がることすら容易ではなかったエヘクトルが聞くと、アクイラは照れ臭そうに答えた。


「このメンツでやっていくことに慣れちまったのさ」


 プルポも無言で頷いた。それ以降、彼らはエヘクトルの忠臣としてどんなに苦しい時にも大将を支え続けた。


 今、エヘクトルの両脇にはアクイラとプルポが控えていた。そして正面に立ちエヘクトルに謁見するのは青い肌の活発な少女であった。


「それでは御大将、吉報をお待ち下さい!」


 ビシィ、と音が鳴りそうなほど背筋を伸ばす少女にエヘクトルは優しい眼差しを向けた。


 幹部二人も同じような顔をしている。口には出さないが、野郎三人の誰もが彼女の父親代わりのつもりで保護者ヅラをしていた。


「君が無事に帰ってくるのが一番の朗報だ。初陣だ、まずは戦場の空気を感じてくるがいい」


「はい、お気遣いありがとうございます!」


 漆黒のマントをひるがえし、先の欠けた杖を誇らしげに掴んで少女は部屋を後にした。


 エヘクトルは楽しげに笑っていた。自分ではない、他の誰かの成長がこんなにも嬉しいというのは新鮮な感情であった。


「時が経つのは早いものだな。あの豆粒みたいな赤ん坊が氷の魔術師を名乗るようになったか。さて、イグニスの奴は新たな人材を育てる事が出来たかな。まさか火山の奥でいじけているだけではあるまい」


「大将、あんまり意地悪言うなって。多分そうだろうなって思っているんだろう?」


 アクイラがゲラゲラと相変わらずの笑い声を上げた。


 エヘクトルとプルポも顔を見合わせてから笑った。彼らの関係は主従というよりも、共に戦い続けた戦友に近い。




 廊下に出てしばし進むと、母と二体のゴブリンが待っていた。


 母は時が経つほどに美しくなり、妖艶さを増していった。少女にとって自慢の母であり、姉妹と間違われる度に嬉しくなったものだ。


「母上、行って参ります!」


「家名を上げようなどと思わず、身の安全を第一に考えなさい」


「……あの、本当にそれでよろしいので? 亡き父上のためにも大手柄のひとつやふたつ挙げたいところなのですが」


「あの人に家名だの手柄だの言っても、困った顔をするだけでしょうね。どうでもいいよ、って。ねえ?」


 ゴブリンたちに目をやると、彼らも肩をすくめて苦笑した。


「違いねえ、旦那はそういうお人だ」


 一人は小鬼の名に相応しからぬ立派な体躯の剣士であった。主と共に死ねなかった苦悩が彼を死に物狂いの修行に駆り立て、今ではエヘクトル軍でアクイラ、プルポに次ぐ剣士となっていた。


 部下たちの面倒見も良く幹部の座に誘われたこともあるのだが、


「お嬢が幹部となった時、その補佐にあたりたい」


 と、固辞していた。


 もう一人は対照的に針のように痩せ細った魔術師であった。あばらも頬骨も浮いており、それでいて眼だけがギラギラと光っている。高位の魔術師だけが持つ独特の雰囲気を纏っていた。


 かつての主の足下にも及ばぬと考え、今でも魔術の研鑽けんさんを怠ることはなかった。


「ではお嬢、参りましょう。外で皆が今か今かと待っておりますぞ」


 ゴブリンの魔術師はその体つきに似合わぬ力強い声で言った。


「はい! ザブロウ、サエモン、行きますよ!」


 少女が元気良く歩き出し、ゴブリンたちが付き従った。


 たくましく成長した三人の背を少女の母、レイチェルは暖かく見送った。




 城門を出ると三十名ほどのゴブリンたちが控えていた。誰もが王都で作らせた新品の防具を身に付けていた。


 現れた英雄の娘に、敬意のこもった視線が一斉に向けられた。


 ゴブリン族の地位向上が為されたのは二体のゴブリンと、彼らの主人のおかげであった。その娘と共に戦えるのはゴブリンたちにとってこの上ない名誉である。


「こいつは縁起がいいや」


 綺麗に整列するゴブリンたちを見て、ゴブザブロウは懐かしげに目を細めた。


「何がですか?」


 少女が首をかしげた。


「いえね、旦那が初めてエヘクトル軍で戦った時も、こんな風にゴブリンたちを率いていたんでさ」


「もう少しガラが悪かったけどな」


 ゴブサエモンが補足しながら笑った。


「そうですか、父上が……」


 少女は父親の顔も知らない。しかし、多くの物を受け継いでいるということは理解していた。


 エヘクトルや幹部たち、配下のゴブリンたちが自分に良くしてくれているのも父が皆に愛されていたからこそだ。


 そんな父と同じ道を歩もうとしている。少女の胸の内がじんと熱くなった。


 少女は杖を高々と上げて叫んだ。


「ヴァレリア隊、出撃!」


「おおッ!」


 ゴブザブロウが、ゴブサエモンが、多くのゴブリンたちが右拳を上げて応えた。


 どこまでも蒼い空に、勇ましい掛け声が吸い込まれていった。

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フリージング・コフィン~裏切られた魔術師、魔王軍に入隊し復讐する~ 荻原 数馬 @spacedebris

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